371e7a38.JPG10月2日は東武の日で、東武鉄道ではイベントが開催された。その中でも埼玉県栗橋町の南栗橋車両区では、車庫見学や撮影会などの催し物が開かれた。

このイベントに合わせて東武伊勢崎線・日光線の各地から南栗橋へ向けた団体専用の臨時列車も運転された。(出発地は浅草・館林・栃木)その中でも、館林からの臨時列車は普段乗れないような電車が運転された。その車両とは東武鉄道の1800系車両で1998年まで浅草と群馬県の館林・大田方面を結ぶ有料急行「りょうもう」号として活躍した電車であった。現在は1990年代に製造された200系車両が特急「りょうもう」号として運転されている。(東武鉄道は急行でも特急料金を取ることになっている)

その1800系車両は、急行りょうもうの撤退後は、日光線での急行電車や普通電車に改造されたが、1編成だけ急行時代の塗装で残っている電車があった。この車両が、館林駅からの臨時列車として運転されるものだった。この1編成限りの電車は急行が新型車両となった1969年からの製造車両が多い中で、製造開始から18年後で今から18年前の1987年に増発用として製造された車両であった。この車両は7年前の急行引退後は、主に団体列車として使用されているもので、昨年その事実を知った際には「まだいたのか」と驚いてしまった。

1800系の活躍についてのホームページ

この車両には京成線に乗車して京成線と東武伊勢崎線の交わる東武線牛田駅前後での出会いが大変印象的で、いかにも有料列車のような顔つきで、特急とは一段違う急行っぽいなというのが所見だった。実はこの急行りょうもうの1800系に乗ることは一度もなく、いつの間にか去ってしまったような印象すらあった。

そのような条件から乗車がしたくなった。

館林の集合時刻は午前8時〜8時半で、出発時刻は8時50分である。都内増してや西側の地域から住むからには早起きなどの負担がいるが、それでも新宿から快速フェアーウェイで久喜へ、久喜から東武伊勢崎線で館林へ向かった。

館林の発車は8時50分、300人の定員であるが、多くの人たちがこの車両を撮影していた。家族連れも多かったようにも見えた。車内に入るとリクライニングはしないが比較的すわり心地のいい座席があった。レッグレストも車内にはあり、靴を脱いだり、足を伸ばすことをもできる。8時50分、館林駅を出発。少し走ると利根川を渡る。利根川の前後など各地では撮影している人が多かった。いかにこの車両が注目されているかを実感した。沿線は、ほとんどが田や畑の風景であるが、低湿地を通過するので多くの用水路や小さな河川があることが印象的であった。途中、南栗橋までずっと無停車であるが、加須駅で15分近く停車した。これは先行する一般列車を先に通すためだった。この車両の走りは初めての体験であるが、100km以上の高速走行は見られなかったが、それでも安定した走りを見せることは多く、ここは往年の有料急行の風格が十分に感じられた。行きに乗り換えた久喜駅を通過し、東武動物公園駅に着く、ここから南栗橋駅までは方向を転換して走る。その為、側線に停車し、それも20分近く停車した。停車中に別のホームにこの車両が急行りょうもうを引退した数年後に東武線に現れた東京メトロ半蔵門線の8000系や東急8500系が駅に入る1800系はこの車両と会うのは滅多にないが、どう見ているのだろうか。これは久喜駅ですれ違ったJRのE231系車両にも言える。
東武動物公園駅を発車して約10分後の10時12分、南栗橋駅に到着。82分間の貴重な旅は終わった。次にこの車両に会えるのはいつだろうか。また乗れるのだろうか、要らぬ心配をして?この車両を見送った。この車両はまさにツチノコのような車両で希少価値も極めて高い。色は少し褪せていたが、この車両はまだまだ活躍が出来ると思った。有料急行としての運転は10年弱であったが、団体列車として細々と活躍している今日この頃、時々「なつかしの急行りょうもう」などでリバイバル運転をしてみたらよいのではないかと感じるゆえであった。

南栗橋での東武ファンフェスタで、この車両が200系車両などともに展示がされた。左から1800系、日光線で急行として活躍する350系が2本、普通列車に改造され、館林や佐野地区などで活躍する1800系、そして現在の特急りょうもうの車両の200系となっている。どうせならば久々に東武の特急列車の看板である100系スペーシアとも競演がしてほしかった。

東武オールスターズ