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こちら葛飾区亀有公園前派出所の惜別企画の第2弾。こちらの記事では京成電鉄の車両のこち亀のラッピング列車について紹介をしていきたい。第1弾は京成バスについて主に取り上げた。記事はこちら


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主に葛飾区を営業エリアにする京成電鉄も2010年7月から2014年3月ころまで、今は亡き3300形車両にこち亀のラッピング車両を走らせていた。その編成は3348編成だ。

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こち亀3300その3

この時はこち亀の連載の35年目の一環としてドアにこち亀のキャラクターが描かれたステッカーが貼られた。これは葛飾区とこち亀が手を組んだものだ。こちらは主に葛飾区内の絵が書かれている。こち亀の話で多い浅草や上野などの絵はなかった。特に2011年は、こち亀の連載開始から35周年を記念をして、SMAPの香取慎吾氏の主演でこち亀の映画が作られた。そのような点で節目の年だったが、映画のこち亀はアニメに比べると何か足りない点もあったのも事実かも知れない・・・

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3348編成は本線での運用もしばしば存在をした。その時は上野はもちろんのこと、江戸川を渡り、千葉県内へも進出をした。京成の新AE形のスカイライナーとこち亀のラッピング車両の並ぶシーンもあった。東中山駅での待避のシーンなどもこちらでは紹介をする。思えば遠くに向かうこともあるこの3300形のこち亀のラッピング車両だ。しかし、4両編成のため、浅草線に乗り入れることはなかった。




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これは主戦場だった京成金町線でのシーンだ。雪の降った日の昼間、花火大会の夜、そして赤電のファイヤーオレンジのカラーと並ぶ柴又駅だ。この車両は京成金町線の日常を駆け抜けてきた車両だった。この車両だけでなく、葛飾区を代表をする作品のもう一つの男はつらいよも同じく3300形がラッピングになっていた。男はつらいよよりも1年以上長生きをしたのだ。実際に男はつらいよは28年、こち亀は40年続いたのであったが。

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京成の3300形は京成最後の赤電として2015年2月に引退をしたのは記録に新しい。よくよく考えれば、こち亀の始まった1976年当時は京成では3300形を始め、旧3000形、旧3050形、3200形など赤電群の全盛期だった。京成の赤電の消滅の翌年にこち亀が終了をするのは、何か長く続く葛飾の象徴が時代を共にさらに同時に消えるようで、偶然を感じざるを得ない。

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青砥青電1
こち亀が始まった1976年は京成には210形・2000形などをはじめとした青電群もいた。その当時には、510形という釣り掛け駆動の車両もいた。京成では1980年頃まで釣り掛け車両がいた。青電の車両は1988年まで残存をしていた。1976年当時は、京成の特急車両としてはAE形スカイライナーも走っていたが、上野〜成田間の特急に使われるに過ぎなかった。こち亀の40年で京成の有料特急は3回も変わっているのか。

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都営5200系
余談であるが、1976年は葛飾区内の京成線には都営浅草線の5200形がデビューをした年だ。車両自体は2006年に廃車になったが、葛飾・浅草とこち亀の重要な舞台を走る車両だったのは確かだろう。その当時の浅草線は5000形の全盛期だった。

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その当時、京成では3500形の製造中だった。原型車両もあと1編成になり、更新車両はまだ元気で残っている。

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こち亀では、京成線の起点駅である台東区の上野についても多くの話が書かれた。上野に関する一番の代表作は、1995年に書かれた京成線の博物館動物園駅の話だろう。この作品の中では、博物館動物園駅に描かれていたペンギンなどについても書かれ、これで博物館動物園駅について詳しく知った方も多いかも知れない。それ以外にも上野動物園・上野公園・東京都美術館や国立科学博物館、アメ横、不忍池、御徒町、バイク街など浅草と同じく様々な場所を舞台にした話が書かれた。博物館動物園以外の名作といえば、1990年代には友情の翼という転校で上野駅から旅立つ同級生のストーリーなどもある。確かに鶯谷と日暮里の間の陸橋でメンコを投げるストーリーだったかな・・・こち亀を読めば、浅草と同様に上野のことも大体わかるだろう。


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こち亀は葛飾区に限らず、東京、特に上野や浅草以外でも様々な地域の話が描かれている。代表的な話として、かつて荒川区の南千住にあった東京スタジアムを描いた話や南千住のスサノオ神社の祭り、隅田川の白髭橋を舞台にした話、足立区の千住付近のお化け煙突と呼ばれた煙突と小学生時代の両津勘吉の名作の「お化け煙突が消えた日」などのストーリーなどがある。両津勘吉の祖父の両津勘兵衛の住む場所は中央区の月島だ。そして私が強く印象に残っているストーリーの1990年代に流行をした女子中高生のコギャルを描いた話などは渋谷や原宿が舞台だ。最後の神田明神を出したのは、こち亀の絵巻がここにあるだけでなく、2000年頃からは神田の寿司屋を舞台にする話が大幅に増えていった。特に2000年代は神田の寿司屋の話がメインになったことも多かった。しかし、神田の寿司屋は、なにかキャラクター設定が個人的にはあまり受け入れられず、これを機にこち亀についての熱が下がった点もある。神田の寿司屋の話を前後する形で、女性キャラクターの増加や整理なども行われ、これらについていけなかったこともあった。



そして亀有駅では9月17日から駅の階段にこち亀の200巻全ての背表紙、駅の床に200巻すべての表紙の絵が書かれている。そして亀有駅には秋本治先生のねぎらいの垂れ幕も出ている。葛飾区ではこち亀に関するミュージアムを作りたいという話もしていた。

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それだけでない。9月26日まで日本橋の高島屋でこち亀展を開催をしている。日本橋高島屋は葛飾区からも京成線・都営浅草線で直通をしている。葛飾方面からは身近なデパートの一つかも知れない。亀有駅の全貌を見た感想を後日記事にする予定でいる。こち亀の話題は3回に渡ることになるがそれだけ思い入れのある作品だったのかもしれない。詳しくはこちらへ。10月1日に更新をした。