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昨日、長野へ行ってきた。その目的はしなの鉄道の実態確認と都市の様相の確認、自分の家族と関係のある海野宿の見に行きたかったことなどがある。

自宅からは自動車で向かった。そのほとんどは、一般道を経由した。はじめに向かったのは横川の鉄道文化村。ここは昨年に続き3度目であったが、今年は3月からのトロッコ列車の運転で、もう一度行きたかったこともあった。

碓氷トロッコ

このトロッコは横川駅から2.6km先の峠の湯までの列車であった。実はトロッコ列車の体験は初めてで、窓の外から眺める山々や川が大変美しかった。碓氷峠を挟む横川〜軽井沢間の廃止から8年。群馬県と長野県の県境は、新幹線で通過するとトンネルだけの区間であるが、廃線路線を見るたびに、10数キロの区間に550m差の高低差を超えるのに線路を敷いた明治時代や昭和時代の先人たちの偉業が偲ばれる。今、当時の建設者たちは今の姿を見てどう思っているのだろうか・・・。と同時に技術革新の進歩なども感じさせられる。新幹線のトンネル掘削もそうだが、高低差の大きい碓氷峠に急勾配を減らした高速道路(上信越自動車道)の建設も同様のことが考えさせられる。碓氷峠など群馬と長野の県境は交通技術の発達の歴史とも考えられる。

高速交通が発達した現代、特に長野県に関しては地域に関する変容が起きた。碓氷峠を挟んだ山側の軽井沢は、一リゾート地で、特に西武・コクド系の企業が多く、今後の西武グループ再建後、どのように施設が変貌するかに期待が集まる。軽井沢の集客性は安定しているので、新幹線の開通前・開通後で地域的な影響は薄いが、大きな差が生まれたのが新幹線・佐久平駅を抱える佐久市と長野新幹線開通前の特急あさま号が運転されていた時代は全列車特急あさま号が停車した小諸市であった。小諸は信越本線のしなの鉄道転換に伴い、一中間駅になってしまった。一方の佐久は小諸駅からJR小海線の中込駅辺りが市内の中心地で、高速交通網から外されてしまった感じがあった。しかし、長野新幹線が佐久平駅に停車することで、佐久市は大きなチャンスを得た。

佐久市
佐久市内
まるでミニ東京化が進んでいた。これは新幹線と小海線の佐久平駅の周辺の話であった。新幹線の駅周辺は「見かけだけの東京」とはよく言われた話だ。駅周辺にはジャスコやカインズの大型店が並び、当然自動車でも入れるようになっている。駅前商店街は形成されてなく、シャトレーゼやモスバーガーなどのロードサイド店が並んでいた。都市生活者に慣れた者としては何でも揃うので便利かもしれないが、何だか少し淋しい気もする。いかに人工的な町の気配であった。見かけだけの「ミニ東京化」は、都市としては味気ないが、商業集積力の増加による雇用効果や売り上げの増加など商業面での効果は大きい。
その一方で中込駅周辺の旧市街地の方は、相変わらずシャッター通りがあるなど佐久平駅周辺とは違った景観を見せていた。地域によってこれだけ違うのはまるで、佐久市の都市形成の相違とモータリゼーション&パークアンドライドなど社会情勢の変化にあるのではないかと考える。


小諸市
小諸市内
ここは懐古園など市内には城下町時代の名残がある。北国街道の宿場町でもあったので、旅籠などの跡地も残る。そして信越本線が引かれ、特急列車も停車したので県内の主要都市であったが、新幹線の開通後は、駅や市内に人が減少し、駅自体もとても淋しかった。もっとも人口の方は10年ほど前とさほど変わっていないが、少子高齢化の影響はあるかもしれない。
小諸では市内散策とりんご狩りを楽しんだ。特に市内は坂が多く、北へ行けば行くほど高くなり、横浜や神戸などの港町を錯覚させるような見下ろしの良い場所があった。そもそも駅自体が千曲川沿いの低地にあるという特徴があるので、横浜などとは似て非なるものだが、坂町ならではの風景を見せてくれた。
市内には佐久にはない商店街や旅籠など歴史を感じさせるものが多かった。このような町は独特の雰囲気もある。交通アクセスは不便になったかもしれないが、地域資源を生かした町で活性化できるかもしれない。
この地域は歴史だけでなく、浅間山の自然、りんご等の農産物などを生かせれば魅力的な地域づくりが出来る。商業だけで衰退化とはいってはいけない。

佐久と小諸では佐久の中でも佐久平駅周辺は東京型都市開発、小諸は京都型都市開発の町ともいえる。東京型都市開発とは、大型店などが中心の町をいい、京都型都市開発は地域資源を生かした都市開発の手法でもある。詳しくはこちら

海野宿
海野宿

海野宿は長野県東御市(東部町と北御牧村の合併)に位置し、しなの鉄道の田中駅と大屋駅の間にある。ここは自分の家族と関係のある場所で、特に祖父からよく話を聞いていた。海野宿は、北国街道の宿場町で、江戸時代や明治時代の当時の景観のほとんどが保存されており、信州の観光地としては大穴ともいえる。ここは歩いているだけでも往時の様子が感じさせる。例え鉄道や道路が近接していても、この2つは地域を変貌させる恐れがあるので敢えて駅を作らなかったのかもしれない。また、宿場町の往時の風景が見られることは、この時代にとって大事なものかもしれない。

しなの鉄道
しなの鉄道115系

しなの鉄道は長野新幹線の開通に伴う平行在来線の第3セクター化第一号ということで話題になった。信越本線として訪ねた10年前と違ってまるで違う鉄道のように感じた。まず、JR時代の駅舎がそのまま残っているので、駅構内などを持て余しているようにも見える。特急列車が一本でも停車する駅は必要以上の長いホームがこれを物語っている。更にワンマン列車の運転も同様に考える。次にソフト面では、トレインアテンダントといわれる女性車掌が何人もおり、サービスに貢献している点がある。その他にも軽井沢へのイベント列車や長野電鉄と協力した列車の運転や新駅の設置などさまざまな点で地域への鉄道へ向けたと努力をしている。JR時代であれば、特急への旅客誘導などがあってこれ以上に使いにくかった。青春18きっぷの利用客には別料金となるので大変痛いかもしれない。しかし、あくまでも鉄道はその地域にあるもので、大切なのは地域住民になる。

この鉄道にはJRでほとんど姿を消した急行型車両の169系車両が残存し、通勤ライナー快速「しなのサンライズ号」などに使用している。残念ながら当日は169系に会えなかったが、今度は必ず乗車したい。全国的にも急行型165系が改造車でも残存しているのはしなの鉄道と富士急行、秩父鉄道など数えるほどしかない

鉄道が問題を抱えているのは、上田駅で接続する上田交通も同様で、上田交通上田駅でも上田交通を積極的に鉄道支援を訴えていた。地方鉄道の抱える問題は、少子化・高齢化・人口減少・モータリゼーションなどさまざまな問題がある。車両や設備などの古さなども問題にある。しなの鉄道の場合は上田交通よりも施設が恵まれているので、まだ救われる面があるが、上田交通など地方会社はそれも厳しい。鉄道の大切さを考える契機になった。

おまけ

行きに上越新幹線の本庄早稲田駅を通過したので、当駅の開通1年後を見た。相変わらず駅前には駐車場のみで、開発などが進んでいない。そして停車本数も少ない。更に本庄駅や周辺部へのバスアクセスも少なすぎる。これでは、まるで駅と駐車場だけがあって後は何もなしという別の意味で味気のない駅に過ぎない。
一方、市の開発が進めば佐久市同様の東京型都市開発が展開される可能性もある。市では、本庄副都心構想を打ち出しているが、これも微妙なものである。この本庄早稲田駅を活性化させるには、市内を刺激しないような施設を作り、多くの人が共存できるようなものが欲しい。また、新幹線の待ち時間だけで買い物が出来るような売店なども多く欲しい。くれぐれもやりすぎて別の意味で味気のない町にせずにしていくべきではないか。本庄早稲田駅