本日、京成の3300形の3312Fのファイアーオレンジの車両が、高砂〜金町間の金町線を走っていたので、今日は金町線でその雄姿を見ることにした。ファイアーオレンジは、主に1980年代から90年代前半にかけての京成の塗装で、作者にとれば長きにわたっておなじみの色だった。というか小さい頃を思い出す色だ。バブル経済の時代で京成沿線も郊外などで人口が急増したこの時代の色を約10数年ぶりに纏った状況はどのように感じたのか。
高砂駅に着くと、赤電のこの車両がとまっていた。今日は日中の高砂〜金町間の運用に入るそうだ。今日の金町線は、休日というのもあるが、帝釈天への参詣客で混んでいる。このような多客時に堂々とこの車両は活躍をする。
この塗装の色を見て感じたのは、2つだった。一つは「懐かしいな」、もう一つが「なんか当時よりも色が濃い目のような気がする」だった。何分、作者が幼少の頃から中学生くらいのころまでこの塗装はずっと京成線を走っていて、京成といえば「朱色の赤い電車が走っている」というイメージを形づけたのがこの色の車両だったからだ。色が濃く見えたのは、当時を知るからこう思ってしまうのか、それとも塗装の技術が変わったからかだ。
満員で高砂駅を出発する。車内は、先に出場した3300形の青電塗装(3356F)、ツートンの赤電塗装(3324F)同様に京成の100年間の歴史を紹介するような広告だけだった。
この色の3300形の3312Fは、1980年代のファイアーオレンジの塗装時代は、「めくり板をつけているのに冷房車」という風変わりな編成の時代もあった。当時、この車両が特に夏に来た時はラッキーだった。それも短期間の過渡期だけで、後年に行き先幕・種別幕も急増的につけられるものの、1989年には完全な車両更新が行われ、顔の形状は当時製造していた3600形に準じるものになり、1989年から塗装変更するまでの間は、この色姿形で走っていた。
撮影は主に柴又駅で行った。今日は多くの人がこの柴又駅で撮影をしている。柴又駅は賑わっている。柴又駅は対向式ホームでかぶらなければ編成写真を撮ることもできる。このファイアーオレンジ塗装が、少し違うと思ったのは、種別幕の所に英字でLocalなどと書かれているところだ。これはファイアーオレンジの塗装の時代にはなかった。もう一つが、帯の縁取りが、当時は銀色であったが、今回は灰色のように見えたので、そこで少し違和があった。
まさかこの色が実現するとは思えなかった。たとえ、ファイアーオレンジの色であっても、確かに暑苦しい感じはするが、10数年間京成沿線を彩った色だ。
何だか、この車両が走っていた作者の少年時代を本当にリアルに思い出してしまった。この車両に乗ってどこでも行っていたのか、どこまでも行くのか、そしてたまに色姿形が変わっちゃうのか・・・そのような楽しみを与えたこの塗装だった。一言でいえば、往年のヒット曲の「想い出がいっぱい」だ。余談であるが「想い出がいっぱい」という曲は、京成の赤電の車両がこの塗装だった1983年にヒットした曲だ。
この塗装の優等列車もぜひ見てみたい。特急や急行の運用は、今では存在しないが、この車両の特急や急行も当時を懐かしむことができるのではないか。何だか、バブルの頃の成長期を思い出させるようで、それも楽しいんじゃないのかと思う。
おまけ、高砂駅近くの踏切で、新AE形の試運転列車とすれちがった。もう新AE形も試運転が始まっているのか・・・。だんだん新AE形の準備が進んでいる。成田新高速鉄道は、2010年の7月をめどに開通させるそうだ。やはり夏休み前に開通させ、夏休みの渡航客を狙うのではないか。それに合わせて、こんな話題も入ってきた。
10月3日からいよいよ改築された日暮里駅が使用開始になる予定だ。下り線を1階から3階に移し、スカイライナーとその他の列車の発車ホームを変える。現在の1階は上り線用のホームになる予定だ。
いよいよ新AE形を受け入れるその日が徐々に進んでいるような気がする。
新AEにファイアーオレンジ、京成の古さと新しさが共存しているようだ・・・
昨日に引き続き本日もファイアーオレンジ「71運用」を撮影してきましたが、撮影者が昨日よりも多かったように思えました。2日間でじっくり撮影できたので今度は青電・赤電を未撮影ポイントに絞って活動してみます。