あらかわ交通ノート

文章と写真などでお楽しみいただく鉄道を始めとした交通情報や旅行などを取り上げるブログです。鉄道や旅行、地理のこと、アイドルの話などさまざまな情報を発信をしていきます。

茨城交通訪問記

ブログネタ
鉄道 に参加中!
4a753022.JPG昨日、茨城県の水戸市で用事があった。そのついでに茨城交通に訪問をした。茨城交通は、県内の水戸市や県北部で路線バスを運営している会社であるが、鉄道部門は現在は水戸駅の隣のひたちなか市の勝田駅から那珂湊駅を経由し阿字ヶ浦へ向かう路線のみが残っている。

その前にこの日、用事が始まる午前中に水戸駅の構内で2つの面白い電車の目撃をした。

訓練車

この訓練車は駅から離れた位置での撮影だったので、やや遠くなってしまったが、よくよく見るとある電車で数ヶ月前みた。そう、特急あずさのボンネット車両になっていた電車であった。(このブログより)まさか特急あずさのボンネットのカモフラージュをするために水戸から連れてきたとは・・・お疲れ様といいたい・・・。

勝田485系

この電車は高萩〜小山〜宇都宮〜日光間を結ぶ臨時列車快速「ぶらり日光」で使用されていた485系車両。勝田電車区には特急ひたちの撤退後、485系は少ないながら配置されていたが、塗装変更をして団体臨時列車などにも使われている。このブログの最後に衝撃の出会いがあったのも記しておく。

さて、本題に戻る。茨城交通は、勝田駅が起点で、勝田駅を訪れたのが今から7年前であったので橋上駅舎になっていたのには驚いた。その為、どこにホームがあるか迷ってしまった。JRと同じ箇所であるものの少しわかりにくかった。乗車券の発売箇所も紛らわしい箇所にあった。
勝田駅は、1番泉ホームでJRの2番線と同じ箇所であるが、中間改札がある。電車が行ったばかりだった。次の電車は40分後・・・。電車といっても気動車であるが・・・。来た電車は表紙に飾ってあるキハ2000形の2004番編成で、車両は旧国鉄の準急色で黄色で赤の帯が入った。1980年頃の都営バスの塗装とよく似ている。
車内は非冷房でこれよりも驚いたのが、床が木であった。床が木の電車に乗るのは、昨年の名鉄の岐阜市内線以来1年ぶりであった。しかし床が木の電車が来ると古い電車であることがわかる。これにとても敏感に感じる。夕方とあって車内は高校生やお年寄りが多く乗車していた。

勝田駅を出て、車内には潮風が入ってくる。開いた窓からは風だけではなく、畑や田のにおいもする。冷暖房の効いた列車の多い中、時代遅れでも地域の匂いなどが感じ取れた。

しばらく行くと那珂湊。ここは1994年までは那珂湊市で、那珂湊市の中心部であったが、今は勝田市と合併し、ひたちなか市の一地区になっている。ここはどうしても思い出すのが小学校の時の80年代後半にNHK教育で放送していた「たんけんぼくのまち」という小学生向けの社会科番組であった。チョーさんこと長島雄一さんがが自転車で地域を回る番組であった。チョーさんのキャラの個性さは今でもよく覚えている。自分の自転車を「ナイトライダー」と称したり・・・
私がよく見ていた時は、この那珂湊市が舞台であった。(のちに福島県いわき市、静岡県清水市などに移る)ここには古めの車両も留置しており、駅の中を通るだけでも楽しめた。

阿字ヶ浦へ向けて走るが、古い車両なのでモーターもパワー全開。しかし古きよき鉄道が楽しめ、10年以上前に戻ったような気がする。
終点の阿字ヶ浦駅は海岸から離れた高台の上にある。この阿字ヶ浦もひたちなか市にある。阿字ヶ浦駅には古いディーゼルカーも止まっていた。

阿字ヶ浦

阿字ヶ浦駅(湊線)

海水浴シーズンは終わったが波は静かだった。ここには天然温泉もあり、なかなか楽しめる。南は大洗、北は東海村などがあり、特に東海村は原子力エネルギーなどで全国的に著名な箇所でもある。

阿字ヶ浦からは勝田に戻る。ここでの車両は1995年に導入した新型の3710形気動車であったが、車両は新しいものの車内は28人掛けのスーパーロングシートであった。
茨城交通3710

夕暮れの町を気動車は行く。那珂湊や勝田周辺で乗り込みがあるものの、乗車したのはわずか4人であった。阿字ヶ浦から乗り通したのは私一人であった。休日の夜といえども寂しさを実感した。今回もローカル線の厳しさを実感した。高校生とお年寄り、そして訪問客しか乗らない鉄道はいかがなものなのか・・・。

新旧の車両の乗り比べを行い勝田駅に戻った。この訪問からは車両だけでなく風景などさまざまな点で収穫を得た。地域の足としてこれからもがんばってほしい。

勝田駅到着後、お楽しみが待っていた。団体専用列車が私が到着した10数分後の18:40に来るというのだ。
リゾートゆう
これは団体専用列車のリゾートエクスプレスゆうで1991年勝田電車区所属の欧風列車としてデビューした。この列車は特急「ひたち」用の485系の改造車であった。1993〜4年頃は臨時列車「リゾートエクスプレスゆうひたち」として特急ひたちの臨時列車として走っていたが、後年お座敷列車になった。
久々にこの電車を見た。全車グリーン車の欧風電車ではバブルの時代はこれでもよかったかもしれないが、今の時代は欧風よりも同じ全車グリーンといえどもお座敷のほうがニーズに合うのかもしれない。

この日は鉄道面では大当たりの連発であった。
おまけとして勝田電車区の485系の特急ひたち時代を紹介する。
485系ひたち
特急ひたちの485系も今から10年前の最末期は白地に黄緑と灰色の落ち着いた塗装であった。これは最末期の1998年に上野駅で撮影したもの。

ヨーカドーのマークが消えた・・・

9月1日からのセブンイレブン・デニーズ・イトーヨーカドー・ヨークマートなどの系列会社の持ち株会社化による「セブンアンドアイホールディングス」の発足に伴い、一部で変化がおきた。しかし、その変化が個人的に大きなショックを受けた。

なんとイトーヨーカドーの看板でもある鳩のマークが消えてしまい、セブンアンドアイホールディングスのマークに変わってしまったのだ!!!
これは、長年イトーヨーカドーのマークを見て育てきた者からすれば、大ショックであった。今は最寄のイトーヨーカドーまで10km以上離れた場所に住んでいるが、昨日イトーヨーカドーの多い葛飾に帰省した際に、自宅に最も近かったイトーヨーカドー四ツ木店の看板がこうなっているのにはショックで失神そうだった。四ツ木店だけでなく、高砂店・立石店・小岩店・・・私が通っていたイトーヨーカドーが皆新しいまるでセブンイレブンのような看板に成り下がってしまった・・・

ヨーカドーの鳩はどこだ・・・鳩のマークこそヨーカドーなのに・・・鳩のマークは、看板ではない店内の目立たないようなところにさびしく飾ってあった。
ましてや最も店舗を認識する看板に鳩のマークがないのは、暴挙といえよう。

なぜ、会社の内部事情に過ぎない持ち株会社の成立なのにイトーヨーカドーの看板まで変えてしまうのだ。これはアイデンティティ破壊でもあり、イトーヨーカドーの企業までもイメージが変わってしまう。
私がこの新マークに反対するのは、スーパーはスーパー、コンビニはコンビニではないだろうか。ヨーカドーは、衣料品を中心に家電、趣味娯楽、食品など何でもそろう。しかも衣料品の質は極めて高い。一方、セブンイレブンはコンビニで販売しているのは食品などを中心とした日用品で、最近はマルチコピーなどによる写真作成やアイワイバンクの設立によるATMなどもできるが、明らかに役割が異なる。それなのにマークを似たり寄ったりにしてしまうのはスーパー・コンビニという点から見ても異様であろう。
ヨーカドーには食品専門のヨークマートも展開しているが、残念ながらヨークマートもヨーカドー同様にセブンアンドアイの共通マークになってしまった。

私はイトーヨーカドーの多くある地域で育ち、行く回数も圧倒的に多かったので、ヨーカドーが大好きで、ヨーカドーこそがスーパーのナンバーワンだと思っている。あの看板は、セブンイレブンと間違えかねず、両者の混同によってイメージも変わってしまう。とっととセブンアンドアイのあのマークは看板使用は廃止するべきだ。あと、今はオリジナル看板を維持しているデニーズがセブンアンドアイのマークにならないことだけを祈ろう。

四ツ木のヨーカドー新看板になったイトーヨーカドー四ツ木店。鳩はどこへ・・・
亀有ヨーカドー
鳩狩りを逃れたヨーカドー亀有駅前店。

豪雨被害から考える

ブログネタ
台風 に参加中!
9月4日から5日にかけて東京地方に大雨をもたらした。特に作者の住む杉並区や中野区では河川の氾濫や床上浸水・床下浸水・道路陥没が生じ、多数の被害が生じた。
この原因として、中小の河川が豪雨に耐え切れず、氾濫してしまったためだった。特に中野区南部の弥生町付近の神田川と善福寺川の合流地点や中野区江古田の妙正寺川と江古田川の合流地点などでは被害が大きかった。総じて川沿いの被害が甚大で、都市水害が中小河川の低地で起きやすいことなどを露呈した。

中野区や杉並区は、中央線や青梅街道沿いに横に歩けばあまり実感しないが、中野通りや環七通り、環八通りなどを縦に歩けば、結構坂が多い。神田川・妙正寺川・善福寺川の近辺が高低差があるが、東中野〜阿佐ヶ谷付近にかけては桃園川という暗渠になった川もあり、この近辺では川はないものの、坂だけは残っている箇所がある。実際に中野や高円寺駅から青梅街道の間には、高低差があるのはそのためだろう。

豪雨対策として、中野区の野方近辺の妙正寺川や杉並区方南の神田川では調整池も設置され、豪雨対策を施しているようにも見えるが実際には50mmの雨程度しか対策がなされておらず、治水の遅れが目立っている。関連記事神田川の調整池では今月17日から稼動する調整池を前倒して使用を開始した箇所もある。

このような場合に対してハザードマップが役に立つような点もあるが、実は都のハザードマップと杉並区のハザードマップで相違が生じ、ハザードマップが役に立たなかった一件もあった。地図に頼ることも大事であろうが、この地域が大丈夫な地域かどうかを見極めるのは地域住民の声であり、特に新しく住みだした人には近所付き合いなどが重要になる点がある。増してや中野区・杉並区は単身層や上京住民が多いので、これすら難しい点もある。更に自然災害は何が起こるか予測ができない。ハザードマップは確かに重要であるが、それをも壊してしまうのが自然の恐ろしさであろうか。

つくばエクスプレス沿線を散策する

ブログネタ
鉄道 に参加中!
開通から1週間を迎えたつくばエクスプレス。昨日、完全乗車をしたので、駅周辺などの模様を含めて乗車して感じたことをお伝えする。

2df78ae0.JPG
つくばエクスプレスの2000系車両

秋葉原駅
起点となる秋葉原駅は、地下33mの深さにあり、駅からホームの位置が遠い。その為、山手線からは10分、総武線からは12〜3分の乗り換え時間を要する。隣の新御徒町駅は、都営大江戸線との乗換えが比較的スムーズなので、時間短縮を狙う場合はこの駅から乗車するのが最も良いかもしれない。

浅草駅

そして浅草駅。この駅は、都営浅草線・銀座線・東武伊勢崎線の浅草駅とも600mほど離れ、乗換えが出来ない。つくばエクスプレスだけでなく東武鉄道も浅草駅は別位置にあるから注意してくださいという啓発の看板があった。なぜ、既存の駅名と同じ駅名にするのかが理解ができない。これは都営地下鉄や東武鉄道などにも迷惑を掛けた。素直に西浅草や新浅草と名乗る方が良かったかもしれない。しばらくの課題はどれだけ乗換えが不可能であるかなどの誤解を防ぐかにあるだろう。

南千住、北千住と出て、荒川を渡る。北千住駅は、日比谷線と同じ高さにあるものの、混雑している同駅から見ればゆとりのある感じが見受けられた。青井駅、六町駅近辺は、最寄り駅まで遠くバス便もあったが、決して便利ではなかったので、交通不便地の解消には役立った。

八潮駅は、市内の東部あるが、市内としては初の鉄道駅で、今後どのような駅や地域になるかに期待が集まる。


マイスカイ交通
三郷中央駅は、三郷市の中心部にあり、JR武蔵野線の南部の鉄道空白地に駅が完成した。ここは常磐線・京成線金町駅へのバス便が頻繁に運転される。東武バスだけでなく、三郷市内に位置エリアを築くマイスカイ交通も同駅開業を機に大幅に路線の拡充を図った。マイスカイ交通は2002年から金町駅〜三郷市役所〜三郷駅間のバスを運行し、葛飾区内にも乗り入れる。本来は東武エリアであるが、バスの規制緩和によって、新規参入した会社で、白石運輸という会社のバス部門が同社にあたる。

江戸川を渡った南流山駅は、JR武蔵野線の駅構内にJRとつくばエクスプレスとを比較した比較広告があり、所要時間・運賃などについて東京・新宿・秋葉原の3駅との間での比較があった。

流山おおたかの森は、東武野田線との接続駅で、野田方面からの客を見込んでいる。同駅周辺は何もないのでしばらくは単純な乗り換え専用駅となる可能性が高い。ここは自由ヶ丘を目論んでいる地域であることは以前のブログでも書いた通りで、本当に自由ヶ丘になれるかにどうか・・・

千葉県内は森林・田圃などの緑が多く、この地域の自然の豊富さが感じられる。国道16号や県道などのロードサイドのスーパーのネオンが目立つくらいであった。まるで新幹線からの車窓に似ている。横文字の駅名が多すぎるのが千葉県で、流山セントラルパーク、柏の葉キャンパス・・・どうしてこんなに横文字の駅名に拘るのか・・・。(友人は流山公園、柏東大前でいいのではないかと言っていた)

常総線快速

利根川を渡り、茨城県へ。最初の停車駅は守谷で、ここは車両基地があるだけでなく、関東鉄道常総線との接続駅であるので、多くの利用客が見込まれる。市内も人口増加・土地価格上昇などの特需を受けている。守谷駅も国道294号沿いのロードサイドスーパーのネオンが目立っていた。常総線沿線の水海道市や下妻市などはこの開通によって事実上の時間短縮が達成され、関東鉄道常総線も快速電車が運転されるようになり(停車駅取手〜守谷間各駅、水海道、石下、下妻、下館)更なる利用者の獲得も目指す。

小貝川を渡り、交流電化の区間になる。みらい平、みどりのといった駅名は、はっきり言ってただのイメージだけネーミングの駅で、こういう名前の駅はいかがなものか。もともと伊奈谷和原、萱丸という駅名であったが、この名前でも十分だったと思う。守谷〜つくば間の快速通過駅は運転本数が1時間当たり2〜3本と少ない。今はともかく10年後20年後とどんな駅になるのだろうか。

つくば駅前
つくば駅は、交通センターの中心部にあり、筑波大学や研究所、工場などへ行くには駅からバスなどにならなければならない。ただただ東京など他地域と筑波研究学園都市とつながったのは事実であるが、研究学園都市は広いので、研究都市内の交通整備が今後の課題になるかもしれない。つくばエクスプレス開業後も東京駅八重洲口〜つくばセンター間のバス路線が残存したのも研究都市内の面積が広く、つくばエクスプレスの恩恵を受けない地域があるためかもしれない。

つくばまで1時間以内の道のりであったが、つくばエクスプレスで目立ったのは東京都内からでなく、南流山やおおたかの森、守谷辺りからつくばへの利用者の多さであった。鉄道の場合、ネットワークが上手く行っているので、他路線との接続も有機的に上手く行く点もある。例えば、おおたかの森駅で接続する東武野田線は、千葉県の船橋市やさいたま市の大宮などとを結ぶことで、沿線外の千葉県内や埼玉県内からも筑波方面へ行きやすくなった。鉄道開通による地域の影響は計りしれない。しばらくは、既存のエリアからの住民輸送や筑波研究学園都市の輸送が中心になるが、今後は沿線の人口の増加なども起きれば、沿線も新たな道を開く事になるだろう。

つくばエクスプレスの車両は、最高速度130kmの高速運転をするが、高速運転区間は全駅にホームドアがあるために設定が可能で、爽快感がある。ダイヤで気づいたことは快速では余裕時間をとっており、特に北千住以北の快速停車駅では停車時間が微妙に長かった。これは4月のJR福知山線の脱線事故の影響で余裕ダイヤを取ることが盛り込まれたからかもしれない。
また、通勤定期のシフトも沿線内を起点とするのであればともかく、東武野田線沿線などでは定期券のシフトが進んでいない路線もある。これこそが利用客増加の第一手段なのに、このような壁がある限りは目標人数へのシフトが進まないかもしれない。

夏の信濃路探索

ブログネタ
夏の信濃路 に参加中!
昨日、長野へ行ってきた。その目的はしなの鉄道の実態確認と都市の様相の確認、自分の家族と関係のある海野宿の見に行きたかったことなどがある。

自宅からは自動車で向かった。そのほとんどは、一般道を経由した。はじめに向かったのは横川の鉄道文化村。ここは昨年に続き3度目であったが、今年は3月からのトロッコ列車の運転で、もう一度行きたかったこともあった。

碓氷トロッコ

このトロッコは横川駅から2.6km先の峠の湯までの列車であった。実はトロッコ列車の体験は初めてで、窓の外から眺める山々や川が大変美しかった。碓氷峠を挟む横川〜軽井沢間の廃止から8年。群馬県と長野県の県境は、新幹線で通過するとトンネルだけの区間であるが、廃線路線を見るたびに、10数キロの区間に550m差の高低差を超えるのに線路を敷いた明治時代や昭和時代の先人たちの偉業が偲ばれる。今、当時の建設者たちは今の姿を見てどう思っているのだろうか・・・。と同時に技術革新の進歩なども感じさせられる。新幹線のトンネル掘削もそうだが、高低差の大きい碓氷峠に急勾配を減らした高速道路(上信越自動車道)の建設も同様のことが考えさせられる。碓氷峠など群馬と長野の県境は交通技術の発達の歴史とも考えられる。

高速交通が発達した現代、特に長野県に関しては地域に関する変容が起きた。碓氷峠を挟んだ山側の軽井沢は、一リゾート地で、特に西武・コクド系の企業が多く、今後の西武グループ再建後、どのように施設が変貌するかに期待が集まる。軽井沢の集客性は安定しているので、新幹線の開通前・開通後で地域的な影響は薄いが、大きな差が生まれたのが新幹線・佐久平駅を抱える佐久市と長野新幹線開通前の特急あさま号が運転されていた時代は全列車特急あさま号が停車した小諸市であった。小諸は信越本線のしなの鉄道転換に伴い、一中間駅になってしまった。一方の佐久は小諸駅からJR小海線の中込駅辺りが市内の中心地で、高速交通網から外されてしまった感じがあった。しかし、長野新幹線が佐久平駅に停車することで、佐久市は大きなチャンスを得た。

佐久市
佐久市内
まるでミニ東京化が進んでいた。これは新幹線と小海線の佐久平駅の周辺の話であった。新幹線の駅周辺は「見かけだけの東京」とはよく言われた話だ。駅周辺にはジャスコやカインズの大型店が並び、当然自動車でも入れるようになっている。駅前商店街は形成されてなく、シャトレーゼやモスバーガーなどのロードサイド店が並んでいた。都市生活者に慣れた者としては何でも揃うので便利かもしれないが、何だか少し淋しい気もする。いかに人工的な町の気配であった。見かけだけの「ミニ東京化」は、都市としては味気ないが、商業集積力の増加による雇用効果や売り上げの増加など商業面での効果は大きい。
その一方で中込駅周辺の旧市街地の方は、相変わらずシャッター通りがあるなど佐久平駅周辺とは違った景観を見せていた。地域によってこれだけ違うのはまるで、佐久市の都市形成の相違とモータリゼーション&パークアンドライドなど社会情勢の変化にあるのではないかと考える。


小諸市
小諸市内
ここは懐古園など市内には城下町時代の名残がある。北国街道の宿場町でもあったので、旅籠などの跡地も残る。そして信越本線が引かれ、特急列車も停車したので県内の主要都市であったが、新幹線の開通後は、駅や市内に人が減少し、駅自体もとても淋しかった。もっとも人口の方は10年ほど前とさほど変わっていないが、少子高齢化の影響はあるかもしれない。
小諸では市内散策とりんご狩りを楽しんだ。特に市内は坂が多く、北へ行けば行くほど高くなり、横浜や神戸などの港町を錯覚させるような見下ろしの良い場所があった。そもそも駅自体が千曲川沿いの低地にあるという特徴があるので、横浜などとは似て非なるものだが、坂町ならではの風景を見せてくれた。
市内には佐久にはない商店街や旅籠など歴史を感じさせるものが多かった。このような町は独特の雰囲気もある。交通アクセスは不便になったかもしれないが、地域資源を生かした町で活性化できるかもしれない。
この地域は歴史だけでなく、浅間山の自然、りんご等の農産物などを生かせれば魅力的な地域づくりが出来る。商業だけで衰退化とはいってはいけない。

佐久と小諸では佐久の中でも佐久平駅周辺は東京型都市開発、小諸は京都型都市開発の町ともいえる。東京型都市開発とは、大型店などが中心の町をいい、京都型都市開発は地域資源を生かした都市開発の手法でもある。詳しくはこちら

海野宿
海野宿

海野宿は長野県東御市(東部町と北御牧村の合併)に位置し、しなの鉄道の田中駅と大屋駅の間にある。ここは自分の家族と関係のある場所で、特に祖父からよく話を聞いていた。海野宿は、北国街道の宿場町で、江戸時代や明治時代の当時の景観のほとんどが保存されており、信州の観光地としては大穴ともいえる。ここは歩いているだけでも往時の様子が感じさせる。例え鉄道や道路が近接していても、この2つは地域を変貌させる恐れがあるので敢えて駅を作らなかったのかもしれない。また、宿場町の往時の風景が見られることは、この時代にとって大事なものかもしれない。

しなの鉄道
しなの鉄道115系

しなの鉄道は長野新幹線の開通に伴う平行在来線の第3セクター化第一号ということで話題になった。信越本線として訪ねた10年前と違ってまるで違う鉄道のように感じた。まず、JR時代の駅舎がそのまま残っているので、駅構内などを持て余しているようにも見える。特急列車が一本でも停車する駅は必要以上の長いホームがこれを物語っている。更にワンマン列車の運転も同様に考える。次にソフト面では、トレインアテンダントといわれる女性車掌が何人もおり、サービスに貢献している点がある。その他にも軽井沢へのイベント列車や長野電鉄と協力した列車の運転や新駅の設置などさまざまな点で地域への鉄道へ向けたと努力をしている。JR時代であれば、特急への旅客誘導などがあってこれ以上に使いにくかった。青春18きっぷの利用客には別料金となるので大変痛いかもしれない。しかし、あくまでも鉄道はその地域にあるもので、大切なのは地域住民になる。

この鉄道にはJRでほとんど姿を消した急行型車両の169系車両が残存し、通勤ライナー快速「しなのサンライズ号」などに使用している。残念ながら当日は169系に会えなかったが、今度は必ず乗車したい。全国的にも急行型165系が改造車でも残存しているのはしなの鉄道と富士急行、秩父鉄道など数えるほどしかない

鉄道が問題を抱えているのは、上田駅で接続する上田交通も同様で、上田交通上田駅でも上田交通を積極的に鉄道支援を訴えていた。地方鉄道の抱える問題は、少子化・高齢化・人口減少・モータリゼーションなどさまざまな問題がある。車両や設備などの古さなども問題にある。しなの鉄道の場合は上田交通よりも施設が恵まれているので、まだ救われる面があるが、上田交通など地方会社はそれも厳しい。鉄道の大切さを考える契機になった。

おまけ

行きに上越新幹線の本庄早稲田駅を通過したので、当駅の開通1年後を見た。相変わらず駅前には駐車場のみで、開発などが進んでいない。そして停車本数も少ない。更に本庄駅や周辺部へのバスアクセスも少なすぎる。これでは、まるで駅と駐車場だけがあって後は何もなしという別の意味で味気のない駅に過ぎない。
一方、市の開発が進めば佐久市同様の東京型都市開発が展開される可能性もある。市では、本庄副都心構想を打ち出しているが、これも微妙なものである。この本庄早稲田駅を活性化させるには、市内を刺激しないような施設を作り、多くの人が共存できるようなものが欲しい。また、新幹線の待ち時間だけで買い物が出来るような売店なども多く欲しい。くれぐれもやりすぎて別の意味で味気のない町にせずにしていくべきではないか。本庄早稲田駅

台風とその対策

昨夜、台風11号が関東地方と東海地方を通過し、周辺は一日中雨天となった。その中でもとりわけ神奈川県の箱根では500ミリ以上の降雨量に達した。

昨年は相次ぐ台風の上陸で河川の氾濫などが多く起きたが、時期が時期だけに台風に対するより一層の対策が必要になるのではないか。台風の場合は床下浸水など、床上浸水などの影響を及ぼす。また、交通機関の方は飛行機や新幹線など長距離を結ぶ交通機関に影響が出る。
台風などに対しては、河川の増水が最も怖い。このような洪水防止の為にハザードマップを発行している自治体もある。これは中野区の例であるが、中野区は特に南部が神田川に面している箇所があり、ここで何回か床上浸水などが生じている。中央線より北部の地域では南部ほど被害が生じていない。川のある地域では例え小さな川でもそれに対する備え付けが必要になるのではないか。

地震などの災害は最も危険な地域は東京を中心とした都市部の方ではないか。なぜならば、都市におけるほとんどの機能は東京に集中し、東京が麻痺すれば日本の国力などにも影響が出るからだ。現に7月23日の震度5の地震の際も、交通機関が大混乱し、多くの人に影響が生じた。人口の多い東京に住むからにはリスクも多く付きまとう。災害時に密集市街地に住んでいれば火災及び避難経路、低地であれば河川の氾濫などの液状化現象、遠距離から通勤している人は帰宅難民、まさに問題だらけだ・・・。住んでいる地域ではどのような問題点があるのかを再度考慮してみる必要があるかもしれない。万が一の心がけが一つでも出来れば、地震の害は軽減できるかもしれない。

地図への関心

d8a0c51e.JPGいよいよ明日、つくばエクスプレスが開通する。ここでも数回取り上げているので、詳細はここでは話さないが、29〜31日の間に有効のフリー切符を購入したので、その際に乗車した感想などを述べる予定なので、この時に楽しみにしていてください。

最近、自分が凝りだしているものがある。これは昔の地図である。現在の地図も必要であるのは事実であるが、古くからの地図はこの場所の歴史や地誌、風土などがわかる。また都市化した現在、昔はどのような場所であったのかなどを調べるには絶好のものになっている。
古地図の中でもとりわけ街道が基準になっている。これは自分が鉄道や道路に関心があるので、鉄道や道路中心で物を考えることから来ている。自分の家の近くは、青梅街道と五日市街道の分岐点で現在も同様であるが、環七通りなどが開通していないので、地域が一体化していたことも図では読み取れる。
一方、葛飾のほうでは、昭和初期の地図では用水路が多数流れており、この地域が水を他の地域に流すための水路であり、水の恩恵を受けていたことが考えられる。最も関心に残ったのは、区内にはまっすぐに伸びている道路が多く、これが用水路もしくは浄水場の水道を別の地域に流すためにこうなっている。かつての住居もこの直線道路沿いにあった。なるほどな・・・これはこれまでの自分にとっての大きな発見の一つだった。人口の増加とともに都市化が進んだが、水路などはせっかく引いたので用済みで終わったかと思えばこれは間違いで、道路や親水公園などに転換することで時の流れを感じるのかもしれない。反面、昭和初期までは洪水などの多い地域であったので、川を直進にしているところもある。これは放水路で、狭い用水路では限界を感じる発展解消に至ったのではないか。

これだけではない。地図は読めば読むほど面白く感じる。地理や地図の面白いところはここにあるのではないかと実感した。
記事検索
過去の投稿
カテゴリー
自己紹介と規約

・特急あらかわの自己紹介
2015年1月に新たに作成をしました。こちらの記事をご参照ください。

.あらかわ交通ノートの規約
2010年1月1日に制定しました。こちらになります。コメントやトラックバックに関する規定や画像についてのルールを書きました。

Twitter プロフィール
最近のトラックバックより
ツイッター
私のツイッターです。ブログよりも情報が早いこともあります。鉄道や地理、交通、写真撮影だけでなく、音楽やアイドルのことなどもよくつぶやいています。よろしければフォローをお願いします。(タイムライン荒らしや中傷誹謗目的などは一切お断ります)
ギャラリー
  • ホテルについて思うことを書いてみた
  • ホテルについて思うことを書いてみた
  • ホテルについて思うことを書いてみた
  • ホテルについて思うことを書いてみた
  • ホテルについて思うことを書いてみた
  • ホテルについて思うことを書いてみた
  • ライブドアブログ