85303184.JPGおなじみの市町村合併のシリーズ第3弾。今回は昨日紅葉を楽しんだ群馬県桐生市とその近辺の問題点をここでは紹介する。

群馬県桐生市。ここは江戸時代から絹織物で栄えた都市であった。現在ではパチンコメーカーの「SANKYO」などの本拠地としても知られている。1999年には地元の桐生第一高校野球部が夏の甲子園の高校野球で優勝した。

そんな桐生氏であるが、昨今の市町村合併で、異変が起きている。桐生市は、桐生市・新里村・黒保根村の3箇所と合併をした。その中でも新里と黒保根の2箇所は、桐生市から離れた箇所にあり、飛び地状態になっている。その間には、大間々・笠懸・東の3つの町村があり、この3箇所は来年3月から群馬県みどり市という漠然とした名前の市になる。
桐生周辺の合併
みどりで塗った箇所がみどり市、オレンジで塗った箇所が桐生市。

みどり市の市名に関して糾弾するのではない。桐生市が飛び地状態になっていることを懸念しているのだ。どうして、連続性がないところが同じ市として機能しているのか。桐生市になった新里村と黒保根村は、新里の場合は桐生と上毛電鉄で結ばれ、黒保根はわたらせ渓谷鉄道で結ばれている。自動車の場合は、新里とは県道、黒保根とも国道122号で結ばれている。確かに桐生市の広域圏に新里も黒保根も含まれている。しかし、もともと村であったので、ここが桐生という意識はそれほど高くないようにも感じる。これは例え離れていても桐生の名前を借りただけのようにも見える。市町村合併は、町や村を合併することで、地名を吸収しているが、このように連続性がない場所でも同市名としてありなのかどうかが問われている。たとえ吸収合併するとしても連続性がない所では、その市にしてもよいのかどうか疑問に思う。
この点で隣のみどり市の方が連続性があるだけでもましのようにも見える。みどり市もこんな漠然とした市名ではなく、渡良瀬市、高津戸市、大間々市などでも良かったように見える。
こんなのが罷り通ったのも、町村間の意見の相違に比べて、加速する市町村合併の法律が原因のようにも見える。昭和の合併の時期と現在とでは市民の気質、社会、文化などの環境が大きく違っている。特に社会的な面では市部と町村部では違っている。その結果として合併の難航が進み、飛び地状態の市が誕生してしまう背景にある。2月に行われた長野県山口村の岐阜県中津川市への越県合併の成立もこのような社会的な点が影響しているのではないかとも考える。
偶然であるが、桐生市は1959年栃木県の菱村を桐生市に合併し、越県合併の前例になっている。現在は桐生市菱町として残っている。もしこの菱村が現在も残っていたらどうなっていたのだろうか・・・。この菱村は、桐生駅から徒歩10分程度の箇所にあり、桐生の駅勢圏の中にあった。現在と今で違うのは、社会的な成熟・産業の変化などが決定的な理由として考えられる。その結果として、このような越県・飛び地などの結果にもなってしまうのではないだろうか。