あらかわ交通ノート Arakawa Traffic Note

当ブログは鉄道を中心に,道路や水上交通のインフラ河川,地理などを主に取り上げるブログです。名前には,交通という言葉がついていますが,交通を中心に町や地域の事などを中心に取り上げていきます。中には鉄道や交通に対するディープな話題なども取り上げます。

Runner〜中野駅発の特急列車〜

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今日は新宿駅の跨線工事の影響で、新宿発の多くの列車が運休もしくは区間変更になった。そんな中、中野駅は、今日は山梨・長野方面の特急あずさ・かいじの発着駅になり、中野発着の特急列車が運転された。車両はE351系の特急スーパーあずさだ。その為、中野駅は今日は、プチ山梨・長野へのターミナル駅となり、駅弁や銘菓などの販売もあったのだ。普段は中央線の快速の上り線が使う7・8番線が特急ホームになったのだ。

タイトルは、中野駅の話題に合わせて、中野という姓のメンバーがボーカルを務めるバンドの代表的な曲名から取った。

今日の中央線は、快速運転が中止され、すべてが各駅停車で運転された。三鷹〜御茶ノ水間では総武線も乗り入れ、この区間は2分30秒間隔という高密度で列車が運転された。また、地下鉄東西線は中野〜三鷹間の乗り入れが終日中止された。オレンジの中央線は、中野発の時点で上りも下りも立ち席が多く、平日のラッシュ並みの乗車率の列車もあった。しかし黄色の総武線は、余り混んでいなかった。

中野の201その2中野の201その1しかしそのオレンジの中央線にもサプライズがあった。なんと2本しかない201系が来たのだ。日中に各駅停車の表示をするのはもう見られないかもしれない。201系の貴重なシーンだ。まさに最後の朱いオレンジの舞が出たのだ。

その他、新宿発着の成田エクスプレスは東京か品川始発になり、埼京線と栃木方面を目指す特急日光・きぬがわ、快速フェアーウェイは池袋発着になった。

以前、この工事の時の山手線は、埼京線や湘南新宿ラインの運休もあって、普段よりも混雑をしていたのを見たことがあるので、今日は山手線には乗りたくなかった。日本一の混雑区間の新宿〜渋谷間はもちろんのこと、その激しい混雑が池袋〜渋谷間にも続いていた。副都心線が開通したからこの日本一の混雑も解消に期待をしていたが、やはり山手線の威力は相変わらずという感じがしてならない。

京成の記念列車撮影会と臨時列車の運転へ

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11月28日に宗吾参道の車両基地で「100周年記念列車撮影会」が行われる予定だ。これは、現在走っている3300形の青電ツートン赤ファイアーオレンジの3色を並べて撮影会が行われる。参加ができるのは150名の限定で、11月16日の必着で応募をしなければならない。(京成のホームページの情報はこちらから)ただ当選ができるかどうかはこればかりはわからない。それ以外にも新AE形や3050形も撮影ができれば幸いなのに・・・

赤電小岩1京成3300ファイアー青戸その28日には、3300形を使用した臨時特急ミラフォレスタ号も走る予定だ。車両は、青電かツートン赤電・ファイアーオレンジのいずれかが使われる予定だ。上野発は10時36分で、成田行きの特急として走る。停車駅は、特急の停車駅に市川真間を加える。成田到着は、12時21分になる予定だ。久々に3300形の特急としての本格的な雄姿が見られそうだ。(詳しくはこちらです)ミラフォレスタとは、京成で3駅(※1)選ばれた関東の駅百選の1駅の公津の杜駅で行われるライトアップイベントで、ほぼ毎年開催をしている。

京成3002快速京成3002快速2それ以外では、八千代台のユアエルムで、京成の百周年記念のパネル展が開催されている。これは15日まで開催されている(詳しくはこちらへ)

最後になるが、先日京成史上初のフルカラーLEDの車両となった3000形の3002Fであるが、今夜上野駅で快速に充当されている姿を見たので、こちらに写真を貼る。快速の色は、桃地に白色だ。この列車は上野〜高砂間の快速として走り、6両編成が入ることが多い。この列車は、青戸で浅草線方面から来る快速特急もしくは通勤特急に接続する。つまり特急種別への区間リリーフのような列車なのだ。


※1 京成で関東の駅百選に選ばれたのは、柴又・成田空港とこの公津の杜の3駅で、周辺会社に当たる新京成・北総・芝山・山万を含めると、新京成は鎌ヶ谷大仏、北総は印西牧の原・印旛日本医大が選ばれ、山万と芝山では選ばれていない。京成電鉄と周辺会社では合計6駅選ばれている

はくつるが舞い降りた夜

DSCF40776日夜、上野と青森の間で7年前に廃止になった寝台特急はくつるのリバイバル運転が行われた。今日は団体専用列車としてびゅうプラザの旅行商品として販売された。

編成は2002年の廃止時と同様にEF81形が牽引する客車として走った。


DSCF407975bf9f66.jpg今日はEF81形の138番が牽引することになった。駅の中は、多くの撮影者であふれかえっていた。ブルートレインが貴重になる今、改めてブルートレイン人気の健在を感じさせた。機関車には丸型のヘッドマーク、客車には現役時代と同じ絵入りのヘッドマークが付けられた。

DSCF4071DSCF4080このはくつるは長年、東京と青森を結ぶ夜行列車として常磐線経由のゆうづるとともに活躍してきた。1982年の東北新幹線の大宮〜盛岡間の開通、85年の東北新幹線上野〜大宮間の開通後も規模を縮小しながらも走ってきた。

実は作者が乗車をしたことのある数少ない寝台特急がこのはくつるで、7年前の廃止直前に、十和田湖の紅葉を見るべく、上野〜盛岡間でB寝台で利用をしたのだ。その当時は、盛岡〜八戸間も東北本線だったので、特急はつかりなどに乗車をしたのも大変懐かしい。来年には東北新幹線も八戸〜新青森間も開通する予定だ。

DSCF4086おまけであるが、ホームライナー古河号には上野と金沢を結ぶ急行能登に使用される489系が運用で入る。しかもこの車両は貴重なボンネット車両だ。この車両だけ時代が止まっているように見える。上のブルートレイン同様に1980年代や90年代は当たり前のようなものが貴重なものになっている。

静岡やらまいか紀行2−1〜天竜二俣駅のレトロを訪ねて

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西鹿島駅からは天竜浜名湖鉄道で2駅先の天竜二俣へと向かう。この区間には天竜川があり、天竜川の対岸に駅がある。天竜二俣駅は、1940年の開業時から使っている木造の駅舎がそびえたつ。

天竜浜名湖鉄道は東海道新幹線の停車する掛川駅と湖西市の新所原駅を結ぶ鉄道路線で、国鉄時代は国鉄二俣線という路線であったが、国鉄民営化の直前の1987年に第三セクターの天竜浜名湖鉄道へと変わった。ちなみに東海道新幹線の掛川駅の開業は1988年なので、新幹線の停車後は、既に天竜浜名湖鉄道に変わっていたのだ。

th2105この天竜浜名湖鉄道の前身の国鉄二俣線は、戦時中に東海道線の浜名湖の鉄橋が壊された時の迂回ルートとしての機能を持たせるために建設された。ルートは遠州森や豊岡、遠州二俣、三ケ日など東海道線の北側の静岡県の中小都市を通過する。浜名湖は北岸を通過していく。まさに東海道線の裏ルートだろう。これが静岡という県の奥深さを表しているような気もする。現在建設中の第2東名高速道路は、この天浜線に沿って建設され、遠州森や二俣辺りに出入り口ができる予定だ。

578さて、この天竜二俣駅は、天竜浜名湖鉄道の本社もあり、天竜浜名湖鉄道の中心的な駅だ。この駅は、木造の駅もそうであるが、ここの車庫には今では珍しい扇形庫や転車台などもある。まさに古い時代が残っている駅なのだ。1940年の開通から約70年間変わりがないのだ。この駅は昔は、遠江二俣という駅であったが、天浜線への転換とともに、天竜二俣という駅に変わった。

扇形庫これが扇形庫と転車台の全景だ。線路からは、転車台を経由してこの扇形庫へ行くことになる。今の時代には非常に珍しい。確か京都の蒸気機関車の博物館にあるのを見たことがある。(すいません、ここはまだ未訪問です)転車台は、いわゆるターンテーブルと呼ばれ、SLが運転される場合はその駅にあることも多い。東京近辺では鉄道博物館や秩父鉄道の三峰口駅などで見たことがある。いずれもSLが活躍していた時代にはこれがよくつかわれたが、今では珍しくなっている。

天浜線の車両

DSCF3909今日は天竜浜名湖鉄道のTH3000系車両を使って転車台を体験するイベントもあった。乗車をしたかったが、あいにく整理券が残っていなかったので、その転車の様子だけ見てみることにした。この3000系車両は、2両しかない天浜線のツチノコのような車両で、色も京成のAE車の初期やJR東海などに残る117系の初期のようにクリーム色と茶色のツートンカラーになっている。この転車台は、鉄道博物館でC57形の転車のシーンを見たことがあるが、生の転車台を見るのは秩父鉄道の三峰口駅で見て以来だ。

天浜転車まずは、転車台の方向から3000系が入線する。回転のシーンはビデオに録画をしていたので、デジカメでは静止画がとれなかったが、携帯で、私の立っている正面にこの車両が現れたので、左の写真のようにこの姿を撮影した。前面が前に来ると迫力がある。5分程度でこの転車作業が終わる。転車前転車後

 

 

 

真中は、転車前の写真で、車いすスペースのマークが右にある。右が転車後の写真で、車いすスペースのマークが左にある。これが転車をした何よりの証拠だろう。

DSCF3912DSCF3913この転車終了後、天竜浜名湖鉄道のTH2100系が転車をする。場所は扇形庫へと向かうものだ。このTH2100系は、2002年以降に製造された新潟トランシス製の車両だ。この車両が大半を占めている。転車の際は、ロープが引かれ、安全を確保をしている。右の写真は転車中に撮影をしたものだ。これだけ大きく撮影をすることができる。

これらの扇形庫と転車台、天竜浜名湖鉄道の本社はなんと国の登録有形文化財に登録され、転車台は近代化産業遺産にも登録された。転車台や扇形庫は、この駅の硬券を買えば、入ることができるのだ。実は作者はこのことを全く知らなかった。ただ天浜線でイベントがあるということは知っていたが、そこまでは初めて知ったのだ。

そのレトロなイメージが伝わっている天竜二俣駅、まだまだレトロなものがこの駅にはあるのだ。なんか、赤い車両と青い車両がいるそうだ。この行方は次の2−2にて詳しく報告をする。

静岡やらまいか紀行1〜遠州鉄道のイベントに参加をする

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11月1・2日に行った静岡の遠征記録。今日から何回かその話題になるが、その第1弾として今日は、静岡県の浜松市を走る遠州鉄道の話題を取り上げたい。なおタイトルの「やらまいか」というのは静岡県西部の方言の一つでやってみようという意味で、今回のタイトルとした。

遠州鉄道は、JR浜松駅と隣接する新浜松駅と西鹿島駅の17.8kmを結ぶ路線で、現在はすべて浜松市に所属するが、浜松から北の旧浜北市・旧天竜市を目指す鉄道路線だ。線路は概ね天竜川などが作り出す浜松平野を走る。この遠州鉄道には、2006年の年始に乗車をしたことがある。(参考記事はこちらです)

DSCF3881赤電ジャー今日は遠州鉄道のイベントが、終点の西鹿島駅で行われた。この遠州鉄道は、車体の色から赤電と呼ばれている。赤電と言うと幣ブログでは、京成・・・と言いたいが、ここの赤電はどちらかといえば、京急の色合いに近い。ちなみに遠州鉄道では、赤電というのは踏切での安全性を高めるために採用された色だ。イベントにはアカデンジャーというこの遠州鉄道のイメージキャラクターらしきヒーローも来ていた。

DSCF3878DSCF3875この遠州鉄道は、主に1000系と2000系車両が走る。いずれもこの浜松と近い豊川の日本車輛で製造された。外見はどちらも良く似ているが、窓の大きさは、京急の2000形を彷彿させるほどよく似ている。側面の窓は京成の3500形の未更新車両と似ているように見える。1000系は1980年代から90年代、2000系は90年代の後半から製造された。

違いは、1000系のドアがステンレスでできているのに対して、2000系はステンレスのドアでないところがある。また2000系の足回りはVVVFだ。写真の2000系の2004Fは、2008年に製造され、座席にスタンションポールがあるなどの特徴もある。

DSCF38581000系の1006Fは、新浜松からの記念列車で運転され、室内では休憩車両として使われた。1007Fは車庫の洗車体験の車両として30分おきに運転された。

1000系・2000系とも車内は千代田線の6000系の初期車両のように貫通路がシェル字形になっている。

遠州鉄道パネル1遠州鉄道パネル2

検査車両の外に、パネルも置かれ、そこには現在の新浜松駅に乗り入れる以前の遠州馬込駅でのスィッチバックの写真などが展示していた。この遠州馬込駅は、浜松駅の東側から少し離れた場所にあったそうだ。1980年代の新浜松駅高架工事完成までは、新浜松駅からなんと方向を東へ向かい、そこからこの駅でスイッチバックをして、北に方向転換をして西鹿島へと向かった。これは今尾恵介氏の本で読んだことなので実際はどうだったかよくわからなかったが、今尾さんの本を読んで興味を持っていた。今でこそ新浜松から数キロは高架区間であるが、これも線路を大幅に変更した影響だろう。

DSCF3876遠州鉄道旧型車両2

西鹿島駅の側線には、遠州鉄道の30形車両という車両がとまっていた。これらの車両は、主に平日の朝夕に走る。この顔は、いわゆる湘南形ともいわれる昔よく見られた顔をしている。もしくは、日車標準型かな・・・しかし、この車両、どう見ても京急の昔の車両に似ているような気がする。1000系・2000系が前述の遠州馬込駅廃止後の車両だ。これがエポックメイキングであることを考えれば、それ以前の車両も交じって活躍をしている。この車両には後ほど乗車をしたので、こちらに乗車記は書く予定なのでお楽しみに。次は、約3km離れた天竜浜名湖鉄道の天竜二俣へと足を運ぶ。

昨夜の京成の赤電劇場

b86468a7.jpg3日に上野で撮影した京成の赤電のファイアーオレンジの3312Fです。

京成上野駅でファイアーオレンジの赤電を見るのはとても久々だ。今回、ファイアーオレンジの赤電を見たのは偶然だった。というか私が小さい時には毎日のように見ていたこの車両、久々に上野駅で見るのはなんだか懐かしさと新鮮さが感じられた。

上野でのファイアーオレンジ2上野でのファイアーオレンジ1乗車をしたのは夕方から夜の時間帯だ。土休日は4両編成の上野乗り入れは、朝の早い時間帯か夕方の数時間しかないので、数は限られる。当然この列車に乗る。上野からこのファイアーオレンジの赤電に乗るのも何年ぶりかだ。高架になった日暮里駅を過ぎ、隅田川も荒川もこの色の車両で越えるのは、久々だ。そして葛飾区内のおなじみの箇所も通過する。この辺りは、当時赤電のファイアーオレンジを見ていた場所としても作者が最も懐かしい場所だ。

小岩でのファイアーオレンジ1小岩でのファイアーオレンジ2京成小岩駅で、浅草線方面からの快速との緩急接続を行うために4番線に着く。その時に数分停車をした。快速が3番線を通過したその後、2番線に4両編成の各駅停車上野行きが来た。その注目の車両はなんと・・・

 

赤電ツートン小岩3300形の3324Fのツートンの赤電だった。なんと同じ駅にファイアーオレンジの赤電とツートンの赤電が同時に止まっていたのだ。なんという奇跡的なことが起きたのだ。京成の話題の二つの車両が、同じ駅で止まっていたのだ。

 

このあと、江戸川を越えて、国府台駅で同伴をしていたdiamond next様と別れ、私は一度八幡駅までこの列車に乗車し、数分後に来た上野方面の特急に乗車し、この3324Fのツートンの赤電を追いに日暮里まで向かった。日暮里駅では、新駅舎とツートンの塗装を撮りたかったからだ。

赤電ツートン日暮里1赤電ツートン日暮里2これが、日暮里駅でのツートンの赤電の3324Fだ。このシチュエーションで撮影するのは、日暮里駅が高架になった一月ほど前に3356Fの青電で撮影して以来だ。(記事の内容はこちらです)今夜のこの記録に同伴したdiamond next様、ありがとうございました。

余談

京成3050 その6・3050形の3053Fが昨夜、愛知県の豊川の日本車輛の工場から逗子まで甲種回送をされたそうだ。近々、金沢八景と宗吾参道までの回送がまたまた予定されそうだ。この3050形は、製造年度が2010年(平成22年)になっているそうだ。

昨日のまとめ

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昨日まで浜松周辺にいました。遠州鉄道の旧形車両や浜名湖での新幹線の撮影、そして浜松で餃子を食べたりしました。
今夜以降、昨日一昨日の報告を行いますのでお楽しみに

やはり最後は

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天竜二俣駅では駅の中に展示しているキハ20形とあの20系客車が車内公開なので行ってきた。20系客車の中がみられるのはとても貴重だ。
やはり最後は天竜二俣から35km離れた今日閉鎖の佐久間レールパークへと向かった。しかしやっとここが浜松市だというのがわかった。

今日の行き先

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今日は静岡の西側に出かけています
一つ目はこちら。まずは遠州鉄道の西鹿島に来ています
二つ目は天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅での車庫見学でこっちはターンテーブルの体験などがあった。
そしてこの近くではまもなくフィナーレを迎える

今日はどこへ?

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今日は自動車で移動中。ここの名物はメロンパンですか

佐久間レールパークの記事の紹介

ED1111月1日、静岡県浜松市(旧佐久間町)の飯田線中部天竜駅にある佐久間レールパークが閉鎖をする。

佐久間レールパークなきあとは、2011年の名古屋市に開館する予定のJR東海博物館に展示車両が移設する予定だ。

このあらかわ交通ノートでの佐久間レールパークの記事を紹介します。作者は、今年の4月4日に佐久間レールパークを訪問をしているので、この模様を4月のあらかわ交通ノートでは取り上げた。その記事をここでは紹介をする。

1・佐久間レールパーク訪問記1 懐かしい電車に会う  2009年4月8日分

佐久間レールパークに展示をされている旧形国電や電車の紹介。

2・佐久間レールパーク訪問記2 気動車と電気機関車に会う  2009年4月10日分

4月の車内公開で展示されたキハ48000型の車内公開の様子や電気機関車の紹介など

3・佐久間レールパーク訪問記3 客車たちを見る  2009年4月10日分

旧型客車を外から見た様子を伝えた。

4・佐久間レールパーク訪問記4 レールパーク号乗車記など  2009年4月12日分

佐久間レールパークの展示室の内部と中部天竜〜豊橋間を走った117系の佐久間レールパーク号の乗車記

181しなのクモハ52明日と明後日は、月毎に公開をしていたすべての車両が公開される予定だ。それは4月のキハ48000型だけでなく、6月のキハ181形、9月の111系、10月のクモハ52型などもみられる。キハ181形やクモハ52形は気になる車両だから見に行きたいけど、混雑が懸念されそうだ・・・

この佐久間レールパークの面白いところは、昭和時代の車両が一堂に集結し、古い時代の鉄道を身近に感じさせるところにあるのだろう。確かに鉄道博物館の特急車両に比べると少し地味な所もあるが、レトロさを感じさせるという点ではさまざまな勉強になった。知らない時代のことを知ることができた。

キハ75形この佐久間レールパークの最終開館日に合わせて11月1日には、豊橋〜中部天竜間には数多くの佐久間レールパークフィナーレ号という臨時列車が走る予定だ。その中でも、快速みえなどで使用をしているキハ75形などを使った臨時列車も走る予定だ。特に飯田線をディーゼルカーが走る姿は貴重かもしれない。ともあれ、明後日の閉館まで無事であってほしい。

 

京成の新旧3050形

611780d1.jpg京成3668 先日、愛知県の豊川の日本車輛から逗子の東急車輛へと第2編成が回送された京成の3050形であるが、28・29日と金沢八景から宗吾参道の間で甲種回送が行われたそうだ。私は多忙などで見に行くことができなかったが、私の友人が京急線内で撮影した3050形の写真をこちらでは掲載します。28日は上野側の4両、29日には成田空港側の4両が回送された。今回も、3600形の6両編成のターボ搭載車両が牽引にあたった。

京成の3050形は成田新高速鉄道の開通までに合計6編成が増備される予定だ。予想では、8両編成でこの成田空港発着の一般特急を中心にその他の時間帯は上野〜船橋〜成田空港の特急や浅草線直通の特急(快速特急など)にも使われることを作者は予想をしている。

3050形と言えば、その昔は、1960年の都営浅草線(当時は1号線という名称だった)乗り入れを前に、その前年の1959年に標準軌で初めて生産された赤電の車両としても知られている。前年に馬車軌で登場をした旧3000形に続いての車両生産となり、1995年までの約35年間京成線を駆け抜けた車両だ。この車両のデビューから奇しくも50年となった今年、同じ番号の車両が京成としては浅草線乗り入れに並ぶ大型プロジェクトの成田空港への新路線開通・高速化という新しい時代の車両として生まれることになった。これはまさに歴史の偶然という言葉でしか言いようがないだろう。

旧3050形(ここからこの車両のことは旧3050形と表記する)は冷房改造が後回しになり、1990年頃までめくり板を装備していたが、最後の数年は、種別幕と行き先幕をつけて走っていた。外見が当時活躍していた3100形とも似ていて、旧3050形とあまり区別がつかなかったことも多かった。運用は特急から各駅停車まで幅広く使われ、特にめくり板の時代の優等列車は、六角形の特急、丸の急行などの種別板を前面に出し、誇らしく走っていた。それに片開きドアで、車内は窓が大きく開放感があった。車内の色は、旧3000形同様に小豆色の車内だった。しかしドア上の旧3000形と同じく広告の枠が小さく、それが古い車両を思わせるものだった。

keisei 3300 takasago2京成3300ファイアー青戸この車両の塗装は、現在3300形の3324Fが纏っているツートンの赤電を初めて新製時から採用をした。(※1)1980年代以降は3312Fが纏っているファイアーオレンジの塗装に変わった。1993年から採用している現在の京成の塗装には、この車両は1両も纏わなかった。そして忘れてはならないのが、完全廃車前の1994年秋にツートンの塗装で、リバイバル運転を行ったことだろう。このツートンのリバイバル塗装の第1回目となったのがこの旧3050形だった。94年のリバイバル塗装のときは、始発から終点までずっとこの旧3050形に乗っていた覚えがある。

旧3050形の廃車から15年、姿形を変えて新しい活躍をするこの車両に期待をしたいものだ。

旧3050形の写真はありませんでした。こちらは申し訳ありません。

※1 旧3000形は、デビュー時は現在3356Fが纏っている青電塗装でデビューをし、のちにツートンの赤電に変わった。

新幹線とバスで行く新横浜

9a03ce7f.JPG 10月14日、作者は、新横浜へと足を運んだ。その理由は、横浜アリーナで行われた広島出身の3人組の歌手のライブを見に行くためだ。なお、この広島出身の3人組の歌手のライブへ行くのは今年の8月の新潟に続いて2度目だ。(新潟への道中の内容はこちらです)

行きは東京〜新横浜間で新幹線で乗車をした。今回、新横浜まで乗車をしたのは、JR西日本所属の700系だった。私は700系の中でもこっちのほうが好きだ。一度、岡山⇒東京間でのぞみで乗車をしたことがあるので今日の乗車は2度目だ。

西の700系本当は新横浜くらいだったら自由席の多いこだまで行こうかと考えていたが、西日本の700系車両のほうがよいと思い、自由席は少なくてもこれに乗ることにした。東海の700系と西日本の700系の違いは、東海の700系は、明るめの色の配色に対して、西日本の700系が落ち着いた濃い色の配色だからだ。全体的に山陽新幹線のひかりレールスターの自由席のコンセプトをこの西日本の700系では受け継いでいる。また側面の表示が、西日本の700系ではLEDになっている。全体的にJR西日本の車両のイメージをそのまま出しているのだ。この西日本の700系が好きなのは、居住性の高さに理由があるからだ。

今、この会社は脱線事故の情報漏えいなどの不祥事に揺れているが、車両面に関しては相変わらず評価が高い。

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東京駅では700系の向かいに500系が博多行きののぞみとして停車をしていた。これからライブを見る3人組の歌手の出身地の広島も通る。500系の東海道新幹線乗り入れは11月の半ばからは1日1往復だけになる。隣には東北新幹線のE2系も止まっている。1997年にデビューをした同士の新幹線の顔が並ぶのはあとわずかになった。

夕方という時間帯もあり、自由席は満席だ。東京駅から20数分で新横浜駅に着く。しかしながら東京・品川〜新横浜間と乗車する人も多い。この新幹線は新大阪へと向かう。

新横浜駅新横浜駅は、在来線で行くと乗り換えが多く、結構行きにくいこともある。増してや東京都心部の東側からの場合は尚更そう感じる。(西側からであれば、東急東横線で渋谷から菊名まで出て、菊名から新横浜まで行く方法もできる)新横浜駅は、2008年3月のダイヤ改正以降は全ての新幹線が停車するようになった。また関東の駅百選にもこの駅は選定されている。

新横浜からの帰りは、新横浜から東急田園都市線溝の口駅・南武線武蔵溝ノ口駅までの第三京浜を通る路線バスに乗車をした。

このバス以外にはどの手段があったかといえば、横浜線で菊名まで行き、菊名から東横線、横浜線で町田まで行き、町田から小田急で新宿というのもあった。それ以外にもあざみ野まで横浜市営地下鉄ブルーラインで行き、あざみ野から田園都市線というのもあった。

7ebed1dc.JPG新横浜〜溝の口間のバスに乗ったのも、確実に座りたかったからだ。一度横浜アリーナへ行ったときに、帰りにこのバスに乗った覚えがある。(当時の自宅は、溝の口から自宅まで田園都市線・半蔵門線に乗れば、乗り換え1回で済んだこともあった)この路線バスは、新横浜と溝の口を結ぶことで、東急田園都市線の多摩川から都内側を中心とした地域や南武線の沿線から新横浜駅へ行く利便性を高めている。南武線の沿線は、新横浜駅など東海道新幹線の駅へ行くには、案外不便だからだ。

このバスの車両は、座席が少しリクライニングができるいわゆるワンロマというバスが使われる。もちろん吊り革などはない。なぜならこのバス路線は全席定員制だからだ。理由は、このバス路線が、高速道路を通るからだ。新横浜駅からは、途中2002年サッカーワールドカップの決勝の舞台で、横浜Fマリノスの本拠地の横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の近くでも乗降を行う。ここはサッカーだけでなく、コンサートも行われ、横浜アリーナと並ぶ新横浜の2大集客施設だ。

第3京浜の港北インターチェンジが新横浜駅と近いので、ここから高速道路に乗る。この路線は、高速道路を使用をした路線バスなのだ。鉄道では行きにくいところを届かせているような路線だ。高速道路での一般バス走行というと、都バスでは昔はあったが今はない。第三京浜は高速道路で80kmくらいの速度を出す。港北インターから7〜8分で、京浜川崎インターに着く。ここで降り、また10分くらいして(武蔵)溝の口駅に着いた。新横浜からの所要時間は約30分だった。値段は400円で、suicaなどでも乗車ができる。混雑している列車とは裏腹に快適に変えることができた。溝の口からは、東急田園都市線などに乗って自宅に帰ることにした。

ある朝の三ノ輪橋での光景

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ここは都電荒川線の終点の停留所の三ノ輪橋だ。ここは関東の駅百選に選ばれた停留所だ。

その三ノ輪橋にある日の朝、このような光景を目撃をした。最新鋭の8800形車両と旧塗装に塗られている7000形の7022Fがここに並んだのだ。これだけみると都電荒川線の色が何色かどうかわからなくなっている。しかし、古い色と最新の色の並びを撮れたのは偶然ともいえよう。私はいまだに8800形には乗車をしたことがない。色が沿線に咲き誇るバラをイメージをしているようだ。

三ノ輪プレートプレートと7500この三ノ輪橋停留所は関東の駅百選にも選定されたのは前述のとおりだ。ここはバラが咲き誇る停留所として選ばれた。確か関東の駅百選のスタンプは、荒川車庫にあった覚えがある。三ノ輪橋停留所は、日比谷線三ノ輪駅からも歩いて5分、常磐線・つくばエクスプレス南千住駅からは歩いて10分以上かかる。三ノ輪橋の橋は、かつてあった石神井川の支流音無川の橋がこの辺りにあったからだそうだ。なので三ノ輪橋という橋の名前の地名だけが残っている。

minowa8800ちなみに荒川という自治体で関東の駅百選に選ばれたのは、先日紹介した埼玉県旧荒川村の三峰口駅と東京都荒川区のこの停留所だけだ。荒川村は秩父市に合併してしまったので、この駅が荒川という自治体名で唯一の選定地になってしまった。

都電荒川線は、つりかけモーターの車両が今でも走り、さらに9000形のようなレトロ車両をイメージした車両、8800形のような先進的な車両もあり、今後もいろいろな車両に会えそうだ。

紅白の並びが実現?〜10月の京成赤電を撮る〜

10月17日の新京成電鉄のイベントに、前後する形で京成の3300形の赤電を乗車・撮影をしたので、その模様をお届けする。

京成3300ツートン高砂1017京成3300赤電ツートン金町17日の京成の3300形は、ツートンの赤電が一日中高砂〜金町間の運用に入り、ファイアーオレンジの赤電は、千葉線の津田沼〜ちはら台間を走っていた。青電は朝早い時間帯に高砂の車庫に入庫してしまったようだ。まずは、新京成のイベントに行く途中で、高砂〜金町間でこのツートンの赤電に乗車をした。3300形のツートンの赤電でこの区間に乗車をするのは初めてだ。もちろん、この塗装での3050形・3200形の片開きドアでのリバイバル運転の時には乗車をしている。

(前にこのツートンになった3200形片開きドアの記事は2007年1月22日分2007年2月25日分 そして開運号のリバイバルの2007年1月28日分などにあります)

新京成の車庫見学後、くぬぎ山から津田沼方面へと向かった。その目的は、千葉線にファイアーオレンジが走っていたので、ファイアーオレンジを追うことにしたのだ。

京成ファイアーオレンジ津田沼2京成ファイアーオレンジ津田沼京成津田沼駅で待つこと数十分、3300形のファイアーオレンジが来たのだ。京成の3300形のファイアーオレンジの時代には、ちはら台までの列車はなかった。(その当時は千原線は千葉急行で、大森台が終点だった)昼間の時間帯の千葉線・千原線は京成津田沼駅では5番線から発車する。

ファイアーオレンジとフルカラー3002京成3002F4番線には、特急の待避をする各駅停車のうすい行きが停車している。この各駅停車うすい行きには、先日フルカラーLEDになった3000形の3002Fが止まっていたのだ。ファイアーオレンジの車両とフルカラーLEDの京成の今の話題の車両が2つここで並んだのだ。一方は、もう一方はとここで紅白の模様を演じているのだ。2009年版京成紅白の共演と言ってもいいような並びだ。

話は違うが、3050形の第2編成(3052F)の愛知県豊川の日本車輛からの回送も先日行われ、来月には3本目も予定されるそうだ。これらが増備されると3300形の行方はどうなるものか。噂では、成田高速鉄道開通後の運用増加分だから、3300形や3500形の未更新車両には影響が出ないという話もあるが、そればかりはわからない。ただ3050形が3300形などに影響を与えるのは確かだ。

・この記事は、10月17日分の「アド街・柴又を前に」の記事を改修する形で、10月17日の赤電の記録として再編集をしました。

秩父秋物語2 秩父鉄道に完全に乗る

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10月10日の秩父秋物語であるが、その第2弾をここでは書く。

前の作では道の駅「あらかわ」を訪問後、作者は武州日野駅へと向かう。武州日野駅への途中に荒川に架かる荒川橋と日野鷺橋の二つの橋からの荒川の景観を楽しむ。上流(秩父湖方面)は渓谷として谷が深まり、下流(長瀞・葛飾方面)は平地が広くなっていく。このあたりは上流下流がはっきりわかるようだ。

秩父鉄道オレンジ武州日野駅も旧荒川村にある。ここからは秩父鉄道に乗る。ここで来た車両は、16時31分発の初乗車となる7000系車両だ。線路の向かいにはオレンジの1000系も停車している。

7000系は主に田園都市線で走っている東急8500系の初期車両が5000系の投入で廃車になったものを購入した。田園都市線でもこの車両は依然として健在で、地下鉄半蔵門線や東武伊勢崎線にも乗り入れている。埼玉県でも東武伊勢崎線に続き、2路線目の活躍になる。この7001Fはつい最近までは、先日まで埼玉県を舞台にして放送されていたNHKの連続テレビ小説つばさのラッピング車両だった。

秩父鉄道7000系7000系に乗った感想は、これまでの主力の1000系に比べればなんと静かな車両なのかと思った。しかも田園都市線・半蔵門線で乗車しているのとは同じ車両なの?と本気で思った。前者は1000系が国鉄の101系から見ると経年45年以上で、通勤型車両の草創期の車両だったので、技術も古いものがあるのはある面仕方がない。後者は、田園都市線や半蔵門線は、一区間距離が短く、高加減性能が求められる。この秩父鉄道では、一区間距離は短くなく、高加減性能もあまり要しないので、性能が発揮されないので、そう思うのかもしれない。

この車両に御花畑・秩父・和銅黒谷・皆野と荒川に沿う形で北に向かう。標高も下げていく。親鼻と上長瀞の間で荒川の最上流に架かる鉄橋を超える。この車両で荒川を越えるのは初めてだ。この車両のタネ車の東急8500系は半蔵門線経由で東武伊勢崎線に乗り入れ、北千住〜小菅間で荒川を越える。同じ車両が二箇所で荒川を越えるのだ。荒川とは縁の薄かった東急の車両が荒川をこえるようになったのも時代の流れかもしれない。

やがて連続テレビ小説つばさのロケ地にもなり、関東の駅百選にも選ばれた長瀞駅を通過する。ここでは1000系の水色の車両にも出会う。今日は1000系の7種類すべての車両が出ている。ここからは荒川の渓谷に沿って走っていく。この渓谷は秩父の山と関東平野の境界線といえよう。

夕日の秩父鉄道の小豆1夕日の秩父鉄道の小豆2そして寄居駅に着く。いったんこの駅で降りる。ここからは、乗った列車の12分後に到着をする。急行秩父路に乗車をする。この寄居駅では、向かいには、あずき色の1000系が来た。紫色の夕焼けに映える1000系を撮ってみた。もうこの時間帯が日が落ちる時間になったようだ。寄居駅からは急行秩父路に乗る。寄居駅を境に秩父鉄道の風景は一変する。これまでは荒川の谷沿いの風景であったが、この辺りからは荒川の扇状地に地形が変わるとともに、風景には広い関東平野が現れ、水田などが目立つようになる。この風景の劇的な変化ぶりも秩父鉄道の面白いところだろう。

秩父路の6000系急行秩父路には西武の101系を改造した6000系が使われている。西武時代の独特の走行音は健在だ。この音を鳴らしながら走る姿は、西武でもあるが、西武時代のようなキレがあまり感じなかったような気もする。この車両は西武時代は3ドアの車両であったが、2ドアに改造され、座席も西武の10000系レッドアローの更新前の座席を使っている。まさに秩父鉄道でありながら、味は西武の車両なのだ。座席も向い合せになっている。本当に京急2000形と真逆のことをしたのだ。風景は暗くなったのであまり見えなかったが、荒川の橋の中ではトップクラスの長さを誇る押切橋の下などを越え、熊谷を目指す。上越新幹線の橋桁に沿って走れば、熊谷駅は近い。地元のデパート・八木橋百貨店の看板も新しいものに変わった。熊谷で下車する。向かいには寄居まで乗っていた7000系が止まっている。

急行秩父路は200円の急行料金を要するが、寄居駅では時間ぎりぎりだったので買えず、車内でも検札がなく(ワンマンなのでしょうがないか)、どこで急行料金を払ったかといえば、熊谷駅の駅係員に払ったのだ。この急行秩父路に乗るのは200円を要する。これは速達代としての200円だそうだ。まあ、西武の特急型車両の座席に座れることを考えれば、ただで座るのはちょっと惜しいかもしれない。

秩父7000系熊谷熊谷のカナリア熊谷からは、羽生へと向かう。実は秩父鉄道の熊谷〜羽生間は埼玉県の鉄道では唯一の未乗車区間だったのだ。熊谷駅には、さっきあらかわの道の駅で見たカナリヤの1000系が止まっている。写真の7000系とカナリヤ以外では、5000系車両(元・都営三田線6000系車両)が駅の外の側線に3本が留置していた。今日の主役は1000系のようだ。熊谷駅で羽生方面の列車は、高校生や中学生で埋まっている。来たのはオリジナルの1000系だった。

秩父鉄道1000系オレンジ羽生秩父鉄道1000系羽生この区間は、これまでの秩父鉄道の区間とは全く違う。貨物列車が来ないのだ。それくらい秩父鉄道といえば貨物なのだ。しかし貨物ではないが、東武鉄道が東上線と伊勢崎線系統で車両の異動や検査がある時や東武鉄道の新型車両が熊谷貨物ターミナルから伊勢崎線系統に運ばれるときは、この区間を走る。この区間は、秩父鉄道でありながら東武色も濃い地域なのだ。車両がガタガタガタガタ揺れる。座席も車内も昔のままだ。風景は見えなかったが羽生駅に着く。これで秩父鉄道を全区間乗りとおすことができた。羽生まで来れば秩父というイメージがあまり強くない。この秩父鉄道自体が埼玉県の都市間を結ぶ環状鉄道のようなイメージもする。特に東武鉄道にとればこの区間が重要なことがよくわかる気もする。

余談であるが秩父鉄道の駅にはなぜかアフラックのポスターが多く、それも篤姫の主演で有名な某女優のポスターがいろいろな駅に貼ってある。

東武30000二子新地羽生からはバスでイオン羽生へと向かい、食事後に東武伊勢崎線経由で帰京する。羽生〜久喜間は30000系に乗り、久喜からは半蔵門線直通の東急の5000系に乗った。一度越えた荒川であったが。東武伊勢崎線の小菅〜北千住間で越え、先ほど、秩父鉄道線内で、東急8500系の譲渡車の7000系で越えたので、今日は2度の荒川越えはともに東急の車両だったのだ。

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秩父 秋物語1 道の駅あらかわを訪れて

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10月10日に秩父鉄道を訪れた模様をここではお届けする。前の投稿からは、約1週間が経過するが、前の投稿が旧塗装のリバイバルで速報性を重視させたので、今回は多少遅らせての投稿となった。

今日、秩父鉄道で使用をしたのは「秩父路フリーきっぷ」という1400円の一日乗車券だ。これは土休日に使用のできるフリーきっぷだ。

前回は、御花畑〜三峰口間で、旧塗装のリバイバル車両に乗車したことだけを記録したが、今回は三峰口とその周辺部を訪れたことを中心に記録していく。

黄緑の秩父鉄道武甲山とイエロー三峰口駅は、駅の外に留置線がある。まずこの三峰口駅に現れたのは、黄緑色の塗装の秩父鉄道の1000系だ。黄緑色の1000系は、黄色の帯も引いている。

 

西武4000系の三峰口駅急行秩父路の6000系西武新旧車両の共演。左の西武4000系は平日は飯能、土休日は池袋まで乗り入れる。右の秩父鉄道6000系は急行秩父路で使用される西武101系の改造車両だ。この車両は、3ドアの通勤車両から2ドアの急行形車両へと変わった。京急2000形とは真逆のことが行われたのだ。今日の6000系はヘッドマークがついている。

駅からはしばらくは散策する。目指したのが駅から歩いて5分のところにある白川橋だ。

荒川の渓谷その1白川橋と荒川白川橋は荒川には架かる橋だ。この橋は荒川右岸にある三峰口駅と左岸にある国道140号とを結ぶ。左の写真が下流(秩父市街地・葛飾方面)で右の写真が上流(秩父湖方面)だ。ここまで来れば荒川も、渓谷の中を流れる川に変わってしまう。下流方面は、河原もある。しかし、この辺りの荒川はV字谷を構成していることがよくわかる。

荒川を越える西武バス白川橋の橋げた白川橋には、三峰口駅から三峰神社や奥秩父の中津峡や大滝方面を走るバスも通過する。左の写真では、この白川橋を渡る西武バスの写真だ。この辺りの西武バスは西武観光バスであるが、西武秩父駅や三峰口駅を起点に多くのバスが走っている。西武バスが荒川を越えるのもこの地域だけだ。この辺りの荒川は、葛飾区や江戸川区を流れる荒川とは違う。同じ川とは思えないが、ここから川幅が巨大になる下流までのロマンがこの荒川にはあるのだろう。

西武と東急in三峰口三峰口駅からは西武4000系の池袋行きに乗車をする。これは西武線内では快速急行として池袋まで直通をする。乗り心地が御花畑〜三峰口間で乗車した1000系と比べると格段に良い。1000系は飛び上がるような揺れであったが、こちらは飛び上がることがない。車内はボックスシートであるが、車内には広告がなく、蛍光灯にカバーがあるので高級感を感じさせる。留置線にいるのは、東急から譲渡された7000系車両で、ここでは東京都区内でもあり得ない西武の車両と東急の車両の顔合わせが実現している。

降車をしたのは、先ほど1000系とSLの並びを撮影をした武州日野駅だ。この駅で途中下車をし、こちらを目指すことにする。道の駅あらかわ1道の駅あらかわでののぼり

そこは、駅から歩いて10分の場所にある「道の駅あらかわ」という場所だ。元はといえば道の駅荒川村という名前だったが、荒川村が秩父市に合併されたことで道の駅あらかわという名前に変わった。当然ながら特急あらかわとしては、行っておかなければならない場所だ。私も道の駅を何か所か訪問をしたことがあるが、あらかわの訪問は初めてだった。ここは駅からも歩いていくことができる。

道の駅あらかわのまわり2道の駅あらかわの周り3ここは旧荒川村の観光案内所も兼ねている。なので旧荒川村の特産物なども置いている。ここは周りが果樹園に囲まれている。向かいはぶどう園で、ここでは巨峰を摘むことができる。ここではブドウを試食する。秩父鉄道の線路を挟み、その向かいにはリンゴの果樹園がある。旧荒川村の辺りは、果物がよく取れる。

道の駅あらかわでのカナリアカナリアと荒川村2この道の駅あらかわをバックにして秩父鉄道の車両を撮影してみた。ここで来たのは、カナリア色の1000系だ。これは国鉄時代の塗装では、総武線時代の平井〜新小岩間を彷彿させる(この区間で荒川を越えるため)かと思ったが・・・。道の駅あらかわをバックに黄色の車両が走る風景もよい。右は、道の駅あらかわの敷地内で撮影をした三峰口からの折り返しのカナリアの1000系だ。電車が柵の中に入ってしまった。

秩父路6000系とあらかわ道の駅あらかわでの101系この2枚は、急行秩父路の6000系とオリジナル塗装の1000系だ。ともに、果樹園をバックに撮ってみた。秩父には原色塗装だけでなく、白の塗装も似合う。

このあと、道の駅あらかわを出て、武州日野駅まで向かう。途中荒川橋と日野鷺橋という荒川にかかる二つの橋を寄り道する。

次の回では武州日野からの乗り通しをお届けしていく。

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西武秩父線開通から40周年を迎えて

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これから数本は、10月10日の秩父へ行った時の報告を続けるが、その前に先日、秩父の鉄道を語る上で、欠かすことができない記念日があったので、そのことを書いてから本編に進みたい。

先日10月14日は西武秩父線が開通して40周年を迎えた。この西武秩父線は、作者の最も好きな私鉄の路線のひとつだ。

40th西武秩父線この西武秩父線は、飯能〜西武秩父間と思われがちでいるが、実際には吾野〜西武秩父間を結ぶ路線だ。吾野までは1929年に開通し、吾野から先の西武秩父までの区間が想像を絶するほど大変な区間だったのだ。

西武秩父線といえば、思いつくものは、山深い森の中を走る電車が山を上り下りするというイメージだろう。線路は急な坂が非常に多く、山登り山降りをしなければいけないところにそのようなところがあるのだろう。そして飯能から山を登りに上り来て最大のサミットは正丸峠を越える4811mの正丸トンネルだろう。この正丸トンネルは、正丸〜芦ヶ久保間に存在し、私鉄では第2位の長さを誇る。この正丸トンネルを越えるときは、以前は「長い長い正丸トンネルを越えます」というアナウンスを聞いたことがある。

西武秩父駅この西武秩父線の正丸峠を越える線路は、秩父への根本的な交通の距離を塗り替えたのではないかと思う。これまで秩父市へは、東京からの方角が北西にもかかわらず、東京から行くルートの一つは、池袋から東武東上線で秩父市よりも北にある寄居まで出て、寄居から荒川に沿う形で秩父鉄道を南西に通った。もしくは上野から熊谷まで高崎線、熊谷から同じく荒川に沿う形で秩父鉄道を通る。こちらも北へ出て、わざわざ南西へと進むルートを取る。前者は池袋から101km、後者は上野から105kmある。(距離は秩父鉄道は西武秩父駅と最も近い御花畑駅までの距離で算出する)しかし、池袋から西武秩父までの距離は77kmで、北西に一気に突き抜けることで、25km以上も距離を短縮したのだ。これにより、秩父は遠くの果てから解消したのではないか。長大トンネルを掘ることが一般的になった時代だったからこそこの秩父へは距離が短くなったのではないかと思う。写真は関東の駅百選にも選定された西武秩父駅で、この駅舎が秩父への旅客を出迎えてくれる。

寄居や熊谷から秩父に入るルートはなんだか少し遠周りのように見える。秩父鉄道では長年、池袋から東武東上線を寄居まで行き、寄居から秩父鉄道の三峰口に乗り入れる列車があった。また、シーズンには上野から高崎線経由で熊谷まで行き、熊谷から秩父鉄道の三峰口まで乗り入れる列車もあった。これらは廃止になってしまった。これは、秩父へのアクセスで西武の利便性にかなわなかったからかもしれない。

西武E851西武5000秩父にてこの西武秩父線は、産業と観光の両面を目的にして建設され、秩父からの石灰石を輸送するために、E851形という登山仕様の電気機関車を投入した。西武鉄道の貨物は1996年まで存在していた。旅客輸送面では、5000系レッドアローを入れ、秩父への観光客などへの輸送列車として特急ちちぶとして走らせることになった。

急行西武秩父旧幕の4000系特急以外の輸送では、ブレーキやモーターなどをを登山仕様にした101系車両が投入され、現在もなお新101系として一部の車両が残存し、40年にわたって西武鉄道の通勤形車両の顔として走っている。この秩父線の開通は、西武鉄道の歴史を大きく塗り変えた出来事といえよう。レッドアローの5000系は鉄道友の会のブルーリボン賞を獲得したのは、秩父と東京を縮めた立役者の評価があるからかもしれない。1989年にはついに西武鉄道が秩父鉄道に乗り入れ、土休日に池袋発三峰口行・長瀞行き(長瀞行きは当初は寄居、のちに長瀞に短縮)の快速急行も走らせている。(平日は飯能〜長瀞・三峰口になる)

芦ヶ久保の4000系afbdcb25.JPG秩父ならび西武鉄道を大きく一変させた西武秩父線、この西武秩父線は苦難の歴史であったが、東京から最も近い所で人里離れた山中のような景色が楽しめることや長いトンネルを越えて、気候や風習の違う場所にタイムトリップするような車窓が楽しめるところへ行けるのがいいかもしれない。今年の年明けに秩父へ行った時も、正丸トンネルの向こうの秩父では雪が積もっていたのに、反対側では雪がなかった。このような風景への出会いが、この路線の面白いところかもしれない。

関連記事・旧荒川村のYMO(10月11日分)

新京成電鉄・車両基地見学会参加記 その2 新京成on8!

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10月17日にくぬぎ山で行われた新京成電鉄の車両基地見学会。第1回目は、前座として?8000系の旧塗装や800系を紹介したが、今回の見学会のメイン企画の一つは、車両のラインナップ撮影会だろう。今日は、ラインナップ撮影会で撮影した写真などを紹介する。

新京成電鉄は車両形式が全て8から始まる。それと沿線の走る千葉県のラジオ局のbayfmではon8という番組を放送しているので、今回はこの撮影をon8作戦と名付けることにした。

新京成800with8000まずは、新京成の800形と8000形だ。800形の行き先は、「八柱」と出ていた。なんといきなり語呂合わせだ。この二つの車両は30年以上にわたり、新京成電鉄で活躍している。特にこれらの車両は、京成の青電の車両などが新京成にて活躍していた時代から新京成を支えている。もちろん、この車両は沿線の都市化と人口急増期を支えた。これらの車両は、北総線を千葉ニュータウン中央まで乗り入れていたこともあった。来年は新AE形が走り、成田空港へのアクセス路線として大きく生まれ変わるが、昔は北総の7000形などともに千葉ニュータウンと松戸をつなぐべく活動をしていた。

sk800・8000・8800次は、左の二つの車両に8800形も並べた写真をそろえた。8000形は京成千葉線への乗り入れ可能編成で、行き先幕の下には「88F」という番号が付けられている。津田沼行きは、津田沼・新津田沼のどちらが終点なのだろうか?隣の8800形は、「高根公団」と表示をしている。こちらは京成には乗り入れができない編成になっている。これを見ていると沿線人口が急増しだした20年前の新京成を見ているようだ。

sk800/8000/8800/8900sk8900左は8900形を並べた写真。8900形は、1990年代に輸送力増強のために投入された。新京成初のステンレス車両だ。この車両は京成3700形と似ているところも多いが、初めてシングルアーム式のパンダグラフを採用し、台車もボルスタレス形のものを採用した。ボルスタレスは京成の新AE形でも導入される。京成唯一の存在であった。今日は8900形登場当時には存在していなかった「鎌ヶ谷大仏」の表示を出している。これらの4つの車両のテーマは、1990年代の新京成電鉄だ。沿線が大きく成熟化した頃の新京成電鉄といえよう。右は、8900形で8939Fは、ラッピングトレインになっている。

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新京成8900・N800次にN800形を並べた写真だ。N800形は、2005年から投入された1編成だけのツチノコの車両で、京成3000形・北総7500形同様に日本車輌のブロック工法を用いた京成グループ標準型車両だ。これまで独自の車両路線を引いてきた新京成電鉄が車両などは京成と共通化を図るために製造された。確かに京成の他の車両と車体では共通しているが、内装などでは他の車両と違っている。左の写真は今の新京成の主力車両たちだ。その後ろの高架線は北総線で、新AE形が走る日も近いかもしれない。右の写真は、8900形と並べてみたが、新京成のこの2つの車両は本数が少ないので見る機会が、あまり多くない。今日のN800形の表示は「ちはら台」で、この車両は京成に乗り入れてもちはら台までは乗り入れない。

sk8800・8900新京成800wiht8900側線の左側(北側)では、8800形と8900形2本がいた。8900形は前述の展示編成を含めて3編成全てがここにそろうことになった。そして、右側の撮影会場にいた800形と合わせることにした。これを見ると新京成の車両の顔が変わっていることがよくわかる。それに800形は今は京成唯一の片開きドア、8800形はVVVF制御をいち早く取り入れ、8900形は前述の通りいち早くボルスタレス台車やシングルアームのパンタグラフなどを導入するなど車両そのものが変わっているようにも見える。

予告on8新京成電鉄の車両は、形式は5形式だけであるが、8000・8800形が多いので、他の3つの車両はあまり見られる機会が多くない。しかし、京成に乗り入れられる仕様に改造されたり、新たな技術を採用したり、それに沿線のイメージアップに大きく貢献をしたり、いろいろな点で魅力が多い。新京成が新技術の導入に積極的だったのは、沿線がカーブが多く、一区間距離が短いという路線条件にあるので、こうなったのかもしれない。N800形は、京成の他の車両と共通の仕様になってしまったのは、新京成らしくないのかもしれないが、それでも京成千葉線との乗り入れという新しい挑戦をした車両としては大事なものだろう。まさにon8、新京成の車両をあらわすにはこの言葉が似合うだろう。

川越の愛の季節〜東武の川越まつりのヘッドマーク車両〜

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昨日、新京成のイベント帰りに東武東上線池袋駅で撮影した川越祭りのヘッドマークつきの東武50000系50002Fです。川越祭りが今日なのでこれに合わせました。
川越は先日まで多部未華子さんの主演でNHK朝の連続テレビ小説つばさの舞台だった。視聴率は今一つふるわなかったが初めての埼玉県を舞台とした連続テレビ小説が無事に終わってよかった。
新京成編は明日の夜以降、先週の秩父編続編と横浜編は来週書いて行く予定です。
タイトルはアンジェラ・アキさんが歌ったつばさの主題歌からです。

新京成電鉄・車両基地見学会参加記 その1 

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17日は、鎌ヶ谷市くぬぎ山で、新京成電鉄の車両基地見学会が行われた。その模様をいち早くお届けしていく。

今回のくぬぎ山での車両基地見学は、毎年恒例であるが、例年とは違っていたのは、ラインナップ撮影会というものが実施されたことだ。今日の新京成のイベントは車両などさまざまな所で見所があった。その中でも今日の見どころなどを紹介しよう。

新京成8000その1新京成8000その2まずは、新京成の顔・8000形車両の8502Fの旧塗装車両が車内では休憩車両ならびに運転台での制帽着用での記念撮影会などが行われた。新京成の8000形車両の旧塗装は、2001年からもう8年間も走っている。昔は京成の青電の中古車両などが、この色をまとっていたこともある。

新京成8000その38000系座席しかも「しんちゃん」というつばめのキャラクターの絵も描かれている。座席にもしんちゃんも描かれている。

 

 

・そして側線には、このような車両もいた。

新京成800その2新京成800その5新京成の800形車両だ。この車両は今は平日の朝にのみ動いていることが多いそうだ。京成グループの片開きドアの車両は、2007年に廃車になった京成の3200形の3298F亡き後は、京成グループでは唯一の片開きドアの車両になった。古き良き京成の片開きドアの伝統を受け継いでいる車両とも言えよう。ドア窓の高さは、高い位置にある。全体的には、今は亡き京成の片開きドアの車両の京成3150形などにも似ている印象がある。

新京成800 トレシュミ車庫の中には800形のトレインシュミレーターがあった。前面の幕には「くぬぎ山(北初富で松戸行きに接続)」という表示があった。北総の高砂延伸以前には、新京成から北初富経由で北総線に乗り入れた松戸〜千葉ニュータウン中央間の運用があった。この列車は、津田沼からの利便性を確保するために、くぬぎ山行きというのが存在したのではないかと思う。北総の高砂乗り入れ以前には、津田沼口の輸送力確保のために京成津田沼〜鎌ヶ谷大仏間の列車も存在していた。

展示会場内には、過去のダイヤグラムなどもあり、これらも見ることができた。

予告on8そして、車両ラインナップ撮影会の模様は、第2弾と続く。この撮影会では、新京成の車両が並んだ。続きは、第2弾の完全版へ。後ろは北総線の線路で来年にはいよいよ新AE形や京成の3050形が走ることになりそうだ。

最後はポケモン新幹線

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シルバーウィークの東北旅行記、今日が最終回となる。1か月前のことであるが、10個の記事を書いた。

前作はスウィングガールズの舞台の鉄道会社を巡った。

米沢駅は、現在放送している妻夫木聡主演の大河ドラマ「天地人」の舞台で、今後の天地人の話では中心的な場所になることもあって、町は天地人で盛り上がっている。駅にはこのドラマの主人公で妻夫木さんの演じる直江兼続のオブジェもある。天地人は、新潟や福島県の会津、米沢と各地が舞台になる。米沢は、牛肉どまん中など多くの駅弁がひしめく。今や牛肉どまんなかは、全国で最も人気の高い駅弁の一つになった。

719−5000米沢からは福島まで719系の普通列車に乗る。この区間は板谷峠で奥羽山脈を越え、普通列車の運転本数は1日6本しかない。この板谷峠の区間は、連続で急勾配があり、坂を登っているときは上り坂のモーター音、降りているときは下り坂の音がはっきりした。山形新幹線区間の普通列車は、標準軌の719系か701系が走る。板谷峠を挟む区間は719系だけだ。昔はこの区間は連続してスイッチバックもあった。峠を越え、福島盆地へと降りる。高い所から福島盆地が見渡せる場所もある。そして福島駅に着く。

この小さな旅ホリデーパスでは、新幹線に乗れないので、仕方なく在来線に乗る。もう一枚持っているその日の有効のツーデーパスは郡山から使用ができる。なので郡山までは在来線で行く。

ポケモン新幹線ポケモン新幹線2郡山からはツーデーパスで新幹線に乗車できるので、新幹線特急券を買って帰京をする。ここで乗るのは、郡山始発のなすので、先頭ははやてのE2系、後ろはこまちのE3系だ。こまちのE3系はポケットモンスターのラッピングをしている。本当はポケモン新幹線に乗ろうとしたが、座席にもポケットモンスターがあるので、少し恥ずかしかったので、今日はやめて、E2系に乗車をした。なすのは、名称は栃木県であるが、運転区間は福島県の郡山まで行く列車も多い。郡山では味めしという福島県の郷土料理がおむすびになっているものをセブンイレブンで買い込み、車内で食べた。

大宮を出て、荒川を越える前後で、ルーキーズの主題歌で有名になった郡山出身の4人組の歌手の代表的な歌の「遥か」という曲を車内で聞いたのはエンディングにふさわしくてとても印象的だった。これで、このたびは10編すべてが終わりです。

最後に郡山駅で偶然撮影できた山形新幹線の400系車両の写真を出す。

400系その2−2郡山の400系この日は、新庄駅と郡山駅の2か所で終焉が近い400系車両を見ることができた。昼間の新庄駅と違うのは、左の写真のように後ろにE4系車両を従えているところにある。400系が東北新幹線内で、他の新幹線車両と併結しているのも400系の17年間の御馴染のシーンだろう。昔は200系なども従えていたが、ある時期から400系の相方はE4系に統一された。200系とつないでいた時代は、200系10両と400系7両の総勢17両という東海道新幹線よりも1両多い車両数で走っていたこともあった。まさに400系は思い出に変わるまでという言葉がふさわしいだろう。

次のページは、この旅の目次です。

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今日の目的地


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今日の目的地は新横浜でした。新横浜の某集客施設で行われた広島出身の3人組の歌手のライブに新潟に続いて参戦して来たんじゃけえ。この中でも新横浜までの交通機関などを後で紹介していく予定なのでお楽しみに。



 

新幹線でどこへ?

9a03ce7f.JPG今日は早上がりとなり、ある場所へ向かっているが、えっ?新幹線に乗車中?どこに行くのでしょうか?
その答えはあとで!

スウィングガールズの舞台へと向かう

  山形県の新庄駅から山形新幹線に乗車する。車両はE3系1000番台だ。今日使用している小さな旅フリーきっぷでは、特急券を買えば、山形新幹線に乗ることができる。新庄駅で自由席の券を購入して乗車をする。

山形新幹線の山形〜新庄間は10年前に新幹線の走る標準軌の区間になった。その間には、大石田・村山・さくらんぼ東根・天童の4駅がある。この区間の最高速度は130kmだ。在来線時代に比べるとスピードも乗り心地も大きく向上した。この辺りは26年前、超高視聴率を獲得した有名な連続テレビ小説「おしん」の舞台としても知られている。駅も、新幹線開通と同時に駅舎の改築や駅そのものが大きくリニューアルしているところもある。

米沢盆地1米沢盆地2山形駅を過ぎ、自由席が埋まってくる。山形新幹線は日本一の混雑新幹線で、特に自由席の混雑は激しい。ただ今日は、天童駅からも学生の自由席利用が多く、山形駅の時点では7割くらいに留まっている。今日は水田も蔵王の山も光り輝いている。そして、中川駅と赤湯駅の間は、上山盆地から米沢盆地の間の山を越える。赤湯駅到着寸前に高い所から置賜盆地が見渡せるような風景がある。これは中央線の勝沼の辺りから甲府盆地を見渡す風景ともよく似ている。新幹線に乗っていながら、このようなダイナミックな風景に会えるのは盆地の地形の特徴で、これはミニ新幹線ならではの醍醐味だろう。(この2枚は中川〜赤湯間を走行中に撮影したものです)

南陽市にある赤湯駅で降車する。ここから山形鉄道のフラワー長井線に乗る。温泉のある駅はどこかなと思ったら、赤湯でなく、隣の高畠だった・・・。本当は温泉に行くつもりで、高畠で降りる予定だったが、駅を間違えた・・・。この赤湯駅は、パラグライダーをモチーフにした駅舎だ。山形新幹線の開業後、駅舎を改築している個所が多い。今日はここでダンス大会があったためか学生の若い利用者が多く、みどりの窓口では長蛇の列をなしていた。

山形鉄道1DSCF3383赤湯からの山形鉄道フラワー長井線といえば、5年前に公開された映画のスゥイングガールズという女子高生がジャズのバンドを組んで活躍する作品の舞台となった。この作品は、上野樹里や貫地谷しほり、本仮屋ユイカら、現在活躍する若手女優たちの出世作となった作品としても知られる。監督の矢口史靖さんは、昨年公開した「ハッピーフライト」の監督も務めた。ここへ行きたくなったのは、去年「スウィングガールズ」がテレビで放送され、面白かったので、DVDなども見て、行きたくなったことにある。

bcd2fca4.JPG山形鉄道2この路線は、元はといえば国鉄長井線で、1988年に第三セクターに転換をした。区間は赤湯と荒砥の間の30.6kmを結ぶ。車両は1988年に投入されたYR-880形だ。この車両は、この時期に投入された車両と共通性が多い。例えば、いすみ鉄道の車両だ。扉は前後の2か所で、車内には蛍光灯にカバーが掛けてある。赤湯の時点では、ガラガラだったが、米坂線と接続する今泉の駅の辺りからはスウィングガールズにも出てきそうな女子高生などが乗ってきた。しかし、車内は、他の鉄道車両に比べて照明が暗かったような気がする。

DSCF3389DSCF3403風景は、水田地帯に花や木々が植えられている。この鉄道路線がフラワー長井線という名前であるように、沿道に花や木などが植えられ、退屈な風景を感じさせないのがあ大変立派だ。このフラワー長井線の名称であるように、車両にも絵が描かれている。スウィングガールズで、映画で出てきた女子高生たちのジャズの曲を聴きながらこの山形鉄道に乗っている。

最上川の風景

最上川鉄橋このフラワー長井線は、最上川に沿う形で走る。長井市は、最上川に面した町だ。今では第二次産業の盛んな街としても知られる。終点の荒砥駅の手前で最上川を越える。このフラワー長井線の最上川鉄橋は、明治時代のダブルワーレントラス橋が残るとして昨年に土木遺産に指定された。このフラワー長井線は荒砥駅が終点だ。戸を砥と書くこと自体にある駅を思い出し、親近感が湧くのでもあるが。そして来た列車で、今泉へと戻る。帰りの列車も長井あたりから高校生が乗ってきた。

今泉到着後、このフラワー長井線を降り、米坂線に乗り、米沢へと向かう。米坂線の乗車は初めてだ。この米坂線は、新潟県では荒川という川に沿って走るが、山形県内では最上川の支流の川などを何回も越える。まだ荒川に沿った区間は乗車をしていない・・・。車両はキハ110形で、先日から先日新潟で乗車をしたキハE120形と110形の2種類が中心になっている。しばらくして米沢駅に到着する。米沢も天地人の舞台なので、天地人で賑わっている。

山形県は、多くのドラマや映画などの舞台になっている。このスウィングガールズもそうだが、今年の大河ドラマの天地人、庄内地区ではアカデミー賞を受賞した映画のおくりびと、そしてさっきも書いた朝の連続テレビ小説のおしんの舞台になった。ヒット作は山形から生まれている。

いよいよ次回がこの紀行の最終回を迎える。最後はどのような形で帰京をするのか・・・。

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特急あらかわ
メールアドレスは,joiino☆livedoor.comです。@の部分は星にしています。
特急あらかわとは・・・
・特急あらかわの自己紹介
名前の由来は,荒川流域が作者の出身地なので名づけた。作者の荒川への思いなどを伝え,その名前を広める事にした。特急になったのは,あらかわという名前の列車が,栄光の花形列車になってほしいとの思いもある。

・鉄道では,生まれ育った京成線や西武線をはじめ,地下鉄(特に浅草線や千代田線や東西線),青春18きっぷの旅などをこよなく愛し,それらの思いなどを伝えている。
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