
私は幼時には亀有にあった祖父の家へしょっちゅう行っていた。その時,祖父の家からピンクと肌色の電車が見えた。おそらく常磐線を走っていた急行ときわ号だろう。これがはじめての455系だった。東北・上越新幹線が上野まで延伸し,急行列車は消えた。
それから時が過ぎ,先述の東京〜仙台間青春18きっぷの初めての旅で,再びこの車両と出会った。
その場所は,福島駅で,当時は福島〜仙台などの運用に入っていた。乗車したときは,なんて豪華な車両かと思った。デッキつきのクロスシートに乗れるのは,嬉しかった。
仙台に到着後,その旅では山形に向かった。仙山線に入る車両は当時は多くが455系だった。奥羽山脈を越えるこの車両は,山を越えるためにモーター音をうねらせ,景色の変化の激しく,山の中を通過し,面白山トンネルを越え,山寺を眺め,下り坂が続き,山形へと向かう。山形は花笠祭りの頃で盛り上がっていた。更に山形新幹線つばさがデビューして間もなかったので,尚更覚えている。この時,455系とはさまざまな思い出があった。東北へ行く度に,この455系を思い出す事が多い。
しかし,2ドア・デッキつきなど利用しづらかった点があり,ラッシュ時などは結構きつかった。更にこんな事もあった。知り合いが,同車両に乗車した際に,運悪く,空調の故障に遭遇してしまい。「もう二度と乗りたくない」と言っていた。この話を聞いて,あの時は輝いても10数年経った今では老朽化が進んでいて,限界を感じた。また2ドアでデッキつきの急行形車両であれば車内は落ち着けるが,逆に密閉した空間にいるような感じになってしまう。一方で719系などのデッキなし3ドア車は,落ち着きがなくなる分,そのような感じにはならない。福島駅で衝撃の初乗車をしたときは,これより仙台まで乗るので,密閉された?空間でゆっくり休みたいと言う気持ちがあったのかもしれない。
最後の乗車は,昨夏の仙台〜一ノ関間だった。東北地方を象徴するこの電車も,引退してしまい非常に残念であるが,私の中では東北を代表する電車なのは今でも変わらない。東京の地から東北の地へ,ありがとう。さようなら

しかし,2ドア・デッキつきなど利用しづらかった点があり,ラッシュ時などは結構きつかった。更にこんな事もあった。知り合いが,同車両に乗車した際に,運悪く,空調の故障に遭遇してしまい。「もう二度と乗りたくない」と言っていた。この話を聞いて,あの時は輝いても10数年経った今では老朽化が進んでいて,限界を感じた。また2ドアでデッキつきの急行形車両であれば車内は落ち着けるが,逆に密閉した空間にいるような感じになってしまう。一方で719系などのデッキなし3ドア車は,落ち着きがなくなる分,そのような感じにはならない。福島駅で衝撃の初乗車をしたときは,これより仙台まで乗るので,密閉された?空間でゆっくり休みたいと言う気持ちがあったのかもしれない。
最後の乗車は,昨夏の仙台〜一ノ関間だった。東北地方を象徴するこの電車も,引退してしまい非常に残念であるが,私の中では東北を代表する電車なのは今でも変わらない。東京の地から東北の地へ,ありがとう。さようなら