KC3N1409

本日6月23日は、1982年6月23日の東北新幹線の大宮〜盛岡間の開通から30周年を迎えた。30年間にわたり、東北の大動脈として走っている東北新幹線。ここでは初めて東北新幹線に乗車をした時の思い出話を書いていきたい。

東北新幹線に初めて乗車をしたのは1992年の春休みだった。この時、自分の歳は敢えて書かないが、仙台に住む親戚に会いにいくために東北新幹線に乗った。初めての仙台入りを目指すために、東北新幹線に乗ることになったのだ。その数ヶ月前に東海道新幹線に東京→名古屋間で乗車をしており、新幹線の長距離乗車は2度目になる。東北新幹線に乗車をして、東京から来たを初めて目指すことになった。それまでは自分は福島県よりも北に入ったことがなかったのだ。

この時に乗車をしたのはもちろん200系新幹線だった。当時は200系でも、写真のような団子鼻編成だけでなく、東海道・山陽新幹線の100系をイメージをした先の尖った車両もいた。この時に東京駅から乗車をしたのは先の尖った200系だった(確かH編成だったかな)。この200系には2階建て車両やカフェテリアなども連結をしている車両だった。本当は当時の自宅からの場合は上野から乗るのが最も便利であるが、前年に開通をした東京駅から乗りたいということもあって、東京駅から乗車をした。

東京・上野・大宮と停車をし、次の停車駅は福島だったか仙台だったか忘れた。この当時はやまびこ・あおばの2本立てで、あおばは東京〜仙台間の運転で東海道新幹線で言うところのこだまのような列車で、やまびこは東京〜盛岡間の運転で東海道新幹線で言うところのひかりのような列車だった。今では、やまびこ・はやて・はやぶさ・なすの、山形新幹線方面のつばさ、秋田新幹線方面のこまちと6つの名称の走る東北新幹線であるが、当時は2つしか種別がなかった。

DSCF9484
大宮駅を出て、一気にスピードが上がる。未知の世界へ一気に誘う東北新幹線という感じであった。宇都宮駅を通過をすると那須の山などが見える。その日の天気は曇りであった。トンネルの数が東海道新幹線に比べると多く、トンネルを越えるたびに別の風景が見えるものだった。知らぬ間に福島県に入っていた。栃木県と福島県の間は那須トンネルという長大トンネルを超えるのだ。郡山駅を通過をする。駅の周りには見慣れぬ車両が停車をしていたり、鳩マークのヨークマートと似たヨークベニマルの看板を見ると東京から離れているのだなと感じた。

仙台駅1
福島駅をすぎる。トンネルを抜けて別の街という風景は本当に刺激的だ。そしてものすごい長いトンネルを越える。これが蔵王トンネルだ。ここが福島県と宮城県の県境だ。いつの間にか宮城県に入り、白石蔵王駅を通過をしていた。また長いトンネルだ・・・そしてトンネルの向こうは仙台の街だった。福島と仙台のあいだはトンネルだらけだったような覚えがある。そして仙台駅で降りる。200系車両ともここでおさらばをする。初めての200系の紀行はやはり感動だらけの旅だった。

ams仙台跡地
ここが仙台という場所だ。初めての仙台入りは、駅前にAMS西武(今はLOFTになっていたような気がする)を見て、ここは結構大きな街なんだなと思った。ここが伊達政宗や青葉城恋唄の街なのか。仙台は、初めて宿泊を伴って訪れる東京以外の初めての中核都市だ。仙台にこの日は泊まることになる。萩の月も岩手銘菓のかもめの玉子もこの時に初めて食べた。

719系
仙台で刺激的だったのが、719系車両だった。何が刺激的だったかといえば、この車両が半自動ドアであったことだった。東京では不慣れな操作になる半自動ドアのこの車両に、乗ることができたのはカルチャーショックを受けた。これ以降、仙台には度々訪問をし、その年には史上初の青春18きっぷの旅を実行をすることになる。

東北新幹線の仙台よりも北に乗車をしたのは1996年の夏だった。これは修学旅行で北東北と北海道南を目指した時だった。その日に悲願の東北新幹線全線乗車(当時)を達成をした。その日が緑の街に舞い降りる時だったのだ。