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2008年11月8日,都営浅草線の都営フェスタが西馬込の車庫で行われた。それに辺り,京成3500系の未更新車4両による印西牧の原〜西馬込間の列車が運転された。

印西牧の原へは,自宅から東松戸駅を目指し,ここから北総線に乗車した。途中,武蔵野線の市川大野駅で,183系の団体臨時列車とすれ違った。

牧の原の景観と5300系印西牧の原到着は午前8時ちょうどだった。発車の30分くらい前だった。この辺りは行く度にロードサイド型の大型店が増加している。ロードサイドの店舗の見本市の地域と言えよう。この列車専用の硬券の専用乗車券を購入して,発車を待つ。

 

回送表示の京成3500印西牧の原駅は,一昨年の都営5200系のさよなら運転,昨年の北総7000系のさよなら運転のときも始発駅もしくは終着駅で,ここ数年のさよなら運転は全てこの駅から出ている。今回もそうだった。今回は京成3500系という30年以上京成の中心的な車両として君臨しているが,なかなかここまで入る機会はなかったので今日の乗り入れは貴重なものと言えよう。ヘッドマークは,種別板の場所に置かれた。左の写真は,回送列車の到着シーンだ。京成の回送列車は,「回」という表示を出す。これも赤電時代から続いている。今回,この列車を運転したのは,普段は走る事の無い列車をやってみては?とのことから実現したそうだ。

東松戸にて印西牧の原駅を8時28分に出発する。次の停車駅は浅草だ。はじめはゆっくり走っていたが,白井駅を出た辺りでは,一回高速運転をはじめた。3500系未更新車が優等列車の運用を離れて久しいが,白井駅などの高速での通過は,3500系の未更新車の優等列車に久々に乗っているようだった。東松戸駅を通過する。この駅は,北総線の成田空港延伸後に,2面4線の追越ができる駅に変更する。下総台地の高架と掘割の風景を繰り返し,やがて矢切駅を通過すると江戸川を越える。北総線江戸川鉄橋をこの未更新車は初めて越えるのだろうか・・・

通勤特急の懐かしの表示板江戸川を越え,高砂駅の手前から何と面白い事がはじまった。北総の乗務員が,京成線の通勤特急の種別板を持っているのだ。この種別板は,3500系の前面に置いてあった種別板だ。この種別板をつけて走った3500系の通勤特急を少年時代に何度見たものか・・・これには思わず感動してしまった・・・。通勤特急は1985年10月の高砂〜青戸間の複々線完成による全面ダイヤ改正でデビューした。この通勤特急は,主に浅草線直通で運転し,当時の特急に比べて停車駅が少なく,上と下にある水色のストライプのマークが,まさに速達列車としての風格があった。裏には,「臼井」の表示があった。京成のめくり板のある時代は,うすい行きはマイナーな存在だったので,うすい行きのこの表示は時代を感じた。

高砂駅で乗務員が変わる。向かいのホームには,上野行きの3500系の更新車の快速特急が停車中だ。3500系の2つの顔が高砂駅で並んだ。京成の通勤車両としては,生涯初の青戸駅の通過を体験した。作者には馴染み深い場所を通る。そして荒川を越える。3500系の未更新車両が荒川鉄橋架け替え後に荒川を越えたのは何回目だろうか・・・。橋桁の低い旧荒川鉄橋であれば,何度も越えていた。そして押上駅に着く。

京成3500の牧の原押上では乗務員が変わる。ここからは浅草線の線路に入る。隅田川を越えれば,ここは浅草だ。初めての停車駅に着く。ここで私の乗っていた車両は,敬老会のハイキングの利用者が大挙して乗車して座席のほぼ全てが埋まる。浅草線で,この3500系の未更新車に乗るのはいつ以来だろうか。

特に青戸を越えてからは,3500系の未更新車両に乗ることが多かった,幼少からティーンエージャーにかけての若い時代を思い出してしまった。あれが作者の小さい時代の京成の車両だったのだ。それくらい京成3500系の未更新車両は作者にとって馴染みと思い出の深い車両なのかもしれない。作者が地元から荒川や隅田川,そして江戸川を越えて未知の場所へと誘うものだった。これが3500系の役割だった。

浅草線を東日本橋・日本橋・新橋・大門・三田・泉岳寺・五反田と止まる。浅草線内は通過運転を行う。利用者も徐々に増加する。まもなく印西牧の原から78分のトリップが終わり,西馬込駅に到着する。二十余年も見慣れ,乗り慣れた車両であったが,この車両からはじめてみる北総線の新鮮さと京成・浅草線内での懐かしさが身に染みた。新鮮か懐かしいかと言えば懐かしいかもしれない。北総線内での走りは,往年の優等列車で頻繁に使われていた時代を感じさせた。懐かしさが先行するのも,この車両に何年も乗車してきたからわかることなのかもしれない。