今年も12月31日は恒例の2015年の鉄道シーンでの回顧録の記事を行うことにした。今年の鉄道シーンなどを中心に取り上げたい。
2015年の最大の特徴は3月14日の北陸新幹線の開通が最大のトピックスだった。東京駅と富山駅を約2時間弱、石川県の金沢駅を最速2時間30分で結び、これまで鉄道では越後湯沢駅や長岡駅などの乗り換えもしくは富山空港・小松空港という飛行機利用が主体であった東京と富山県ならびに石川県の距離が大きく縮まった。それにより富山県内や金沢市では観光客の増加なども起きている。実はまだ私は北陸新幹線の新規開業区間に乗車をしていない。北陸新幹線は今後どのような影響などをもたらすのだろうか。
今年は各地で車両の交代劇が相次いだことかもしれない。まずは身近なところでは京成電鉄の3300形・北総の7260形といった京成の赤電が3月を持って引退をしたことかもしれない。私が小さい時からなじんでいた車両だった。3300形は最末期は京成本線の各駅停車を主体に、北総7260形は北総線〜京成押上線〜都営浅草線〜京急線と乗り入れる運用に使われ、活躍をアピールをしていた。
これは初めて出す画像であるが、北総7260形のさよなら運転の行われた翌日の2015年3月23日に京成線のおなじみの江戸川鉄橋の堤にある小岩菖蒲園で撮影をした北総7260形の廃車回送だ。私は廃車回送などの撮影には行くことが少ないが、長年なじみのあった京成の赤電ということでこれについては廃車回送も行った。京成では最も好きな撮影地のこの場所で最後の京成の赤電を見送った。私はずっとずっとずっといて当たり前のものだと思っていた。それゆえに他の列車や車両がなくなるよりも寂しさや名残惜しさを感じた。1958年から57年間続いた京成の赤電がここで終止符を打ったことは強く心に残っている。
今年は京成ではもう一つの大事な出来事があった。それは2015年11月末のAE100形車両の定期運用の離脱だ。第2代スカイライナーの車両として、1990年6月から走ってきたこの車両。2010年の新AE形デビューならびに北総線・成田スカイアクセス経由によるスカイライナーのリニューアルで、スカイライナーとして走ることはなくなったが、本線経由のシティライナーとして、上野〜成田(初期は成田空港)で走っていた。スカイライナーがなくなってもAE100形に活躍の場を与えてくれたことは本当に嬉しかった。しかしながら利用者が少なく、2011年には運転本数の縮小、2014年には土休日のみの運転という形になった。こちらもデビュー時からずっと身近に感じている車両であるだけにこれだけ運用が縮小をするのは大変さびしくなった。というよりも車両の痛みが多数あることが分かってからそれも大きなショックだった。2016年1月は土休日ダイヤで運転日は上野〜成田間で1往復シティライナーが走るが、これが最後の姿になってしまうのか・・・
2015年の最大の特徴は3月14日の北陸新幹線の開通が最大のトピックスだった。東京駅と富山駅を約2時間弱、石川県の金沢駅を最速2時間30分で結び、これまで鉄道では越後湯沢駅や長岡駅などの乗り換えもしくは富山空港・小松空港という飛行機利用が主体であった東京と富山県ならびに石川県の距離が大きく縮まった。それにより富山県内や金沢市では観光客の増加なども起きている。実はまだ私は北陸新幹線の新規開業区間に乗車をしていない。北陸新幹線は今後どのような影響などをもたらすのだろうか。

しかし北陸新幹線は光と影をもたらしたのではないかと思う。東京と富山県や石川県への高速交通機関であり、更にE7系やW7系車両は奥山清行氏のデザインのもとで和の未来をテーマにし、ブレーキや高加減速、雪への対応などに先進的な技術を持ち、グランクラスも連結をされるなど乗ってみたい車両の筆頭格だ。その一方で、地域の北陸本線は第三セクターの鉄道に分断された。それは仕方ないかもしれないが、石川県や富山県を走る特急列車の多くが廃止になり、例えば大阪から富山、富山から新潟などへは乗り換えが伴うようになってしまった。その在来線の第三セクター化などの影響でトワイライトエクスプレスなどの人気列車も廃止になった。
今年は各地で車両の交代劇が相次いだことかもしれない。まずは身近なところでは京成電鉄の3300形・北総の7260形といった京成の赤電が3月を持って引退をしたことかもしれない。私が小さい時からなじんでいた車両だった。3300形は最末期は京成本線の各駅停車を主体に、北総7260形は北総線〜京成押上線〜都営浅草線〜京急線と乗り入れる運用に使われ、活躍をアピールをしていた。
これは初めて出す画像であるが、北総7260形のさよなら運転の行われた翌日の2015年3月23日に京成線のおなじみの江戸川鉄橋の堤にある小岩菖蒲園で撮影をした北総7260形の廃車回送だ。私は廃車回送などの撮影には行くことが少ないが、長年なじみのあった京成の赤電ということでこれについては廃車回送も行った。京成では最も好きな撮影地のこの場所で最後の京成の赤電を見送った。私はずっとずっとずっといて当たり前のものだと思っていた。それゆえに他の列車や車両がなくなるよりも寂しさや名残惜しさを感じた。1958年から57年間続いた京成の赤電がここで終止符を打ったことは強く心に残っている。
今年は京成ではもう一つの大事な出来事があった。それは2015年11月末のAE100形車両の定期運用の離脱だ。第2代スカイライナーの車両として、1990年6月から走ってきたこの車両。2010年の新AE形デビューならびに北総線・成田スカイアクセス経由によるスカイライナーのリニューアルで、スカイライナーとして走ることはなくなったが、本線経由のシティライナーとして、上野〜成田(初期は成田空港)で走っていた。スカイライナーがなくなってもAE100形に活躍の場を与えてくれたことは本当に嬉しかった。しかしながら利用者が少なく、2011年には運転本数の縮小、2014年には土休日のみの運転という形になった。こちらもデビュー時からずっと身近に感じている車両であるだけにこれだけ運用が縮小をするのは大変さびしくなった。というよりも車両の痛みが多数あることが分かってからそれも大きなショックだった。2016年1月は土休日ダイヤで運転日は上野〜成田間で1往復シティライナーが走るが、これが最後の姿になってしまうのか・・・
今年は京成にとって身近なものがいろいろ消えてしまう節目の年になってしまった。今年、京成以外で起きた車両の置き換えなどといえば何と言っても北陸の特急列車ならびに寝台特急北斗星・トワイライトエクスプレスを語らずにはいられない。
北陸の特急列車は新幹線に名称を譲り、越後湯沢と金沢を結んでいた特急はくたかと新潟と金沢を結んでいた特急北越が廃止になった。北陸新幹線の開通はこれまでに比べ、雨や雪などのリスクが大きく減ったこともあるかもしれない。はくたかは他の列車に車両が転用され、北越は485系で走る特急であったために廃止になった。北越に変わる形で上越妙高〜新潟間に特急しらゆきがE653系で走るようになった。
そして何よりも忘れてはならないのが寝台特急北斗星とトワイライトエクスプレスの廃止だ。上野と北海道の札幌を結ぶ北斗星は、3月14日のダイヤ改正で定期列車から臨時列車となり、8月21日の上野発、23日の上野着で廃止になった。1988年の青函トンネルの開通から27年間、東京と北海道を結ぶ代表的な列車として走ってきた。車両の老朽化や2016年3月26日に開通をする北海道新幹線の影響で廃止になった。最末期は過熱な人気となり、チケットを取るのも難しかった。
そして最も涙したのがトワイライトエクスプレスの廃止だ。大阪と北海道の札幌を結ぶこの列車は、1989年にデビューをし、サロンカーのサロンデュノール・食堂車のダイナープレヤデスなどの名物車両を連結し、ロイヤルやスイートなどの高級な個室を用意をし、高級さが売りだったこの列車も、北陸新幹線の開通に合わせて廃止になった。5月からは特別なトワイライトエクスプレスとして大阪発で旅行会社が山陽や山陰などの中国地方を中心に時には九州への観光列車として走りだすようになった。非常に魅力的だったこの列車、私は大阪から北海道まで各地へ撮影へ行ってきた。
北斗星もトワイライトエクスプレスも北海道へ行くという点では非常に魅力的な列車だった。しかしながら、車両の老朽化や新幹線開通による並行在来線の第三セクター化などによって環境も変わってしまったようだ。今後は北海道新幹線が3月26日に開通をするが、グランクラスなどによる新しい北海道への旅の魅力を期待をしたいものだ。
それ以外でも新大阪駅と和歌山県の新宮駅を結んだ特急くろしおの381系が引退をし、37年間の活躍に終止符を打ち、通勤型・近郊形車両では広島では227系がデビューをした一方で、115系の運用が縮小された。中央線ではこれまでお馴染みだった115系が引退をした。また北海道では1968年の電化以来走ってきた711系が引退をした。そして名古屋では1980年以来走ってきた名古屋の地下鉄の大動脈の地下鉄東山線の5000形の引退があった。各地で車両交代の進む年だった。
午後にアップをする後半では、今年の行動や注目だった車両などを中心にお届けをしたいと思う。
そして何よりも忘れてはならないのが寝台特急北斗星とトワイライトエクスプレスの廃止だ。上野と北海道の札幌を結ぶ北斗星は、3月14日のダイヤ改正で定期列車から臨時列車となり、8月21日の上野発、23日の上野着で廃止になった。1988年の青函トンネルの開通から27年間、東京と北海道を結ぶ代表的な列車として走ってきた。車両の老朽化や2016年3月26日に開通をする北海道新幹線の影響で廃止になった。最末期は過熱な人気となり、チケットを取るのも難しかった。
そして最も涙したのがトワイライトエクスプレスの廃止だ。大阪と北海道の札幌を結ぶこの列車は、1989年にデビューをし、サロンカーのサロンデュノール・食堂車のダイナープレヤデスなどの名物車両を連結し、ロイヤルやスイートなどの高級な個室を用意をし、高級さが売りだったこの列車も、北陸新幹線の開通に合わせて廃止になった。5月からは特別なトワイライトエクスプレスとして大阪発で旅行会社が山陽や山陰などの中国地方を中心に時には九州への観光列車として走りだすようになった。非常に魅力的だったこの列車、私は大阪から北海道まで各地へ撮影へ行ってきた。
北斗星もトワイライトエクスプレスも北海道へ行くという点では非常に魅力的な列車だった。しかしながら、車両の老朽化や新幹線開通による並行在来線の第三セクター化などによって環境も変わってしまったようだ。今後は北海道新幹線が3月26日に開通をするが、グランクラスなどによる新しい北海道への旅の魅力を期待をしたいものだ。
それ以外でも新大阪駅と和歌山県の新宮駅を結んだ特急くろしおの381系が引退をし、37年間の活躍に終止符を打ち、通勤型・近郊形車両では広島では227系がデビューをした一方で、115系の運用が縮小された。中央線ではこれまでお馴染みだった115系が引退をした。また北海道では1968年の電化以来走ってきた711系が引退をした。そして名古屋では1980年以来走ってきた名古屋の地下鉄の大動脈の地下鉄東山線の5000形の引退があった。各地で車両交代の進む年だった。
午後にアップをする後半では、今年の行動や注目だった車両などを中心にお届けをしたいと思う。
豪華寝台特急が運転を終了若しくは、廃止された事も大きな話題となりました。何しろ、北斗星の廃止によりブルートレインは、完全消滅しましたのでまた一つ昭和が、遠くなってしまった様な気がします。