4月17日、一つの車両が山手線から姿を消す。これは約20年にわたって山手線の顔として走っていた205系車両だ。山手線といえば自分の頭の中はずっと205系というイメージであった。特に全ての車両が205系になった1988年に鉄道趣味を始めたので、尚更そう感じる。小学生の時も大人になった今も・・・山手線はずっとこの車両だった。日暮里から乗っていた時代も新宿から乗る今も・・・。おそらく自分のJRの車両の中では最も乗車している車両だろう。

山手線の205系は、武蔵野線や京葉線、八高線・川越線など東京近郊部の路線に活躍の場を移し、大都会から郊外の電車に変わっている。

今活躍しているE231系は2002年4月の導入で、ITを駆使し、車内の液晶でさまざまな案内が出来る。そして車両の幅も広く、6ドアの車両も増えた。まさに次世代的な通勤電車だ。全ての車両がこの車両になることで、デジタルATCを駆使したスピードアップも予定される。

残念ながら駒込駅のつつじなどとの顔合わせは昨年が最後になってしまったが、バブル期以降の東京を駆け抜け、東京の移りようをずっと眺めてきたこの車両。次に東京のど真ん中を通過するときにはどんな景色になっているのだろうか。

山手線の205系の最後の日かその数日前は、最も乗車した区間の日暮里〜池袋間を中心に乗車したい・・・。できたら日暮里駅から乗車したい。これも自分の原風景なのだから。

山手線205系
4月16日、山手線205系最後の乗車を池袋⇒外回り一周⇒池袋⇒日暮里と御徒町⇒外回り⇒新宿間で行った。池袋駅を起点にしたのは、池袋駅から日暮里駅を経由して京成線で帰るルートを以前実施していたので、その当時を名残惜しむ事と山手線で最多乗車区間が、池袋⇒日暮里間であるので、この区間で乗ることだけは外せなかったからだ。池袋駅で数台見送って205系が来た。いつものモーター音を鳴り響かせながら、大塚・巣鴨・駒込・・・掘割の見慣れた区間を走る。新幹線が見えて、田端に着く。ここからは京浜東北線と一緒に走る。西日暮里を過ぎ、最も乗降した日暮里駅を過ぎ、一つの演出が待っていた。京成線との交差部で成田空港に向かうスカイライナーとすれ違った。京成のスカイライナー車両のAE100系と205系は15年来の顔馴染みだ。最後にこのシーンに出くわしたのはラッキーだった。鶯谷を過ぎ、上野に着く。御徒町を含んだ上野界隈を通過し、秋葉原。205系は山手線としてはつくばエクスプレスと会うことはないだろう。神田では東北新幹線が隣を走り、最後の応援してくれる。そして東京駅。隣にいる東海道線の113系は205系が山手線を引退してもまだまだ走る。老兵と握手を交わし、有楽町・新橋と東海道新幹線の「のぞみ」号と一緒に走る。「のぞみ」の中からも山手線の205系はきっと最後だろう。浜松町・田町とすぎ、品川駅。ここからは利用客が増えて、どっと賑わう。山手電車区の最寄の大崎を過ぎた。ここは長い間の住処であった。五反田・目黒・恵比寿と高架と掘割が続く。山手線は、高低差の激しい場所を通る。渋谷駅。ここは、多くの客が入れ替わる。駅前の交差点を見ながら走る黄緑の205系ももうすぐ最後だ。代々木体育館をバックに走り、原宿では、超満員になり、夕方にもかかわらず200%近い乗車率に達する。代々木公園を過ぎ、代々木、そして新宿駅。隣のホームには、小田急の新ロマンスカーVSEが止まっており、205系にエールを送っている。新大久保・高田馬場・目白とすぎ、池袋駅で一周する。再び、大塚駅。都電とこの205系の顔合わせもまもなく最後。巣鴨を過ぎ、まもなくつつじが満開になる駒込駅。わずかしか咲いていなかったが、つつじが満開にならずに山手線の205系が引退するのは、つつじの花たちも残念がっているかもしれない。田端を過ぎ、多くの撮影者で溢れる西日暮里駅。そして日暮里駅に着き、205系を後にする。ありがとう205系。最後はやはり最も降車した駅で別れるのが一番だと思った。
しかし、アンコールを御徒町⇒新宿間で行い夜の東京をともに旅し、新宿駅で最後の別れをした。思い出に変わるまで・・・205系と歩いた十数年間。永遠に山手線のエースとして切り刻まれるだろう。