1976年から週刊少年ジャンプに掲載をされている葛飾区出身の秋本治先生の作で、両津勘吉などのキャラクターが活躍をするこちら葛飾区亀有公園前派出所の週刊少年ジャンプでの連載がついに終了をしてしまうのだ。それは今月に単行本が200巻を達成をし、それに伴い、潮時だということだ。
私がこち亀に出会ったのは、小学生の時に友人の家にこち亀の漫画が揃っており、友人の家でこち亀を読んだのがその出会いだった。なぜこち亀に惹かれたかといえば、やはり「こちら葛飾区亀有公園前派出所」と身近な地名が並んでいたからだった。へえ、葛飾区の漫画なのか・・・と葛飾区の他の場所で自分はそのように感じてしまった。葛飾区の作品とあって必然的にはまってしまった。
当時のこち亀はアニメ化などされていなく、週刊少年ジャンプでの掲載を知ってからは毎週読むのが楽しみになり、友人の家だけでなく、自宅でも読めるようになった。アニメ化をしないのはなんでだろうとずっと思っていた。これで葛飾区の名前が売れればいいのにと葛飾区に住みながら私は思っていた・・・。
そして1996年にフジテレビで日曜日にアニメ化され、毎週テレビで両さんの活躍を見ることができた。既にとき遅しだったかもしれないが、このように毎週会えるようになったのは嬉しい。1996年は寅さんの渥美清さんが亡くなり、男はつらいよも終わってしまった年だ。そのような年にこち亀が新しい活躍を見れるようになったのは本当に長いあいだ待った感じだった。
私が葛飾区民で良かったと思ったのが、1999年末に公開をされたこち亀の映画だった。その時、私は亀有の駅前のリリオホールで行われたこち亀の映画の葛飾区民限定の試写会だった。その試写会に当選をしたのだ。誰よりも早くこち亀の映画を見ることができたのだ。私にこち亀を紹介をした友人はその日にはいなかったが・・・その時も彼のおかげだなと思ったことがある。
こち亀の漫画自体は2000年くらいから女性キャラクターの登場が多くなり、私も話についていけなくなったこともあった。こち亀の良さはと言えと「普段ではありえないことが起きている」ということと「秋本治先生が時代時代に合わせてエピソードを書いている」ということと「秋本先生の作品への姿勢」ではないかと思う。
「普段ありえないこと」というのは、キャラクターの設定で、中川巡査と麗子巡査が世界に名高い富豪で、その資金力を背景に両津勘吉が規模の大きなことをしたり、派手にやらかしたりする。葛飾区などの破壊は何度もやっている。これが漫画の世界だから良かったので、現実だったらどうなっていたのかと常に思っていた。それと上司の大原部長に両津勘吉が怒られた挙句、大原部長に大掛かりないたずら等を仕掛け、大原部長が派出所に「両津のバカはどこだ!」などと鎧姿で現れたり、刀を振り回したり、戦車などで襲うシーンなども描かれた。だいたい両津勘吉は逃げているのであるが・・・
「時代時代にあったエピソード」は、特にバブル景気後の1990年代に顕著なのであるが、携帯電話やポケベル、パソコンなどの先進機器の魅力を描いた話などが多かった。特にアニメ化をしだした1996年頃に顕著なのであるが、当時流行をしていたコギャルと呼ばれる女子中高生を頻繁に作品に出し、話を面白くしていたこともある。特に先進機器に関するエピソードについては、普段とは逆で大原部長がこのような先進機器を苦手にしていて、両津勘吉がそれに長けているので、その弱みを付いていびったりするような話が多かった。
「秋本先生の作品への姿勢」は、秋本先生は40年間一度も休まずに、時間も守ってこち亀を執筆をしていたという。それだけでなく、過去、特に1990年代に聞いた話では、秋本先生は他の場所の取材などへ行く時もそこの描写を丁寧に手がけてそれをイメージをしているという。それだけでなく、鉄道や拳銃など趣味についての話も多く、このようなファンにも納得をするような描写をしていたのではないかと思う。同じ葛飾区の人間なのにすごいと思っていた。
私がこち亀を最も馴染んでいたのが1990年代の話などが多かった。実はこち亀はあの時の自分はああだったと思い出すきっかけにもなった。こち亀は、葛飾区出身で葛飾区になじみの深い私から見ればあって当然のものだという感じだ。しかしながら、こち亀の魅力については語ることがなかった。初めは葛飾区だとか身近な地名が出てきて、ああ面白い、笑えるといった子供心だった。それが友人の家で読んだこち亀だった。そしてジャンプや単行本を自分で読むようになり、1990年代のパソコンや携帯電話、コギャルなどのエピソードなどに関心を持ち、アニメに慣れ親しんだ。年をとれば取るほどその面白さが分かってきた。これが自分とこち亀だった。2004年のアニメの終了後、こち亀とは少し距離を置いてしまった時期もあった(当時葛飾区方面から離れていたのもあるが)が、こんなにはまったものはないと葛飾区出身の自分がいたのではないかと思った。
こち亀のアニメの新作もフジテレビで放送をされることになった。放送日は9月18日の朝の9時からだ。アニメのこち亀で新作が作られるのは、2008年11月以来だ。(詳しくはこちらへ)
あらかわ交通ノートではこち亀の連載終了に合わせて、歴代、京成バス・京成の車両に施されたこち亀のラッピングの車両を紹介をする企画を行います。過去にバスや京成の車両は紹介をしたこともあるが、この際にまとめて紹介をします。こち亀のラッピングはおもに葛飾区をエリアとしている京成のみに行われ、東武や都営バスなど亀有並びに葛飾区に乗り入れている事業者では行われていない。
このような話はとてもショックだったが、最後までこち亀を見守っていこうかなと思う。それが葛飾区出身でこち亀に関心を持った者のひとつの役目だと思った。
私がこち亀に出会ったのは、小学生の時に友人の家にこち亀の漫画が揃っており、友人の家でこち亀を読んだのがその出会いだった。なぜこち亀に惹かれたかといえば、やはり「こちら葛飾区亀有公園前派出所」と身近な地名が並んでいたからだった。へえ、葛飾区の漫画なのか・・・と葛飾区の他の場所で自分はそのように感じてしまった。葛飾区の作品とあって必然的にはまってしまった。
当時のこち亀はアニメ化などされていなく、週刊少年ジャンプでの掲載を知ってからは毎週読むのが楽しみになり、友人の家だけでなく、自宅でも読めるようになった。アニメ化をしないのはなんでだろうとずっと思っていた。これで葛飾区の名前が売れればいいのにと葛飾区に住みながら私は思っていた・・・。
そして1996年にフジテレビで日曜日にアニメ化され、毎週テレビで両さんの活躍を見ることができた。既にとき遅しだったかもしれないが、このように毎週会えるようになったのは嬉しい。1996年は寅さんの渥美清さんが亡くなり、男はつらいよも終わってしまった年だ。そのような年にこち亀が新しい活躍を見れるようになったのは本当に長いあいだ待った感じだった。
私が葛飾区民で良かったと思ったのが、1999年末に公開をされたこち亀の映画だった。その時、私は亀有の駅前のリリオホールで行われたこち亀の映画の葛飾区民限定の試写会だった。その試写会に当選をしたのだ。誰よりも早くこち亀の映画を見ることができたのだ。私にこち亀を紹介をした友人はその日にはいなかったが・・・その時も彼のおかげだなと思ったことがある。
こち亀の漫画自体は2000年くらいから女性キャラクターの登場が多くなり、私も話についていけなくなったこともあった。こち亀の良さはと言えと「普段ではありえないことが起きている」ということと「秋本治先生が時代時代に合わせてエピソードを書いている」ということと「秋本先生の作品への姿勢」ではないかと思う。
「普段ありえないこと」というのは、キャラクターの設定で、中川巡査と麗子巡査が世界に名高い富豪で、その資金力を背景に両津勘吉が規模の大きなことをしたり、派手にやらかしたりする。葛飾区などの破壊は何度もやっている。これが漫画の世界だから良かったので、現実だったらどうなっていたのかと常に思っていた。それと上司の大原部長に両津勘吉が怒られた挙句、大原部長に大掛かりないたずら等を仕掛け、大原部長が派出所に「両津のバカはどこだ!」などと鎧姿で現れたり、刀を振り回したり、戦車などで襲うシーンなども描かれた。だいたい両津勘吉は逃げているのであるが・・・
「時代時代にあったエピソード」は、特にバブル景気後の1990年代に顕著なのであるが、携帯電話やポケベル、パソコンなどの先進機器の魅力を描いた話などが多かった。特にアニメ化をしだした1996年頃に顕著なのであるが、当時流行をしていたコギャルと呼ばれる女子中高生を頻繁に作品に出し、話を面白くしていたこともある。特に先進機器に関するエピソードについては、普段とは逆で大原部長がこのような先進機器を苦手にしていて、両津勘吉がそれに長けているので、その弱みを付いていびったりするような話が多かった。
「秋本先生の作品への姿勢」は、秋本先生は40年間一度も休まずに、時間も守ってこち亀を執筆をしていたという。それだけでなく、過去、特に1990年代に聞いた話では、秋本先生は他の場所の取材などへ行く時もそこの描写を丁寧に手がけてそれをイメージをしているという。それだけでなく、鉄道や拳銃など趣味についての話も多く、このようなファンにも納得をするような描写をしていたのではないかと思う。同じ葛飾区の人間なのにすごいと思っていた。
私がこち亀を最も馴染んでいたのが1990年代の話などが多かった。実はこち亀はあの時の自分はああだったと思い出すきっかけにもなった。こち亀は、葛飾区出身で葛飾区になじみの深い私から見ればあって当然のものだという感じだ。しかしながら、こち亀の魅力については語ることがなかった。初めは葛飾区だとか身近な地名が出てきて、ああ面白い、笑えるといった子供心だった。それが友人の家で読んだこち亀だった。そしてジャンプや単行本を自分で読むようになり、1990年代のパソコンや携帯電話、コギャルなどのエピソードなどに関心を持ち、アニメに慣れ親しんだ。年をとれば取るほどその面白さが分かってきた。これが自分とこち亀だった。2004年のアニメの終了後、こち亀とは少し距離を置いてしまった時期もあった(当時葛飾区方面から離れていたのもあるが)が、こんなにはまったものはないと葛飾区出身の自分がいたのではないかと思った。
こち亀のアニメの新作もフジテレビで放送をされることになった。放送日は9月18日の朝の9時からだ。アニメのこち亀で新作が作られるのは、2008年11月以来だ。(詳しくはこちらへ)
あらかわ交通ノートではこち亀の連載終了に合わせて、歴代、京成バス・京成の車両に施されたこち亀のラッピングの車両を紹介をする企画を行います。過去にバスや京成の車両は紹介をしたこともあるが、この際にまとめて紹介をします。こち亀のラッピングはおもに葛飾区をエリアとしている京成のみに行われ、東武や都営バスなど亀有並びに葛飾区に乗り入れている事業者では行われていない。
このような話はとてもショックだったが、最後までこち亀を見守っていこうかなと思う。それが葛飾区出身でこち亀に関心を持った者のひとつの役目だと思った。