あらかわ交通ノート Arakawa Traffic Note

当ブログは鉄道を中心に,道路や水上交通のインフラ河川,地理などを主に取り上げるブログです。名前には,交通という言葉がついていますが,交通を中心に町や地域の事などを中心に取り上げていきます。中には鉄道や交通に対するディープな話題なども取り上げます。

京成100周年パネル展へ行く

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11月15日、船橋競馬場の京成バス・船橋花輪車庫の見学後は、八千代台のユアエルムへと足を運んだ。ここでは24日までの期間で京成100周年記念のパネル展を開催しているからだ。

八千代台のユアエルムへ行くのは何年振りかだ。八千代台のユアエルムは京成のショッピングセンターの草分けとして1977年に開館、後年青戸と公津の杜にも開店させ、今は千葉中央のミーオとnext船橋も店名こそ違えどユアエルムの店舗になっている。

八千代台のユアエルムといえば、時折bayfmの公開録音も行われ、先日、新潟と横浜のライブへ行った広島出身の3人組の歌手が昨夏にこのユアエルムでのbayfmの公開録音が行われた時は、下りの初電の到着前に多数の人が並んでいたこともあった。今月も室蘭出身の女性タレントなどがこのユアエルムに来た。(なお、このタレントは現在bayfmでレギュラー番組を持っている)

新AEのパネルAE車のパネル京成の資料展示は今年の年明けに成田山の史料館で京成の特急の歴史展示があった。(関連記事はこちらです)これに続いて2度目だ。ここでも書いたと思うが、京成は東武や東急などと違って鉄道資料館を持たないので、このような展示は貴重なものになる。この展示には、京成の設立から過去の開運号などの特急列車や成田空港の開港、沿線の発展、AE車・AE100形、新AE形と3つのスカイライナーの写真もあった。昔の青戸駅や上野駅などのパネルもあり、そのころは知らなかったものもあるので、へえと思ったものもあった。

自分の知らない時代の懐かしさとともに作者が小学校やティーンエージャーの時代の実際に生で見たことある時代の写真もあった。特に後者はああこうだったなと当時のことを少し思い出した。京成の展示は、当時をなんとなく知ることもあって、本当に懐かしく感じることができるのだ。

その後はこの日の3300形の3色リバイバルカラーの報告を行う。パネルと合わせて紹介する。

1115青電

青電の3000のパネル青電の塗装は、今日は千葉線の津田沼〜ちはら台間で走っていた。パネルにあった青電は、赤電の原点となった旧3000形のデビュー当時の塗装で、旧3000形は、デビュー当時は青電塗装で、レール幅も馬車軌のものだった。なんかおでこにライトのない青電も少し違和を感じる。もちろん片開きドアやめくり板も青電の特徴だった。しかし3300形の青電塗装は最大限の昔のイメージに合わせるかのようにしているので、似合っている。

1115高砂ツートン開運号次の赤電ツートンは、この日は、昼間は高砂〜金町間の金町線の運用で往復をしていた。パネルにあったツートンは、特急開運の末期で走っていた最後の片開きドアの車両としても2007年3月まで走っていた3200形の3298Fだった。ツートン赤電は片開きドアにも両開きドアにも似合っている塗装だ。片開きドアの車両でのこの写真を見てそう感じた。京成で最も格式の高い塗装であることを改めて感じさせた。

京成赤電1115高砂2ファイアーオレンジのパネル最後はファイアーオレンジの塗装だ。昼間は高砂の車庫に止まっていたが、夕方に高砂から出て、上野〜金町間の運用などについていた。これまでファイアーオレンジの塗装は、あまり紹介される機会がなかったが、今回はパネル展示でも紹介をしていた。この塗装の時代は経営再建など苦しい時代であったが、この塗装はツートン赤電と並ぶくらい多くの利用者の支持を受けていたのだ。パネルの行き先が大和田行きなのも面白い。大和田発着は今では平日の夕方の数往復と土休の朝に1往復が残るだけで、昼間に走っていた時代が懐かしい。

京成3700フルカラー津田沼この展示は15日までの予定であったが、24日まで延長することになった。京成に関して懐かしさを感じるのにはよい機会なので興味がある人は是非行ってみてはいかがでしょうか。

写真は3700形のフルカラーLEDの車両で津田沼で撮影したものです。

京成バス船橋・花輪車庫見学記

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11月15日、京成線の船橋競馬場の駅前にある京成バスの船橋営業所花輪車庫のイベントの花輪祭りがあったので参加をしてきた。

花輪とは、この辺りの地域の呼称で、同駅の近くの京葉道路のインターチェンジは花輪インターチェンジとして使われている。

船橋競馬場駅は、bayfmなどでもおなじみの千葉県屈指の大型店のららぽーと東京ベイの最寄り駅で、この駅からはららぽーとへは、バスが走る。この辺りは、IKEAなどの大型店もでき、昔のような圧倒的な存在感に箔が付いているようだ。作者が、ららぽーとへ行く時は、この駅で降りてバスに乗ることがほとんどだった。この駅は国道14号に面している。

ハイブリッドバス京成バスの船橋営業所は、船橋競馬場の花輪車庫と幕張新都心のバスの走る茜浜の二つの車庫がある。茜浜は、幕張本郷駅と幕張新都心を結ぶ連接バスを所有し、独特のカラーリングをしている。この塗装は、幕張新都心の顔として親しまれている。しかも日野自動車のハイブリッドの車両が入っている。これは都営バスに昨年から導入されたハイブリッド車両と同じだ。

やはり幕張と言えばこのバロッテ連接バススを忘れるわけにはいかロッテ連接バス2ないでしょう。ロッテ連接バス3

 

 

 

もちろん幕張の顔と言えば京成バスの連接バスだろう。しかも千葉マリンスタジアムを本拠とする千葉ロッテマリーンズのラッピングバスだ。車内もロッテのロゴ入りだ。幕張本郷駅を降りたその瞬間から千葉マリンスタジアムにいて、ロッテを応援しているような感じがする。連接バスも、製造から10年が経過するが、更新計画はどうなるのだろうか・・・。

京成高速バス高速バスの車内

次は車内で乗車体験が行われた京成の高速バスの内部だ。京成の高速バスは、千葉県内から東京駅を経由して、大阪や京都、奈良などの近畿地方などへと走らせている。バスはJRバスなどと同じく3列シートの車両だ。ここは高速バスの車庫も兼ねているのだ。その為、奈良交通のバスなども停車をしていた。

習志野ハッピーバス

これは、習志野市で走っているハッピーバスの車両だ。これは、日野のポンチョが使われる。これは、京成津田沼駅や京成大久保駅、京葉線新習志野駅などの周辺で主に走っているバスだ。このポンチョは、荒川区のコミュニティバスのさくらなどでも同じ車両が使われてるのを見たことがある

千葉県を本拠とする野球チームはロッテだけではない。実はであるが、北海道を本拠とする日本ハムファイターズもファームチームは鎌ヶ谷にあるのだ。日ハムのファームの本拠地・鎌ヶ谷をアピールするバスもいた。

鎌ヶ谷日ハムバス

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なんと同じバスの車庫に、パリーグのライバル球団同士のバスが並ぶという珍事が発生したのだ。このバスは西船橋や船橋法典の駅から鎌ヶ谷の野球場へと走っている路線バスだ。日ハムと言えば北海道であるが、二軍は鎌ヶ谷のままで、北海道と鎌ヶ谷という二つの本拠地を持っているのだ。ちなみにこのバスは、市川柏井車庫の所属だ。

京成ハイブリッドバス2この辺りの京成バスと言えば、葛飾区内の京成バスと違って、普段乗ることの少ない路線や車両が多いが、今日はこの辺りの京成バスのいろいろな車両を見ることができてよかった。連接バスを筆頭に、ハイブリッドバス・高速バス・小型バスなどたくさんのバスを見ることができた。

小学校の時に葛飾区内の京成バスの某車庫には行ったことがあっても、このような祭典には出たことがなかった。先日は貴重なイベントありがとうございました。

次は、京成の鉄道のイベントとして八千代台へと足を運んだので、その模様をお届けする。

おいでよアリオ亀有〜葛飾区内からの無料バス運転へ〜

9d4bbda3.jpg5fe189e8.jpg20日から葛飾区の青戸・立石・奥戸地区からアリオ亀有へのバスが走らせるそうだ。 運転は30分間隔で、運賃は無料になる予定だ。バスは、オリジナルのデザインのレインボーカラーのバスが走ることになりそうだ。

葛飾区屈指の大型店として、亀有駅の東口に3年前に開店をしたアリオ亀有は、葛飾区内や周辺の各地からの人を集める大型集客施設だ。その中で、葛飾区の京成沿線の青戸・立石・奥戸地区からのアリオへ行くには、自転車や自動車、バスで行くしかなかった。特に、奥戸地区などは中川の橋を越えなければなかった。

3597dbc3.jpgこのルートは、アリオ亀有から環七を南下し、青砥駅の東口400mの位置にある青砥駅東口交差点バス停に停車し、中川を青戸橋で越え、奥戸のスポーツセンター付近は通過し、奥戸街道の奥戸2丁目バス停に止まる。そして京成タウンバスの車庫(奥戸車庫)に止まる。亀有からここまでのルートは、亀有駅からのタウンバス車庫までの京成タウンバスの新小58系統の出入り便とほぼ同じルートを通る。

奥戸車庫からは、中川を再び本奥戸橋で渡り、渡ってすぐの交差点ですぐ曲がり、京成線立石駅の近くの立石駅入り口のバス停に止まる。そこからは京成線に並行する形で、青砥駅から歩いて2分の青砥駅入口というバス停に止まる。この後は、青砥駅東口交差点に止まるが、この区間がこれまでないルートを通ることになりそうだ。青砥駅東口交差点からは環七を通過し、アリオ亀有へと戻る。

既存のバスとは少し違うルートを通ることで、乗る側も楽しみになりそうだ。
このバス路線が、「おいでよ亀有」としてアリオ亀有や葛飾区内の活性化になれば幸いだ。

今日のイベント

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午後から京成バスの船橋競馬場の花輪車庫のイベントと八千代台のユアエルムへと向かった。
八千代台では写真展示のイベントが行われている。かなり貴重な記録が多い。

新宿の新しいバスweバスに乗って

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9月から新宿を循環する新宿WEバスというバス路線が開通をした。このバス路線は、新宿駅西口を起点に、歌舞伎町⇒新宿三丁目周辺⇒新宿駅南口⇒角筈2丁目⇒新宿ワシントンホテル⇒都庁本庁舎⇒ハイアットレージェンシー⇒東通り⇒工学院大学⇒新宿駅西口と回る路線で、東京最大級の繁華街・新宿を回遊するバス路線だ。

バスの運行は京王バスで、京王バスが専用の車両を用意している。色は紺色で、WEバスのロゴなどが書かれている。車内にはLCDモニターが付いていて、新宿の観光ガイドや新宿区の広報などを流している。1回の乗車額は100円だ。もちろんSuicaやpasmoでも乗ることができる。

起点となるのは新宿駅西口の小田急百貨店の前で、新宿駅の西口は都営バスや関東バス、京王バスが発着するバスターミナルがあるが、そこではなく、人通りの多いわかりやすい場所であるが、利用者は少なかった。

新宿駅西口を出ると、靖国通りの大ガードで東口へと出る。ルートは都バスの練馬車庫行きの白61系統と同じだ。歌舞伎町は、飲食街などして東京屈指の規模を持つが、人のにぎわいは相変わらずだ。しかし、バスは人が少ない。明治通りで右折し、副都心線新宿3丁目駅の上を通る。向かいには新宿最大の百貨店・伊勢丹新宿店や副都心線の開通を機にリニューアルをした新宿丸井など大型店が立ち並ぶ。この辺りは、新宿の伝統あるショッピングエリアだ。すぐに甲州街道を曲がる。そして甲州街道を跨ぐ陸橋を通過し、新宿駅南口に止まる。

weバス停新宿駅南口は、南口のサザンテラスの玄関口にあたる。新南口のサザンテラス側は、近年改札が設置されたが、それでも山手線や総武線・中央線ホームからは遠い。このバスはそんな新宿の発展著しいエリアにあるが、このバスは影が非常に薄い・・・。ここからの乗降もなかった。

今度は新宿駅の西側に入る。言うまでもなく、こっちは商業や飲食の東側と違って、新宿の高層ビル街だ。文化女子大学の近くに角筈2丁目というバス停がある。ここは、角筈は西新宿の昔の地名(※1)だった。甲州街道は常に混雑をしている新宿の幹線道路だ。

甲州街道から離れ、ビル街へと突入する。NSビルなど南側のビルのあたりを通過する。しばらくして都庁本庁舎のバス停に着く。ここで時間調整のために5分以上停車をする。

このバス停は、都庁の2階の出入り口の前に止まる。新宿駅西口から都庁付近を回る都営バス・京王バスのCH01系統が都庁の1階出入り口を発着するのとは異なる場所に着く。停車時間が少し長いので、ここは少し改善してもいいかもしれない。しかし、このバスに乗る人はほとんどいなかった。

新宿西口の循環はまだまだ続く。小田急の運営するホテルハイアットリージェンシーの前を通過し、ヒルトン東京などホテルの多いエリアを通過する。京王プラザホテルも近くにある。新宿を起点としている主な私鉄が、ここにホテルを構えているのだ。(※2)新宿の高層ビルは業務用のビルも多いが、ホテルも多い。この辺りの風景は、いつみても近未来的な風景が現れる。さっきまで人通りの多い東口を見ていたのとは対照的だ。そして、このバスの最後には昨年建設されたコクーンタワーの前を通る。ここは東京モード学園の新校舎だ。また地下には、阪急が運営するブックファーストもある。しかしバスの中はがら空きだった。そして新宿駅西口に約40分の所要時間で到着する。

weバス経路このバス路線の魅力は、東口と西口で大きく景観の違う新宿の街を横断することで、新宿のさまざまな魅力を感じることができるところだろう。ただ、乗車した日が平日であったことや運行から日が浅いので、ガラガラのバス路線を走らせていた。平日はビジネス客が多く、それに買い物客も多く、とても観光とは言い難い点もあるのだろう。その為、平日は15分おきで走るのに対して、土休日は10分おきで走る。それに新宿という場所は、東と西ではっきり言って目的が異なる街だ。買い物や娯楽であれば東口、西口は業務やホテルなど遊びでの需要は少ない。新宿を一体化させていくという発想は全く悪くはないが、新宿を使うユーザーがそのように受け止めている点があり、これをどのように覆すかがこのWEバス成功の秘訣になるのではないかと思う。とはいうものの、初めての人に新宿を案内する場合は、このバスは最適なので、これらの点が生きれば幸いだと思う。


※1 西新宿でも7・8丁目は昔は柏木という地名で、角筈は1丁目から6丁目くらいだった。

※2 新宿に乗り入れるもう一つの私鉄の西武は西武新宿駅の上にプリンスホテルがある。

「はやて」の名称廃止へ

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来年の八戸〜新青森間の開通を機に、東北新幹線の看板列車の「はやて」の名称が廃止になるそうだ。東北新幹線の八戸〜新青森間は、来年の12月の開通になった。

はやての名称は、東北新幹線の速達列車として、多くの利用がある。東京〜盛岡・八戸間などの長距離の区間はもちろんのこと、東京〜仙台間でも利用者が非常に多く、はやては速達列車として多くの利用者から定着をしているのだ。

東北新幹線・新青森開通後の新型車両のE5系は最高速度320kmの速度を出し、スーパーグリーン車も導入をする。それを機に「はやて」とは違う名称で、一新を図る目的もあるのかもしれない。

485時代のはつかり名称としては、東北新幹線開通前までの長きにわたり、東北本線経由で上野と青森を結んだ「はつかり」(東北新幹線開通後は盛岡〜青森〜函館間に変更)や常磐線経由で上野と青森を結んだ「みちのく」などといったご当地名称や今回のはやてのように新しい名称なども考えられる。なんか2文字か3文字のほうが、利用者にもわかりやすく、求心力があるのではないかと思う。確かに伝統の列車としての「はつかり」「みちのく」などの名称もいいかもしれないが、今回の場合は300km以上の超高速で走ることからよりスピード感のある名称のほうがいいかもしれない。「はやて」は一時は溶け込めるかどうか心配だったが、速達列車として多くの人の利用があるのは名称や停車駅の設定がわかりやすい点があるからだろう。

将来的な北海道への延伸をにらんで、北をイメージさせるような名称も考えられる。

ただ新名称にすることで、のぞみのような特別料金の設定なども考えられる。これまでの東北新幹線はこのような制度がなかったが、これを機に数百円から千円近くの特別料金の設定で、高速料金として上乗せするのではないか。あとは、全席指定席の列車しかない盛岡〜八戸間の制度の見直しなども考えてもいいのではないか(この区間は指定席券を持っていなければ指定席空席の利用となり、少しややこしい)

東海道新幹線・東北新幹線ともに「のぞみ」や「はやて」志向が非常に強い。ビジネス利用はもちろんであるが、観光客や帰省客も「のぞみ」や「はやて」に乗る人が多い。しかし、場合によれば、指定席は「ひかり」や「やまびこ」の方が先に埋まることもある。それは「はやて」「のぞみ」がビジネスマンや早く目的地へ着きたい人が対象なのに対して、「ひかり」「やまびこ」は停車駅が多いことやビジネスマン以外の利用がしやすいという利点もある。それは、「ひかり」早割きっぷやえきねっとにおける「やまびこ」の商品の充実がその例かもしれない。

静岡やらまいか紀行4〜浜名湖を越える新幹線と在来線

浜名大橋11月2日の午前中の遠州鉄道の後は、午後は浜名湖の湖畔へと足を運ぶ。浜名湖の付近は、JRの東海道線と東海道新幹線が並行をして走っている。とりわけ弁天島の付近ではこれが楽しめる。今日はその弁天島と新居町駅の間付近へと足を運ぶことにした。

東海道線・東海道新幹線の浜名湖付近は、東海道線・東海道新幹線の風景の中では最も好きな場所の一つで、弁天島などの島を越えることで、壮大な浜名湖の景観が楽しめるからだ。東名高速道路も北岸を通過し、ここには浜名湖サービスエリアもある。東京と大阪の距離のほぼ中間点に位置するこの浜名湖は、東日本と西日本の地域を地理的にも2分する場所ともいえよう。作者は人文地理などの面からも東日本と西日本の境目は浜名湖と設定をしている。(厳密にいえば、飯田線は東日本に該当するので、豊橋周辺を東西の境目に分けてもいいかもしれない)

浜名湖と373系まず、在来線を通過したのが373系車両だ。ムーンライトながらの季節臨への変更後、373系はこの浜名湖を定期的に越えることはなくなったかと思ったが、回送などでは残っている。実際にこの列車も豊橋方面からの回送で来た。おそらく飯田線の特急伊那路の回送かもしれない。この373系は現在、浜松と豊橋の間の普通列車にも使われているそうだ。(実際に今春に豊橋駅で目撃をした)東京〜静岡間を結ぶ唯一の普通列車として、1日1往復だけ東京まで足を運んでいるのは、こちらの記事のとおりで、東京・横浜・静岡・甲府(特急ふじかわとして)・豊橋・飯田(特急伊那路として)など1日一都五県を走っている。ムーンライトながらがこの車両の時代は岐阜県を含めて一都六県を走った。

浜名湖と211系

次にここに姿を現したのは、211系車両だ。静岡地区の211系は、オールロングシートの車両が多い。しかし、たまにクロスシートの211系も来ることがある。(こちらの記事では乗車記もあります)

 

浜名湖と311系

その次に在来線に姿を現したのは、311系だ。311系は、かつては豊橋〜大垣・米原間の新快速などで使っていたが、今は各駅停車の運用がほとんどで、乗り入れ区間も掛川〜米原間と幅広い。

この地域の普通列車は、211系や313系のロングシート車両のようなロングシートが中心の静岡地区の車両と311系や313系転換クロスシート車両のようなクロスシートの車両が中心の名古屋地区の車両が乗り入れ、全体的にロングシート車が多い東日本地区と全体的に転換クロスシート車の多い西日本地区の車両が乗り入れる。浜松と豊橋の間は車両の面では飽きのない場所であり、または車両面では、東日本と西日本の境目だろう。

隣で撮影をしていた人は、小田急30000形ロマンスカーEXEの日本車輛豊川工場から御殿場線の松田駅までの甲種回送を撮影をしたそうだ。どうやら30000形の全般検査は製造先の日本車輛で行うそうだ。

次は新幹線に目を向ける。新幹線の浜名湖鉄橋は在来線の北側にある。

浜名湖とN700まずやってきたのは、昨年鉄道友の会のブルーリボン賞を獲得したN700系車両で、東海道・山陽新幹線の主力としてのぞみを中心に走っているこのN700系ものぞみの主力として日々に増備が続いている。しかし私はまだ乗車をしたことがない・・・これから主力になるから今すぐ乗りたいという感じにならないのも確かだ。でも近々乗車をしたい。

浜名湖と300系1次に来たのは300系車両。この時間帯は300系が多かった。今は300系ですら廃車が進行している。なので、そのうち浜名湖を越える風景が貴重になるのは間違いないだろう。今ではひかりはともかくこだまでも700系が使われることもあり、300系の活躍の場が狭まっているのは確かだ。

そして、なぜ浜名湖へ行きたかったのか、最大の本命はこの車両だった。

「最高を求めて、終わりのない旅をするのは、きっと僕らが生きている証拠だから・・」いきなり広島出身の3人組の歌手のDream Fighterという曲の歌詞のはじまりの部分だ。そう過去にDream Fighterという記事で取り上げた500系車両だ。

浜名湖と500系500系はついに東海道新幹線の乗り入れが1往復だけになった。1997年から12年間に渡って越えてきた浜名湖ももう越えなくなる。最高速度300kmで走る新幹線のDream Fighter500系車両がここを走る日があと数えるほどになった。これだけ外見にインパクトのある車両は少ないだろう。500系が東海道新幹線の象徴のこの区間を通過するのはこの1往復か、臨時列車での数本しかない。前述の3人組の歌手と某女優の出身地の広島の付近の山陽新幹線では、今後は8両編成のこだまとして走る予定だ。(500系の乗車記はこちらです)

この紀行はあと2回続く予定です。次の回は、一回飛ばしていたあの場所の最終日の僅かな時間での訪問を書いていく予定です。

静岡やらまいか紀行3〜遠州鉄道の30形車両に乗る〜

新浜松駅での30形静岡紀行の第3回目は、翌11月2日の朝の遠州鉄道の話題についてお届けする。遠州鉄道は前日、西鹿島駅でのイベントとして参加をした。今日は朝のラッシュ時を中心に走る遠州鉄道の車両を追いかけてみた。

遠州鉄道の主力の1000系車両は、1985年の新浜松駅高架駅舎開通並びに遠州馬込駅のスイッチバック廃止を前後する形で、投入が開始され、後継の2000系車両とともに現在まで主力を任されている。一方で1985年以前に投入された車両もおり、これらは30形という車両形式で、顔は湘南形で、日本車輛の標準車体を持っている。工場が浜松から遠くない豊川にあるため、ここは日本車輛の車両が中心になっている。

さぎの宮駅今日、この車両に乗車をしたのは新浜松はなく、途中の駅からだった。なぜならば、走っているのを確認できれば、その駅でしばらく待ってそれから乗ることにしたからだ。しばらくして、さぎの宮という名前の駅に着く。なんか西武新宿線にもこういう名前の駅がある。この駅の手前の駅で30形とすれ違ったので、この駅で降りることにした。この遠州鉄道は、1時間5本のパターンダイヤを組み、更にICカードも投入されている。自動車社会の地域でありながら、鉄道にも非常に乗りやすいダイヤを組んでいるのだ。これぞ政令指定都市・浜松市の鉄道の核だろう。このさぎの宮駅には、駅から離れた国道沿いにマクドナルドや吉牛などもあるので、ここで食事をする。

遠鉄の旧車両1bd38bae6.JPGさぎの宮駅で、湘南形の2枚窓の西鹿島方面の列車が来た。編成は30形の4両で編成は、西鹿島側からクハ85形+クモハ25形とクハ61形+クモハ51形をつないだものだった。今日はクモハ25形に乗車することにする。このクモハ25形は、足回りはなんとつりかけモーターなのだ。しかもこの車両の製造は、1978年と31年前だ。この時代まで来ると東京の鉄道の車両ではつりかけの車両どころか抵抗制御を飛び越えて、千代田線の6000系や中央線の201系などのようにチョッパ制御の車両も導入されていた頃だ。足回りと顔つきのためか、この年の製造に見えない。いかに遠州馬込駅のスイッチバックがあった時代が車両面でも後れを取っていたかがわかる。

DSCF3985DSCF3991加速時にはつりかけ特有の加速が一気に上がる音を出し、減速時にもつりかけの音を出す。つりかけの音はやはり重厚長大の音を奏でる。この独特の走行音は、時代が経つにつれて貴重になっている。2010年代になっても場所によればこの音が聴けそうだ・・・室内は、1000系・2000系と同じく紫色のモケット、貫通路はシェル字形で、これも1000系と変わらない。しかし2ドアなので、ロングシートの長さが長い。この30形は、1000系などに比べるとドアが少なく、更に足回りも違うので、日中は使いづらいのではないかと思う。そして終点の西鹿島に着く。

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西鹿島駅では、切り離しが行われ、51形・61形と25形・85形に分けられた。折り返しは西鹿島駅の車庫から1000系が入線をしてきた。51形・61形は乗っていた列車の後部に連結されていたが、こちらは1980年に製造された。前面は、湘南窓から前面の大型窓に変わり、行き先幕は真ん中くらいにつけられた。足回りはつりかけではなく、カルダン駆動形と少し前進し、それに顔も1000系などにつながっている。遠州鉄道の30形でもこの車両のように前面の形状と足回りを変えたもの、片開きドアの車両、つりかけの車両など同じ形式でも個性が多い。51形の側面幕には、手書きで書かれていた。

西鹿島駅舎西鹿島駅からは1000系で新浜松へと戻る。朝の時間帯なので、途中から利用者が増えていく。西鹿島駅は、中部の駅百選にも選ばれた個性的な駅舎だ。西鹿島駅の近くには第2東名の高架もあった。余談であるが、浜北には亀戸でおなじみのサンストリートが国道沿いにある。ここの前を通った時は、ここは亀戸か?と驚いた。亀戸も浜松も餃子が名物なのも共通をしているし・・・西鹿島駅から32分かけて新浜松駅に着く。

静岡やらまいか紀行2−2 〜2つの国鉄の20型〜

先週の木曜日を最後に更新が途絶えていた先日の静岡シリーズ。作者は、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅でのイベントに参加をしていた。第1回目では、駅に隣接する車庫で行われた転車台の公開などを見に行った。

この天竜二俣駅には、鉄道公園建設時の名残か?国鉄時代に走った車両が2つ展示している。一つが、寝台特急あさかぜでデビューし、走るホテルとして寝台特急の発展に大きく貢献をした20系客車で、もう一つが天浜線の前身の国鉄二俣線時代に走っていたキハ20形気動車だ。

20系in天竜二俣

キハ20型in天竜二俣

今日は、ボランティアによる車内の公開も行われた。そういうときでないと車内に入ることができないからだ。これらの車両は、このボランティアの手で保存がされているのだ。

まずは、20系客車のほうから車内を見てみることにした。20系は、大宮の鉄道博物館でも車両が置いてあるが、車内に入ることはできない。しかし、ここでは20系客車の中に入ることもできたのだ。

20系室内公開120系室内公開2この20系は3段寝台で、今では583系車両で大阪と新潟を結ぶ急行きたぐにで見られるだけで、客車としては今では見られない。ブルートレインの原点として高度経済成長期の日本の交通網を大きく変えたこのブルートレインの車内を生まれて初めて見ることになった。ここに展示されている20系は、1970年に製造され、国鉄民営化の1987年まで走っていたナハネ20−347番だ。わずか17年間であったが、東京と九州方面を結ぶブルートレインなどに使われていたそうだ。

20系プレート20系プレート2今年は、東京と九州を結ぶ最後のブルートレインの寝台特急富士・はやぶさが廃止になってしまったが、この20系が交通網を大きく変えた立役者なのを再確認した。昔はこれらの座席に座って寝て旅をしていたのだろう。しかし、20系の中が見られるなんてそんな貴重なことはないかもしれない。このボランティアも20系の外壁が老朽化していて、色がくすんでいたところを再塗装・再整備をして何とか見られるというところまで漕ぎつけたらしい。彼らの情熱と熱意はこの功労者をここまで大きくしたいというところから生まれたのではなかろうか。

d20サボd20-443のプレート次にキハ20形の車内を公開する。このキハ20形は、443番が公開され、1958年にこの天浜線の前身の国鉄二俣線で走っていた。ずっとこの車両は1985年までの27年間、二俣線を走っていたそうだ。外見は、当時と同じく朱色一色の首都圏塗装になっていた。またサボの行き先「遠江二俣」は天竜二俣駅の国鉄時代の駅名だ。天浜線への転換を機に天竜二俣に駅名が変わったのだ。

d20室内d20広告室内は、昔ながらの青系のモケットと緑色の車内になっている。これもボランティアスタッフが整備をしたそうなのだ。彼らの努力のたまものが今の室内の公開に至っている。車内広告は、この車両が廃車になった当時の1985年頃の車内広告も掲載してあった。

キハ20形は、エンジンを2基にしたキハ52形が、大糸線で今でも現役で走り、今夏に乗車をしてきた。(そちらの記事はこちらです)また今春までは、新潟周辺の米坂線などでも走っていたが、今は予備車両になっている。(この記事はこちらです)この車両は外のドアが少しへこんでいたり、それだけでも古さを感じさせる。このキハ20形は乗車経験が少ないが、20系車両が都市間輸送の大きな発展であれば、こちらは地方ローカル線の車両を劇的な改善した立役者だろう。

高度経済成長期の鉄道の輸送力強化に貢献した2つの20番の数字の車両は、静岡のこの地で、彼らを大事に思う人の手によって、安らかになっているのだった。

Runner〜中野駅発の特急列車〜

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今日は新宿駅の跨線工事の影響で、新宿発の多くの列車が運休もしくは区間変更になった。そんな中、中野駅は、今日は山梨・長野方面の特急あずさ・かいじの発着駅になり、中野発着の特急列車が運転された。車両はE351系の特急スーパーあずさだ。その為、中野駅は今日は、プチ山梨・長野へのターミナル駅となり、駅弁や銘菓などの販売もあったのだ。普段は中央線の快速の上り線が使う7・8番線が特急ホームになったのだ。

タイトルは、中野駅の話題に合わせて、中野という姓のメンバーがボーカルを務めるバンドの代表的な曲名から取った。

今日の中央線は、快速運転が中止され、すべてが各駅停車で運転された。三鷹〜御茶ノ水間では総武線も乗り入れ、この区間は2分30秒間隔という高密度で列車が運転された。また、地下鉄東西線は中野〜三鷹間の乗り入れが終日中止された。オレンジの中央線は、中野発の時点で上りも下りも立ち席が多く、平日のラッシュ並みの乗車率の列車もあった。しかし黄色の総武線は、余り混んでいなかった。

中野の201その2中野の201その1しかしそのオレンジの中央線にもサプライズがあった。なんと2本しかない201系が来たのだ。日中に各駅停車の表示をするのはもう見られないかもしれない。201系の貴重なシーンだ。まさに最後の朱いオレンジの舞が出たのだ。

その他、新宿発着の成田エクスプレスは東京か品川始発になり、埼京線と栃木方面を目指す特急日光・きぬがわ、快速フェアーウェイは池袋発着になった。

以前、この工事の時の山手線は、埼京線や湘南新宿ラインの運休もあって、普段よりも混雑をしていたのを見たことがあるので、今日は山手線には乗りたくなかった。日本一の混雑区間の新宿〜渋谷間はもちろんのこと、その激しい混雑が池袋〜渋谷間にも続いていた。副都心線が開通したからこの日本一の混雑も解消に期待をしていたが、やはり山手線の威力は相変わらずという感じがしてならない。

京成の記念列車撮影会と臨時列車の運転へ

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11月28日に宗吾参道の車両基地で「100周年記念列車撮影会」が行われる予定だ。これは、現在走っている3300形の青電ツートン赤ファイアーオレンジの3色を並べて撮影会が行われる。参加ができるのは150名の限定で、11月16日の必着で応募をしなければならない。(京成のホームページの情報はこちらから)ただ当選ができるかどうかはこればかりはわからない。それ以外にも新AE形や3050形も撮影ができれば幸いなのに・・・

赤電小岩1京成3300ファイアー青戸その28日には、3300形を使用した臨時特急ミラフォレスタ号も上野〜成田間で走る予定だ。車両は、青電かツートン赤電・ファイアーオレンジのいずれかが使われる予定だ。上野発は10時36分で、成田行きの特急として走る。停車駅は、特急の停車駅に市川真間を加える。成田到着は、12時21分になる予定だ。久々に3300形の特急としての本格的な雄姿が見られそうだ。(詳しくはこちらです)ミラフォレスタとは、京成で3駅(※1)選ばれた関東の駅百選の1駅の公津の杜駅で行われるライトアップイベントで、ほぼ毎年開催をしている。

京成3002快速京成3002快速2それ以外では、八千代台のユアエルムで、京成の百周年記念のパネル展が開催されている。これは15日まで開催されている(詳しくはこちらへ)

最後になるが、先日京成史上初のフルカラーLEDの車両となった3000形の3002Fであるが、今夜上野駅で快速に充当されている姿を見たので、こちらに写真を貼る。快速の色は、桃地に白色だ。この列車は上野〜高砂間の快速として走り、6両編成が入ることが多い。この列車は、青戸で浅草線方面から来る快速特急もしくは通勤特急に接続する。つまり特急種別への区間リリーフのような列車なのだ。


※1 京成で関東の駅百選に選ばれたのは、柴又・成田空港とこの公津の杜の3駅で、周辺会社に当たる新京成・北総・芝山・山万を含めると、新京成は鎌ヶ谷大仏、北総は印西牧の原・印旛日本医大が選ばれ、山万と芝山では選ばれていない。京成電鉄と周辺会社では合計6駅選ばれている

はくつるが舞い降りた夜

DSCF40776日夜、上野と青森の間で7年前に廃止になった寝台特急はくつるのリバイバル運転が行われた。今日は団体専用列車としてびゅうプラザの旅行商品として販売された。

編成は2002年の廃止時と同様にEF81形が牽引する客車として走った。


DSCF407975bf9f66.jpg今日はEF81形の138番が牽引することになった。駅の中は、多くの撮影者であふれかえっていた。ブルートレインが貴重になる今、改めてブルートレイン人気の健在を感じさせた。機関車には丸型のヘッドマーク、客車には現役時代と同じ絵入りのヘッドマークが付けられた。

DSCF4071DSCF4080このはくつるは長年、東京と青森を結ぶ夜行列車として常磐線経由のゆうづるとともに活躍してきた。1982年の東北新幹線の大宮〜盛岡間の開通、85年の東北新幹線上野〜大宮間の開通後も規模を縮小しながらも走ってきた。

実は作者が乗車をしたことのある数少ない寝台特急がこのはくつるで、7年前の廃止直前に、十和田湖の紅葉を見るべく、上野〜盛岡間でB寝台で利用をしたのだ。その当時は、盛岡〜八戸間も東北本線だったので、特急はつかりなどに乗車をしたのも大変懐かしい。来年には東北新幹線も八戸〜新青森間も開通する予定だ。

DSCF4086おまけであるが、ホームライナー古河号には上野と金沢を結ぶ急行能登に使用される489系が運用で入る。しかもこの車両は貴重なボンネット車両だ。この車両だけ時代が止まっているように見える。上のブルートレイン同様に1980年代や90年代は当たり前のようなものが貴重なものになっている。

静岡やらまいか紀行2−1〜天竜二俣駅のレトロを訪ねて

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西鹿島駅からは天竜浜名湖鉄道で2駅先の天竜二俣へと向かう。この区間には天竜川があり、天竜川の対岸に駅がある。天竜二俣駅は、1940年の開業時から使っている木造の駅舎がそびえたつ。

天竜浜名湖鉄道は東海道新幹線の停車する掛川駅と湖西市の新所原駅を結ぶ鉄道路線で、国鉄時代は国鉄二俣線という路線であったが、国鉄民営化の直前の1987年に第三セクターの天竜浜名湖鉄道へと変わった。ちなみに東海道新幹線の掛川駅の開業は1988年なので、新幹線の停車後は、既に天竜浜名湖鉄道に変わっていたのだ。

th2105この天竜浜名湖鉄道の前身の国鉄二俣線は、戦時中に東海道線の浜名湖の鉄橋が壊された時の迂回ルートとしての機能を持たせるために建設された。ルートは遠州森や豊岡、遠州二俣、三ケ日など東海道線の北側の静岡県の中小都市を通過する。浜名湖は北岸を通過していく。まさに東海道線の裏ルートだろう。これが静岡という県の奥深さを表しているような気もする。現在建設中の第2東名高速道路は、この天浜線に沿って建設され、遠州森や二俣辺りに出入り口ができる予定だ。

578さて、この天竜二俣駅は、天竜浜名湖鉄道の本社もあり、天竜浜名湖鉄道の中心的な駅だ。この駅は、木造の駅もそうであるが、ここの車庫には今では珍しい扇形庫や転車台などもある。まさに古い時代が残っている駅なのだ。1940年の開通から約70年間変わりがないのだ。この駅は昔は、遠江二俣という駅であったが、天浜線への転換とともに、天竜二俣という駅に変わった。

扇形庫これが扇形庫と転車台の全景だ。線路からは、転車台を経由してこの扇形庫へ行くことになる。今の時代には非常に珍しい。確か京都の蒸気機関車の博物館にあるのを見たことがある。(すいません、ここはまだ未訪問です)転車台は、いわゆるターンテーブルと呼ばれ、SLが運転される場合はその駅にあることも多い。東京近辺では鉄道博物館や秩父鉄道の三峰口駅などで見たことがある。いずれもSLが活躍していた時代にはこれがよくつかわれたが、今では珍しくなっている。

天浜線の車両

DSCF3909今日は天竜浜名湖鉄道のTH3000系車両を使って転車台を体験するイベントもあった。乗車をしたかったが、あいにく整理券が残っていなかったので、その転車の様子だけ見てみることにした。この3000系車両は、2両しかない天浜線のツチノコのような車両で、色も京成のAE車の初期やJR東海などに残る117系の初期のようにクリーム色と茶色のツートンカラーになっている。この転車台は、鉄道博物館でC57形の転車のシーンを見たことがあるが、生の転車台を見るのは秩父鉄道の三峰口駅で見て以来だ。

天浜転車まずは、転車台の方向から3000系が入線する。回転のシーンはビデオに録画をしていたので、デジカメでは静止画がとれなかったが、携帯で、私の立っている正面にこの車両が現れたので、左の写真のようにこの姿を撮影した。前面が前に来ると迫力がある。5分程度でこの転車作業が終わる。転車前転車後

 

 

 

真中は、転車前の写真で、車いすスペースのマークが右にある。右が転車後の写真で、車いすスペースのマークが左にある。これが転車をした何よりの証拠だろう。

DSCF3912DSCF3913この転車終了後、天竜浜名湖鉄道のTH2100系が転車をする。場所は扇形庫へと向かうものだ。このTH2100系は、2002年以降に製造された新潟トランシス製の車両だ。この車両が大半を占めている。転車の際は、ロープが引かれ、安全を確保をしている。右の写真は転車中に撮影をしたものだ。これだけ大きく撮影をすることができる。

これらの扇形庫と転車台、天竜浜名湖鉄道の本社はなんと国の登録有形文化財に登録され、転車台は近代化産業遺産にも登録された。転車台や扇形庫は、この駅の硬券を買えば、入ることができるのだ。実は作者はこのことを全く知らなかった。ただ天浜線でイベントがあるということは知っていたが、そこまでは初めて知ったのだ。

そのレトロなイメージが伝わっている天竜二俣駅、まだまだレトロなものがこの駅にはあるのだ。なんか、赤い車両と青い車両がいるそうだ。この行方は次の2−2にて詳しく報告をする。

静岡やらまいか紀行1〜遠州鉄道のイベントに参加をする

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11月1・2日に行った静岡の遠征記録。今日から何回かその話題になるが、その第1弾として今日は、静岡県の浜松市を走る遠州鉄道の話題を取り上げたい。なおタイトルの「やらまいか」というのは静岡県西部の方言の一つでやってみようという意味で、今回のタイトルとした。

遠州鉄道は、JR浜松駅と隣接する新浜松駅と西鹿島駅の17.8kmを結ぶ路線で、現在はすべて浜松市に所属するが、浜松から北の旧浜北市・旧天竜市を目指す鉄道路線だ。線路は概ね天竜川などが作り出す浜松平野を走る。この遠州鉄道には、2006年の年始に乗車をしたことがある。(参考記事はこちらです)

DSCF3881赤電ジャー今日は遠州鉄道のイベントが、終点の西鹿島駅で行われた。この遠州鉄道は、車体の色から赤電と呼ばれている。赤電と言うと幣ブログでは、京成・・・と言いたいが、ここの赤電はどちらかといえば、京急の色合いに近い。ちなみに遠州鉄道では、赤電というのは踏切での安全性を高めるために採用された色だ。イベントにはアカデンジャーというこの遠州鉄道のイメージキャラクターらしきヒーローも来ていた。

DSCF3878DSCF3875この遠州鉄道は、主に1000系と2000系車両が走る。いずれもこの浜松と近い豊川の日本車輛で製造された。外見はどちらも良く似ているが、窓の大きさは、京急の2000形を彷彿させるほどよく似ている。側面の窓は京成の3500形の未更新車両と似ているように見える。1000系は1980年代から90年代、2000系は90年代の後半から製造された。

違いは、1000系のドアがステンレスでできているのに対して、2000系はステンレスのドアでないところがある。また2000系の足回りはVVVFだ。写真の2000系の2004Fは、2008年に製造され、座席にスタンションポールがあるなどの特徴もある。

DSCF38581000系の1006Fは、新浜松からの記念列車で運転され、室内では休憩車両として使われた。1007Fは車庫の洗車体験の車両として30分おきに運転された。

1000系・2000系とも車内は千代田線の6000系の初期車両のように貫通路がシェル字形になっている。

遠州鉄道パネル1遠州鉄道パネル2

検査車両の外に、パネルも置かれ、そこには現在の新浜松駅に乗り入れる以前の遠州馬込駅でのスィッチバックの写真などが展示していた。この遠州馬込駅は、浜松駅の東側から少し離れた場所にあったそうだ。1980年代の新浜松駅高架工事完成までは、新浜松駅からなんと方向を東へ向かい、そこからこの駅でスイッチバックをして、北に方向転換をして西鹿島へと向かった。これは今尾恵介氏の本で読んだことなので実際はどうだったかよくわからなかったが、今尾さんの本を読んで興味を持っていた。今でこそ新浜松から数キロは高架区間であるが、これも線路を大幅に変更した影響だろう。

DSCF3876遠州鉄道旧型車両2

西鹿島駅の側線には、遠州鉄道の30形車両という車両がとまっていた。これらの車両は、主に平日の朝夕に走る。この顔は、いわゆる湘南形ともいわれる昔よく見られた顔をしている。もしくは、日車標準型かな・・・しかし、この車両、どう見ても京急の昔の車両に似ているような気がする。1000系・2000系が前述の遠州馬込駅廃止後の車両だ。これがエポックメイキングであることを考えれば、それ以前の車両も交じって活躍をしている。この車両には後ほど乗車をしたので、こちらに乗車記は書く予定なのでお楽しみに。次は、約3km離れた天竜浜名湖鉄道の天竜二俣へと足を運ぶ。

昨夜の京成の赤電劇場

b86468a7.jpg3日に上野で撮影した京成の赤電のファイアーオレンジの3312Fです。

京成上野駅でファイアーオレンジの赤電を見るのはとても久々だ。今回、ファイアーオレンジの赤電を見たのは偶然だった。というか私が小さい時には毎日のように見ていたこの車両、久々に上野駅で見るのはなんだか懐かしさと新鮮さが感じられた。

上野でのファイアーオレンジ2上野でのファイアーオレンジ1乗車をしたのは夕方から夜の時間帯だ。土休日は4両編成の上野乗り入れは、朝の早い時間帯か夕方の数時間しかないので、数は限られる。当然この列車に乗る。上野からこのファイアーオレンジの赤電に乗るのも何年ぶりかだ。高架になった日暮里駅を過ぎ、隅田川も荒川もこの色の車両で越えるのは、久々だ。そして葛飾区内のおなじみの箇所も通過する。この辺りは、当時赤電のファイアーオレンジを見ていた場所としても作者が最も懐かしい場所だ。

小岩でのファイアーオレンジ1小岩でのファイアーオレンジ2京成小岩駅で、浅草線方面からの快速との緩急接続を行うために4番線に着く。その時に数分停車をした。快速が3番線を通過したその後、2番線に4両編成の各駅停車上野行きが来た。その注目の車両はなんと・・・

 

赤電ツートン小岩3300形の3324Fのツートンの赤電だった。なんと同じ駅にファイアーオレンジの赤電とツートンの赤電が同時に止まっていたのだ。なんという奇跡的なことが起きたのだ。京成の話題の二つの車両が、同じ駅で止まっていたのだ。

 

このあと、江戸川を越えて、国府台駅で同伴をしていたdiamond next様と別れ、私は一度八幡駅までこの列車に乗車し、数分後に来た上野方面の特急に乗車し、この3324Fのツートンの赤電を追いに日暮里まで向かった。日暮里駅では、新駅舎とツートンの塗装を撮りたかったからだ。

赤電ツートン日暮里1赤電ツートン日暮里2これが、日暮里駅でのツートンの赤電の3324Fだ。このシチュエーションで撮影するのは、日暮里駅が高架になった一月ほど前に3356Fの青電で撮影して以来だ。(記事の内容はこちらです)今夜のこの記録に同伴したdiamond next様、ありがとうございました。

余談

京成3050 その6・3050形の3053Fが昨夜、愛知県の豊川の日本車輛の工場から逗子まで甲種回送をされたそうだ。近々、金沢八景と宗吾参道までの回送がまたまた予定されそうだ。この3050形は、製造年度が2010年(平成22年)になっているそうだ。

昨日のまとめ

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昨日まで浜松周辺にいました。遠州鉄道の旧形車両や浜名湖での新幹線の撮影、そして浜松で餃子を食べたりしました。
今夜以降、昨日一昨日の報告を行いますのでお楽しみに

やはり最後は

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天竜二俣駅では駅の中に展示しているキハ20形とあの20系客車が車内公開なので行ってきた。20系客車の中がみられるのはとても貴重だ。
やはり最後は天竜二俣から35km離れた今日閉鎖の佐久間レールパークへと向かった。しかしやっとここが浜松市だというのがわかった。

今日の行き先

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今日は静岡の西側に出かけています
一つ目はこちら。まずは遠州鉄道の西鹿島に来ています
二つ目は天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅での車庫見学でこっちはターンテーブルの体験などがあった。
そしてこの近くではまもなくフィナーレを迎える

今日はどこへ?

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今日は自動車で移動中。ここの名物はメロンパンですか

佐久間レールパークの記事の紹介

ED1111月1日、静岡県浜松市(旧佐久間町)の飯田線中部天竜駅にある佐久間レールパークが閉鎖をする。

佐久間レールパークなきあとは、2011年の名古屋市に開館する予定のJR東海博物館に展示車両が移設する予定だ。

このあらかわ交通ノートでの佐久間レールパークの記事を紹介します。作者は、今年の4月4日に佐久間レールパークを訪問をしているので、この模様を4月のあらかわ交通ノートでは取り上げた。その記事をここでは紹介をする。

1・佐久間レールパーク訪問記1 懐かしい電車に会う  2009年4月8日分

佐久間レールパークに展示をされている旧形国電や電車の紹介。

2・佐久間レールパーク訪問記2 気動車と電気機関車に会う  2009年4月10日分

4月の車内公開で展示されたキハ48000型の車内公開の様子や電気機関車の紹介など

3・佐久間レールパーク訪問記3 客車たちを見る  2009年4月10日分

旧型客車を外から見た様子を伝えた。

4・佐久間レールパーク訪問記4 レールパーク号乗車記など  2009年4月12日分

佐久間レールパークの展示室の内部と中部天竜〜豊橋間を走った117系の佐久間レールパーク号の乗車記

181しなのクモハ52明日と明後日は、月毎に公開をしていたすべての車両が公開される予定だ。それは4月のキハ48000型だけでなく、6月のキハ181形、9月の111系、10月のクモハ52型などもみられる。キハ181形やクモハ52形は気になる車両だから見に行きたいけど、混雑が懸念されそうだ・・・

この佐久間レールパークの面白いところは、昭和時代の車両が一堂に集結し、古い時代の鉄道を身近に感じさせるところにあるのだろう。確かに鉄道博物館の特急車両に比べると少し地味な所もあるが、レトロさを感じさせるという点ではさまざまな勉強になった。知らない時代のことを知ることができた。

キハ75形この佐久間レールパークの最終開館日に合わせて11月1日には、豊橋〜中部天竜間には数多くの佐久間レールパークフィナーレ号という臨時列車が走る予定だ。その中でも、快速みえなどで使用をしているキハ75形などを使った臨時列車も走る予定だ。特に飯田線をディーゼルカーが走る姿は貴重かもしれない。ともあれ、明後日の閉館まで無事であってほしい。

 

京成の新旧3050形

611780d1.jpg京成3668 先日、愛知県の豊川の日本車輛から逗子の東急車輛へと第2編成が回送された京成の3050形であるが、28・29日と金沢八景から宗吾参道の間で甲種回送が行われたそうだ。私は多忙などで見に行くことができなかったが、私の友人が京急線内で撮影した3050形の写真をこちらでは掲載します。28日は上野側の4両、29日には成田空港側の4両が回送された。今回も、3600形の6両編成のターボ搭載車両が牽引にあたった。

京成の3050形は成田新高速鉄道の開通までに合計6編成が増備される予定だ。予想では、8両編成でこの成田空港発着の一般特急を中心にその他の時間帯は上野〜船橋〜成田空港の特急や浅草線直通の特急(快速特急など)にも使われることを作者は予想をしている。

3050形と言えば、その昔は、1960年の都営浅草線(当時は1号線という名称だった)乗り入れを前に、その前年の1959年に標準軌で初めて生産された赤電の車両としても知られている。前年に馬車軌で登場をした旧3000形に続いての車両生産となり、1995年までの約35年間京成線を駆け抜けた車両だ。この車両のデビューから奇しくも50年となった今年、同じ番号の車両が京成としては浅草線乗り入れに並ぶ大型プロジェクトの成田空港への新路線開通・高速化という新しい時代の車両として生まれることになった。これはまさに歴史の偶然という言葉でしか言いようがないだろう。

旧3050形(ここからこの車両のことは旧3050形と表記する)は冷房改造が後回しになり、1990年頃までめくり板を装備していたが、最後の数年は、種別幕と行き先幕をつけて走っていた。外見が当時活躍していた3100形とも似ていて、旧3050形とあまり区別がつかなかったことも多かった。運用は特急から各駅停車まで幅広く使われ、特にめくり板の時代の優等列車は、六角形の特急、丸の急行などの種別板を前面に出し、誇らしく走っていた。それに片開きドアで、車内は窓が大きく開放感があった。車内の色は、旧3000形同様に小豆色の車内だった。しかしドア上の旧3000形と同じく広告の枠が小さく、それが古い車両を思わせるものだった。

keisei 3300 takasago2京成3300ファイアー青戸この車両の塗装は、現在3300形の3324Fが纏っているツートンの赤電を初めて新製時から採用をした。(※1)1980年代以降は3312Fが纏っているファイアーオレンジの塗装に変わった。1993年から採用している現在の京成の塗装には、この車両は1両も纏わなかった。そして忘れてはならないのが、完全廃車前の1994年秋にツートンの塗装で、リバイバル運転を行ったことだろう。このツートンのリバイバル塗装の第1回目となったのがこの旧3050形だった。94年のリバイバル塗装のときは、始発から終点までずっとこの旧3050形に乗っていた覚えがある。

旧3050形の廃車から15年、姿形を変えて新しい活躍をするこの車両に期待をしたいものだ。

旧3050形の写真はありませんでした。こちらは申し訳ありません。

※1 旧3000形は、デビュー時は現在3356Fが纏っている青電塗装でデビューをし、のちにツートンの赤電に変わった。

新幹線とバスで行く新横浜

9a03ce7f.JPG 10月14日、作者は、新横浜へと足を運んだ。その理由は、横浜アリーナで行われた広島出身の3人組の歌手のライブを見に行くためだ。なお、この広島出身の3人組の歌手のライブへ行くのは今年の8月の新潟に続いて2度目だ。(新潟への道中の内容はこちらです)

行きは東京〜新横浜間で新幹線で乗車をした。今回、新横浜まで乗車をしたのは、JR西日本所属の700系だった。私は700系の中でもこっちのほうが好きだ。一度、岡山⇒東京間でのぞみで乗車をしたことがあるので今日の乗車は2度目だ。

西の700系本当は新横浜くらいだったら自由席の多いこだまで行こうかと考えていたが、西日本の700系車両のほうがよいと思い、自由席は少なくてもこれに乗ることにした。東海の700系と西日本の700系の違いは、東海の700系は、明るめの色の配色に対して、西日本の700系が落ち着いた濃い色の配色だからだ。全体的に山陽新幹線のひかりレールスターの自由席のコンセプトをこの西日本の700系では受け継いでいる。また側面の表示が、西日本の700系ではLEDになっている。全体的にJR西日本の車両のイメージをそのまま出しているのだ。この西日本の700系が好きなのは、居住性の高さに理由があるからだ。

今、この会社は脱線事故の情報漏えいなどの不祥事に揺れているが、車両面に関しては相変わらず評価が高い。

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東京駅では700系の向かいに500系が博多行きののぞみとして停車をしていた。これからライブを見る3人組の歌手の出身地の広島も通る。500系の東海道新幹線乗り入れは11月の半ばからは1日1往復だけになる。隣には東北新幹線のE2系も止まっている。1997年にデビューをした同士の新幹線の顔が並ぶのはあとわずかになった。

夕方という時間帯もあり、自由席は満席だ。東京駅から20数分で新横浜駅に着く。しかしながら東京・品川〜新横浜間と乗車する人も多い。この新幹線は新大阪へと向かう。

新横浜駅新横浜駅は、在来線で行くと乗り換えが多く、結構行きにくいこともある。増してや東京都心部の東側からの場合は尚更そう感じる。(西側からであれば、東急東横線で渋谷から菊名まで出て、菊名から新横浜まで行く方法もできる)新横浜駅は、2008年3月のダイヤ改正以降は全ての新幹線が停車するようになった。また関東の駅百選にもこの駅は選定されている。

新横浜からの帰りは、新横浜から東急田園都市線溝の口駅・南武線武蔵溝ノ口駅までの第三京浜を通る路線バスに乗車をした。

このバス以外にはどの手段があったかといえば、横浜線で菊名まで行き、菊名から東横線、横浜線で町田まで行き、町田から小田急で新宿というのもあった。それ以外にもあざみ野まで横浜市営地下鉄ブルーラインで行き、あざみ野から田園都市線というのもあった。

7ebed1dc.JPG新横浜〜溝の口間のバスに乗ったのも、確実に座りたかったからだ。一度横浜アリーナへ行ったときに、帰りにこのバスに乗った覚えがある。(当時の自宅は、溝の口から自宅まで田園都市線・半蔵門線に乗れば、乗り換え1回で済んだこともあった)この路線バスは、新横浜と溝の口を結ぶことで、東急田園都市線の多摩川から都内側を中心とした地域や南武線の沿線から新横浜駅へ行く利便性を高めている。南武線の沿線は、新横浜駅など東海道新幹線の駅へ行くには、案外不便だからだ。

このバスの車両は、座席が少しリクライニングができるいわゆるワンロマというバスが使われる。もちろん吊り革などはない。なぜならこのバス路線は全席定員制だからだ。理由は、このバス路線が、高速道路を通るからだ。新横浜駅からは、途中2002年サッカーワールドカップの決勝の舞台で、横浜Fマリノスの本拠地の横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の近くでも乗降を行う。ここはサッカーだけでなく、コンサートも行われ、横浜アリーナと並ぶ新横浜の2大集客施設だ。

第3京浜の港北インターチェンジが新横浜駅と近いので、ここから高速道路に乗る。この路線は、高速道路を使用をした路線バスなのだ。鉄道では行きにくいところを届かせているような路線だ。高速道路での一般バス走行というと、都バスでは昔はあったが今はない。第三京浜は高速道路で80kmくらいの速度を出す。港北インターから7〜8分で、京浜川崎インターに着く。ここで降り、また10分くらいして(武蔵)溝の口駅に着いた。新横浜からの所要時間は約30分だった。値段は400円で、suicaなどでも乗車ができる。混雑している列車とは裏腹に快適に変えることができた。溝の口からは、東急田園都市線などに乗って自宅に帰ることにした。

ある朝の三ノ輪橋での光景

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ここは都電荒川線の終点の停留所の三ノ輪橋だ。ここは関東の駅百選に選ばれた停留所だ。

その三ノ輪橋にある日の朝、このような光景を目撃をした。最新鋭の8800形車両と旧塗装に塗られている7000形の7022Fがここに並んだのだ。これだけみると都電荒川線の色が何色かどうかわからなくなっている。しかし、古い色と最新の色の並びを撮れたのは偶然ともいえよう。私はいまだに8800形には乗車をしたことがない。色が沿線に咲き誇るバラをイメージをしているようだ。

三ノ輪プレートプレートと7500この三ノ輪橋停留所は関東の駅百選にも選定されたのは前述のとおりだ。ここはバラが咲き誇る停留所として選ばれた。確か関東の駅百選のスタンプは、荒川車庫にあった覚えがある。三ノ輪橋停留所は、日比谷線三ノ輪駅からも歩いて5分、常磐線・つくばエクスプレス南千住駅からは歩いて10分以上かかる。三ノ輪橋の橋は、かつてあった石神井川の支流音無川の橋がこの辺りにあったからだそうだ。なので三ノ輪橋という橋の名前の地名だけが残っている。

minowa8800ちなみに荒川という自治体で関東の駅百選に選ばれたのは、先日紹介した埼玉県旧荒川村の三峰口駅と東京都荒川区のこの停留所だけだ。荒川村は秩父市に合併してしまったので、この駅が荒川という自治体名で唯一の選定地になってしまった。

都電荒川線は、つりかけモーターの車両が今でも走り、さらに9000形のようなレトロ車両をイメージした車両、8800形のような先進的な車両もあり、今後もいろいろな車両に会えそうだ。

紅白の並びが実現?〜10月の京成赤電を撮る〜

10月17日の新京成電鉄のイベントに、前後する形で京成の3300形の赤電を乗車・撮影をしたので、その模様をお届けする。

京成3300ツートン高砂1017京成3300赤電ツートン金町17日の京成の3300形は、ツートンの赤電が一日中高砂〜金町間の運用に入り、ファイアーオレンジの赤電は、千葉線の津田沼〜ちはら台間を走っていた。青電は朝早い時間帯に高砂の車庫に入庫してしまったようだ。まずは、新京成のイベントに行く途中で、高砂〜金町間でこのツートンの赤電に乗車をした。3300形のツートンの赤電でこの区間に乗車をするのは初めてだ。もちろん、この塗装での3050形・3200形の片開きドアでのリバイバル運転の時には乗車をしている。

(前にこのツートンになった3200形片開きドアの記事は2007年1月22日分2007年2月25日分 そして開運号のリバイバルの2007年1月28日分などにあります)

新京成の車庫見学後、くぬぎ山から津田沼方面へと向かった。その目的は、千葉線にファイアーオレンジが走っていたので、ファイアーオレンジを追うことにしたのだ。

京成ファイアーオレンジ津田沼2京成ファイアーオレンジ津田沼京成津田沼駅で待つこと数十分、3300形のファイアーオレンジが来たのだ。京成の3300形のファイアーオレンジの時代には、ちはら台までの列車はなかった。(その当時は千原線は千葉急行で、大森台が終点だった)昼間の時間帯の千葉線・千原線は京成津田沼駅では5番線から発車する。

ファイアーオレンジとフルカラー3002京成3002F4番線には、特急の待避をする各駅停車のうすい行きが停車している。この各駅停車うすい行きには、先日フルカラーLEDになった3000形の3002Fが止まっていたのだ。ファイアーオレンジの車両とフルカラーLEDの京成の今の話題の車両が2つここで並んだのだ。一方は、もう一方はとここで紅白の模様を演じているのだ。2009年版京成紅白の共演と言ってもいいような並びだ。

話は違うが、3050形の第2編成(3052F)の愛知県豊川の日本車輛からの回送も先日行われ、来月には3本目も予定されるそうだ。これらが増備されると3300形の行方はどうなるものか。噂では、成田高速鉄道開通後の運用増加分だから、3300形や3500形の未更新車両には影響が出ないという話もあるが、そればかりはわからない。ただ3050形が3300形などに影響を与えるのは確かだ。

・この記事は、10月17日分の「アド街・柴又を前に」の記事を改修する形で、10月17日の赤電の記録として再編集をしました。

秩父秋物語2 秩父鉄道に完全に乗る

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10月10日の秩父秋物語であるが、その第2弾をここでは書く。

前の作では道の駅「あらかわ」を訪問後、作者は武州日野駅へと向かう。武州日野駅への途中に荒川に架かる荒川橋と日野鷺橋の二つの橋からの荒川の景観を楽しむ。上流(秩父湖方面)は渓谷として谷が深まり、下流(長瀞・葛飾方面)は平地が広くなっていく。このあたりは上流下流がはっきりわかるようだ。

秩父鉄道オレンジ武州日野駅も旧荒川村にある。ここからは秩父鉄道に乗る。ここで来た車両は、16時31分発の初乗車となる7000系車両だ。線路の向かいにはオレンジの1000系も停車している。

7000系は主に田園都市線で走っている東急8500系の初期車両が5000系の投入で廃車になったものを購入した。田園都市線でもこの車両は依然として健在で、地下鉄半蔵門線や東武伊勢崎線にも乗り入れている。埼玉県でも東武伊勢崎線に続き、2路線目の活躍になる。この7001Fはつい最近までは、先日まで埼玉県を舞台にして放送されていたNHKの連続テレビ小説つばさのラッピング車両だった。

秩父鉄道7000系7000系に乗った感想は、これまでの主力の1000系に比べればなんと静かな車両なのかと思った。しかも田園都市線・半蔵門線で乗車しているのとは同じ車両なの?と本気で思った。前者は1000系が国鉄の101系から見ると経年45年以上で、通勤型車両の草創期の車両だったので、技術も古いものがあるのはある面仕方がない。後者は、田園都市線や半蔵門線は、一区間距離が短く、高加減性能が求められる。この秩父鉄道では、一区間距離は短くなく、高加減性能もあまり要しないので、性能が発揮されないので、そう思うのかもしれない。

この車両に御花畑・秩父・和銅黒谷・皆野と荒川に沿う形で北に向かう。標高も下げていく。親鼻と上長瀞の間で荒川の最上流に架かる鉄橋を超える。この車両で荒川を越えるのは初めてだ。この車両のタネ車の東急8500系は半蔵門線経由で東武伊勢崎線に乗り入れ、北千住〜小菅間で荒川を越える。同じ車両が二箇所で荒川を越えるのだ。荒川とは縁の薄かった東急の車両が荒川をこえるようになったのも時代の流れかもしれない。

やがて連続テレビ小説つばさのロケ地にもなり、関東の駅百選にも選ばれた長瀞駅を通過する。ここでは1000系の水色の車両にも出会う。今日は1000系の7種類すべての車両が出ている。ここからは荒川の渓谷に沿って走っていく。この渓谷は秩父の山と関東平野の境界線といえよう。

夕日の秩父鉄道の小豆1夕日の秩父鉄道の小豆2そして寄居駅に着く。いったんこの駅で降りる。ここからは、乗った列車の12分後に到着をする。急行秩父路に乗車をする。この寄居駅では、向かいには、あずき色の1000系が来た。紫色の夕焼けに映える1000系を撮ってみた。もうこの時間帯が日が落ちる時間になったようだ。寄居駅からは急行秩父路に乗る。寄居駅を境に秩父鉄道の風景は一変する。これまでは荒川の谷沿いの風景であったが、この辺りからは荒川の扇状地に地形が変わるとともに、風景には広い関東平野が現れ、水田などが目立つようになる。この風景の劇的な変化ぶりも秩父鉄道の面白いところだろう。

秩父路の6000系急行秩父路には西武の101系を改造した6000系が使われている。西武時代の独特の走行音は健在だ。この音を鳴らしながら走る姿は、西武でもあるが、西武時代のようなキレがあまり感じなかったような気もする。この車両は西武時代は3ドアの車両であったが、2ドアに改造され、座席も西武の10000系レッドアローの更新前の座席を使っている。まさに秩父鉄道でありながら、味は西武の車両なのだ。座席も向い合せになっている。本当に京急2000形と真逆のことをしたのだ。風景は暗くなったのであまり見えなかったが、荒川の橋の中ではトップクラスの長さを誇る押切橋の下などを越え、熊谷を目指す。上越新幹線の橋桁に沿って走れば、熊谷駅は近い。地元のデパート・八木橋百貨店の看板も新しいものに変わった。熊谷で下車する。向かいには寄居まで乗っていた7000系が止まっている。

急行秩父路は200円の急行料金を要するが、寄居駅では時間ぎりぎりだったので買えず、車内でも検札がなく(ワンマンなのでしょうがないか)、どこで急行料金を払ったかといえば、熊谷駅の駅係員に払ったのだ。この急行秩父路に乗るのは200円を要する。これは速達代としての200円だそうだ。まあ、西武の特急型車両の座席に座れることを考えれば、ただで座るのはちょっと惜しいかもしれない。

秩父7000系熊谷熊谷のカナリア熊谷からは、羽生へと向かう。実は秩父鉄道の熊谷〜羽生間は埼玉県の鉄道では唯一の未乗車区間だったのだ。熊谷駅には、さっきあらかわの道の駅で見たカナリヤの1000系が止まっている。写真の7000系とカナリヤ以外では、5000系車両(元・都営三田線6000系車両)が駅の外の側線に3本が留置していた。今日の主役は1000系のようだ。熊谷駅で羽生方面の列車は、高校生や中学生で埋まっている。来たのはオリジナルの1000系だった。

秩父鉄道1000系オレンジ羽生秩父鉄道1000系羽生この区間は、これまでの秩父鉄道の区間とは全く違う。貨物列車が来ないのだ。それくらい秩父鉄道といえば貨物なのだ。しかし貨物ではないが、東武鉄道が東上線と伊勢崎線系統で車両の異動や検査がある時や東武鉄道の新型車両が熊谷貨物ターミナルから伊勢崎線系統に運ばれるときは、この区間を走る。この区間は、秩父鉄道でありながら東武色も濃い地域なのだ。車両がガタガタガタガタ揺れる。座席も車内も昔のままだ。風景は見えなかったが羽生駅に着く。これで秩父鉄道を全区間乗りとおすことができた。羽生まで来れば秩父というイメージがあまり強くない。この秩父鉄道自体が埼玉県の都市間を結ぶ環状鉄道のようなイメージもする。特に東武鉄道にとればこの区間が重要なことがよくわかる気もする。

余談であるが秩父鉄道の駅にはなぜかアフラックのポスターが多く、それも篤姫の主演で有名な某女優のポスターがいろいろな駅に貼ってある。

東武30000二子新地羽生からはバスでイオン羽生へと向かい、食事後に東武伊勢崎線経由で帰京する。羽生〜久喜間は30000系に乗り、久喜からは半蔵門線直通の東急の5000系に乗った。一度越えた荒川であったが。東武伊勢崎線の小菅〜北千住間で越え、先ほど、秩父鉄道線内で、東急8500系の譲渡車の7000系で越えたので、今日は2度の荒川越えはともに東急の車両だったのだ。

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特急あらかわ
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特急あらかわとは・・・
・特急あらかわの自己紹介
名前の由来は,荒川流域が作者の出身地なので名づけた。作者の荒川への思いなどを伝え,その名前を広める事にした。特急になったのは,あらかわという名前の列車が,栄光の花形列車になってほしいとの思いもある。

・鉄道では,生まれ育った京成線や西武線をはじめ,地下鉄(特に浅草線や千代田線や東西線),青春18きっぷの旅などをこよなく愛し,それらの思いなどを伝えている。
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