4月25日、9時20分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線尼崎駅北部において、車両が脱線し、マンションに激突し、50人以上が死亡し、300人以上が負傷してしまう大事故があった。鉄道を日ごろから愛する自分としては鉄道事故の度に悲しく、胸が痛んでしまうが、今回の事故はニュースで死傷者の数が報じられ、大破した207系電車の先頭部から4両の脱線した車両の破壊を見るにつれて、胸が痛くなるというか自分も絶叫してしまうようなショックを受けてしまった。何でこうなってしまうのか・・・ましてやこの時間帯は、ラッシュからは数十分遅いものの、依然として兵庫県の川西・宝塚といった大阪市の郊外都市から大阪市や神戸市方面への移動の多い時間帯で生じ、乗客も多かったので、このようなショックの幅も大きかったのではないかと実感する。あまり書くと被害者感情を逆撫でするだけでなく、自分もショックで絶叫しかねないので、ここらへんで状況を書くことはやめておく。

一体この原因は何か・・・。23歳の運転手のオーバーランなど自分が生じた遅延回復の為に、ダイヤを厳守するべくカーブでもスピードを上げていたので曲がりきれずに生じた荒くれな運転ぶりが大きく報道されているが、信号装置が古いことや車両の軽量化なども原因の一つとして考えられるが、軽量化はどの鉄道会社も実施しているので直接的な原因は少ないと感じる。
となりとやはり、信号装置に非があるのではないか。実際に、1988年の中央線の東中野事故などカーブで起きた事故は、信号装置の古さなどが原因で生じた。1991年の信楽高原鉄道の事故も信号装置が原因だった。2000〜2001年の京福電鉄の事故も同じく信号装置であった。これらの事故が生じているのに何故事故を防ぐ信号装置の推進などを行わないのか疑問に生じる。

これは、安全第一の鉄道にあっては絶対におきてはならないことだ。なぜならば、鉄道に対して市民が求めているのは安全性なのは言うまでもない。スピードアップやサービスアップは安全あっての要求策なのも至って当然の話だ。この惨事を契機にバリアフリーなどのサービス向上だけでなく、安全性などにも更に予算などをつぎ込むべきではないかと考える。この事故だけではなく、新潟中越地震の際の上越新幹線の脱線事故で課題を呈した自然災害による鉄道被害など今後鉄道が生き延びていくには、やはり安全あっての鉄道にしていくべきではないかと思う。整備新幹線などの建設第一主義をしていくのであれば、こちらの方に力点や政策を置いてもよいのではと感じた。

この事故によって、鉄道に最も求めるのは、安全性であることを再確認した。50人以上の死亡者の冥福を祈るとともに、事故をしっかり究明する事によって、鉄道に対する安全の見直しなどを官民挙げて行っていくべきではないかと感じる。こんな事故はもう見たくはない。
この事故の死者は106人になってしまった・・・。大惨事のあまり言葉には出来ません・・・

この事故を受けてJR西日本のダイヤの特性や社内教育などが取り上げられているが、これはJR西日本だけではないだろう。経営効率化や社員教育の形骸化によってどの会社も行っているように見える。決して他人事ではない。
時間通りに走るのは鉄道としての最大の使命であるが、過度の行動は絶対に良くない。JR西日本のように何も遅れればどんな場所でも時速120kmを出してもいいというのを大々的に報道するのはどうだろうか。下手にマスコミが一企業叩きとしてJR西日本を叩いているとしか見ようがないような報道もあり、マスコミの恐怖感を今日もひしひしと感じる。この事故はJR西日本だけでなく、鉄道業界の構造的な問題及び行政の無関心ぶりが生んだ事件でもあるのだから・・・だから自分が利用しているJR東日本や都営地下鉄・東京メトロ・京成電鉄なども怖くてしょうがない・・・