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2月28日、ついに京成3300形がさよなら運転を迎えることになった。それに伴い、各種のイベントが行われることになった。(詳しくはこちらへ)

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まずは、2月28日にさよなら列車の臨時特急成田山号が上野→成田間で運転される。上野発は10時23分で、成田着は11時39分となる。この成田山号には、3300形を4両2本をつなげた8両編成で走る。1月17日に3300形が4両編成2本をつないだ8両編成で試運転をしていたが、これはこの臨時特急成田山号の運転のためだったのではないかと思う。

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それに合わせて、引退記念の乗車券の販売とスタンプラリーも行われ、乗車券の販売は2月28日から4000部限定で行われ、主要駅で1000円で販売される。

スタンプラリーは18日から3月8日まで行われ、上野・高砂・金町・うすい・成田・ちはら台の6駅が対象になり、4駅以上集めると部品ならびに4月4日に宗吾参道の車庫で行われる基地見学会のイベントの参加権がもらえる。4駅以上と6駅全駅でもらえる部品が異なるが、宗吾参道の基地見学は共通のプレゼントだ。

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京成3300系の現在の姿
めくり板

京成3300形の現存をする編成の3301−3304Fの4両は1968年に製造された第1次車で、なんと47年も走ったのだ。1980年代の末期まではめくり板と呼ばれる行き先表示板と種別板を出している車両だった。下がこのめくり板で、2004年に葛飾区の郷土と天文の博物館で展示をされたものをここでは出す。このめくり板は1991年まで見られたものだ。1986〜87年に冷房化工事を行われるものの、めくり板表示がなくなり、現在の顔になったのは1989年の話だ。台車は初めから空気ばね台車を使っている。

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3300系の快速
もう1編成の3344Fなどの4両は1971年から72年に製造された第2次車で、製造から40年以上が経過をしている。1980年代までは前面と側面に方向幕を備えていた。当時の京成としては数少ない編成だった。1984年から冷房改造が行われ、その後1990年ごろに現在の顔になった。台車も金属ばね台車を使っている。

現在の京成3300形は、1980年代までは同じ形式でも顔が多少異なっていたのだ。1980年代から90年代までの更新工事で同じ顔になった。顔が違っていた時の名残が台車の相違ではないかと思う。

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ミラフォレスタin青戸2

2008年以降は、完全に4両編成になり、専ら各駅停車で入ることが多くなった。それ以前は、特急や急行、快速にも入っていた。これは2001年くらいに撮影をした京成本線の急行上野行きだ。京成本線の急行は2002年に廃止になった。その為、この画像自体が貴重なものだ。というよりも私は小学生から高校生くらいまではこの車両の優等列車が日常的なもので、それが長らく当たり前のものとして見ていた。6両を含めた最後の優等列車がいつまでだったかは不明だったが、8両の優等列車であれば2007年の4月が最後だった。ただし、イベント列車として、2009年11月28日には現在は廃車になったファイアーオレンジのリバイバルカラーを使い、上野→成田間の特急ミラフォレスタで走るなど数回、優等列車で走ったこともあった。

青戸3300金町
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ついにカウントダウンの始まった京成3300形。1958年以来長く続いた赤電と呼ばれる車両がついに姿を消すことになる。京成といえば長いことこのような車両で標準で、最盛期には258両も存在をしていた。最後の8両となったこの車両。一方、京成3300形を北総にリースをした北総7260形はいつまで残るのだろうか。この車両も今年限りかもしれない。この車両が最後の赤電になる可能性も高い。この2つの車両が消滅は京成の歴史に大きなポイントなのかもしれない。

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京成では2月9日より3000形の3030Fの営業運転を開始をした。(詳しくはこちらへ)3月下旬には3029Fも営業運転を開始をする予定だ。3029Fは総合車両製作所で現在製造をされているはずであるが、甲種輸送や営業運転の開始はまだ先だ。実は3030Fは先日、青砥駅で目撃をしたので、一応1枚だけ写真を紹介をする。詳しくはGoogleプラスに写真を載せた。3030Fは乗車後に記事を書く予定でいる。