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6月22日,東急目黒線の運転区間が目黒〜武蔵小杉間から目黒〜日吉間に延長される。どうしても副都心線の開業ばかりに目が行ってしまい,こちらについては忘れかける所だった。それによって,都営三田線南北線の乗り入れ区間も,武蔵小杉から日吉にまでのびる。今日は,今後見る事ができなくなる武蔵小杉行きを何本か紹介する。これは東急3000系による武蔵小杉行きだ。

懐かしの目蒲線東急多摩川線1000系東急目黒線は,系統分断による東急目蒲線からの解消から8年が経つが,依然として目蒲線といいたくなる。昔の目蒲線物語という曲だけでなく,東急発祥の路線が目蒲線だから目蒲線というのはやはりインパクトが強いし,歴史的な路線なのだ。目蒲線から分かれたもう一つの片割れの多摩川〜蒲田間の東急多摩川線を東急多蒲線といいたくなるのも,やはり目蒲線という名前があまりにも大きかったからだろう。(目蒲線時代は実は2回しか乗った事がない)

三田線武蔵小杉南北線武蔵小杉東急目蒲線と目黒線が別物に感じるのは,目黒線になり,武蔵小山などで立体交差が進み,特に奥沢〜目黒間では地下を通る区間がほとんどになったことにあるのかもしれない。(不動前付近は目黒川の谷底低地の為,高架になっている)東急目黒線とは,地下鉄南北線三田線の本当の意味の続きのように感じるのだ。一方,目蒲線といえば,商店街や住宅地・多摩川沿いの工場地帯といった多彩な風景を短い編成の電車が踏み切りを通りながら駆け抜けていくのが想起されるのだ。

日比谷線3000系日吉時代?日吉と聞くと思い出すのが,日比谷線の乗り入れの行き先だ。私が小さい頃,日比谷線でたまに「日吉行き」という聞きなれない行き先の電車に,上野や東銀座などから乗った事がある。どこかと思ったら東横線の駅だった。日吉というと東横線の駅なのかというのを知った。当時は東横線をはじめ,東急とはとても縁遠い存在で,東急の駅名というだけで,驚いた。日吉行きというとこのような事を思い出してしまうのだ。(当時日吉行きによく使われていた日比谷線の3000系車両)

22日のダイヤ改正では,路線は変われど,日吉行きが別の路線に乗り入れることで,どのように感じるのだろうか・・・