今年の2月から最終金曜日をプレミアムフライデーという形で、盛り上げている点がある。実はであるが、金曜日の中でも6月9日が偶然に空いた。この日は、金曜日では珍しく撮影などへ行ってきたので、まさにマイプレミアムフライデーだったのでその模様を描いていきたい。
今回、選んだのは富士急だ。理由としては、毎週金曜日に走る快速富士山という列車を乗車並びに撮影をしたいからだ。この列車は毎週金曜日に新宿〜河口湖間で全席指定席で主に豊田車両センターの189系で走る快速だ。189系の中でも国内最後の国鉄特急色のM51編成か私の大好きなグレードアップあずさ色のM52編成のどちらかが入る。できれば後者を希望をしているのであるが、189系が団体や特急以外で走る機会なので追いに行きたいと思った。
今回は行きの河口湖行きを撮影、帰りの新宿行きを乗車という工程にした。行きは新宿から大月まで新宿9時30分発の特急かいじ101号に乗ることにした。
中央線特急列車の最大の儀式といえば、なんといってもシンゲンモチアイススゴクカタイアイスという名で名物の信玄餅アイスを食べることだろう。初夏なのでやはりこの時季にアイスを食べたいものだ。車内販売が高尾でやってきたので購入をした。相模湖を過ぎてから鳥沢〜猿橋の新桂川橋梁の手前まで食べるまで時間がかかった。シンゲンモチアイスは、山梨県でもっとも有名な菓子屋の桔梗屋の信玄餅だ。信玄餅は金精軒という山梨県の別の菓子屋でも販売をしているが、商標の関係でこちらの信玄餅は桔梗信玄餅と宣伝をしている。できれば金精軒の信玄餅も食べてみたいものだ。
大月駅に到着。新宿駅からは約1時間だ。ここで一定の数が降りる。普通列車で行く場合は高尾で乗り換えたり、特急の通過待ちなども多いので大月の場合は特急の利用が多いのかもしれない。
大月駅からは富士急線に乗る。乗車をしたの205系の6000系車両だ。中は水戸岡氏がプロデュースをしている。目指すは寿駅だ。そう、超有名な撮影地の三つ峠〜寿間の松久保踏切を目指すことにしたのだ。ここへ行くのは2013年12月以来3年半ぶりだ。前回は冬だったが、今回は夏の写真を狙うことにした。松久保踏切周辺の地図は以下の通りだ。
松久保踏切付近で様々な構図で挑戦をしてみる。こちらは元小田急20000形RSEロマンスカーの8000系フジサン特急だ。この時期だからこそあやめを入れてみた。
そして松久保踏切へと向かい、快速富士山を撮影をする。送り込みを特急かいじ101号の中ですれちがったら、189系の国鉄色のM51編成だった。最後の国鉄色だからそれだけでも貴重だ。顔だけ水面に写すことができた。ヘッドマークは白地の臨時だ。
富士急きっての撮影地の松久保踏切の標識を入れて189系を撮影をしてみた。編成写真もよいが、踏切を通過をする189系もよいものだ。乗車率は割と高い。金曜日というド平日だというのにこれだけ多くの客がいるのだ。
松久保踏切付近の水田から。元205系の6000系と元京王5000系の1000系がともにマッターホルン号として赤の色でやってきた。初夏らしい風景として水に映る車両を撮影をしてみた。夏らしくて素晴らしいものだ。
機関車トーマスとタイアップをした車両が走るのは大井川鉄道だけでない。富士急の5000系車両も機関車トーマスのラッピングをしている。この車両は約40年前に製造をされた富士急最後のオリジナル車両で、2ドアクロスシートの車両だ。光が余り差さなかったので、元京王5000系などのようにきれいに光が当たらず、少し微妙な水面写しになった。いかにこの写真が難しいかというのがよくわかった。
こちらは富士登山電車だ。富士急の水戸岡氏のプロデュースの初めての車両となったこの富士登山電車。えんじ色一色に塗られた外見がまさにななつ星in九州を連想をさせる。ななつ星は九州までいかないと見に行けないが、同じプロデューサーによる似たような車両であれば、東京から80〜100km程度の場所で見ることができるのだ。
さきほどのマッターホルン号の元京王の5000系こと1000系がやってきた。日が出ないの今度は、林をバックにした構図で撮影をしてみた。
この松久保踏切周辺はカーブだけでなく様々な構図で写すことができる場所かもしれない。松久保踏切は2013年12月に比べると少し撮りにくくなっている。しかし図式を変えるとなかなか面白い。この日はJR東海の371系の改造車両の8500系を使った富士山ビュー特急は運休だった。
寿駅からは河口湖駅へと向かう。河口湖駅周辺は外国人観光客が多い。それにここは標高の高い場所であるためか涼しい。快速富士山まで少しだけ時間があるので駅前のホテルの展望風呂へ行き、600円払い入浴をする。河口湖駅からはバスタ新宿だけでなく、渋谷駅や東京駅行きのバスもある。渋谷や東京へのバスは籠坂峠を越えて東名の御殿場インターから高速に乗る。中央道の集中工事時などの時や東京東部へ行くときなどはこちらのほうが便利だ。
JR東海の371系改造の8500系は富士山駅構内で点検を行っていた。次は乗車か撮影の番になるかもしれない。土日には一部列車の指定席車両がスイーツプランという特別列車になるそうだ。小田急新宿と御殿場・沼津方面を結んだ371系と小田急のRSEロマンスカーがともに現在は富士急で活躍をしているのだ。
帰りに河口湖駅から快速富士山新宿行きに乗車をする。189系のM51編成だ。この駅から国鉄色の車両に乗車をする。189系の隣にはなぜか京成バスもいる。京成バスも団体専用などでこの辺りまで乗り入れているが、フォロワーさんの話では、河口湖から秋葉原経由で成田空港行きのバスに使われるそうだ。
この快速富士山は河口湖〜大月間は一部の車両が自由席になるが、大月〜新宿間は全車両が指定席になる。大月を越える場合は指定席券を持っていなければ乗車ができない。なお、河口湖駅や富士山駅などには指定席券売機がなく、大月から先に乗る場合は、前もってJR駅で購入をした指定券を買わないと乗車ができないのだ。そのために指定席券がないと大月から先は追い出されてしまうのだ。また車掌からは「指定席券の販売もしていない」とのアナウンスもあった。はっきりいえば乗りにくいの一言に尽きる。土日に同じく新宿〜河口湖間で走るホリデー快速富士山は、6両のうち、自由席は5両もあり、指定席は1両だけだ。それに比べると全席指定席はいろいろ問題があるのではないかと思うが。
大月駅の手前でリニア実験線を車窓から撮影をする。果たしてリニア中央新幹線は10年後に開業をすることができるのか。ここはリニア中央新幹線の線路になる予定だ。この189系の国鉄色はさすが走っていないかもしれない。乗客は外国人の観光客などが多い。
18時30分、夕暮れ前の新宿駅に着く。まだまだこの時季なので、明るい。乗務員たちが車両を見守っていた。最後の1編成となったこの国鉄色の車両。いつまで走っていくのか・・・日本一の乗降客を誇る新宿駅。特急あずさなどで長年乗り入れたこの色、そして乗務員たちのこの光景、いつまで見られるのか。走行のシーンもいいが、乗務員のこの姿なども鉄道写真としてありかもしれない。1日だけのマイプレミアムフライデーはハードだったが、楽しいものだった。
今回は行きの河口湖行きを撮影、帰りの新宿行きを乗車という工程にした。行きは新宿から大月まで新宿9時30分発の特急かいじ101号に乗ることにした。
中央線特急列車の最大の儀式といえば、なんといってもシンゲンモチアイススゴクカタイアイスという名で名物の信玄餅アイスを食べることだろう。初夏なのでやはりこの時季にアイスを食べたいものだ。車内販売が高尾でやってきたので購入をした。相模湖を過ぎてから鳥沢〜猿橋の新桂川橋梁の手前まで食べるまで時間がかかった。シンゲンモチアイスは、山梨県でもっとも有名な菓子屋の桔梗屋の信玄餅だ。信玄餅は金精軒という山梨県の別の菓子屋でも販売をしているが、商標の関係でこちらの信玄餅は桔梗信玄餅と宣伝をしている。できれば金精軒の信玄餅も食べてみたいものだ。
大月駅に到着。新宿駅からは約1時間だ。ここで一定の数が降りる。普通列車で行く場合は高尾で乗り換えたり、特急の通過待ちなども多いので大月の場合は特急の利用が多いのかもしれない。
大月駅からは富士急線に乗る。乗車をしたの205系の6000系車両だ。中は水戸岡氏がプロデュースをしている。目指すは寿駅だ。そう、超有名な撮影地の三つ峠〜寿間の松久保踏切を目指すことにしたのだ。ここへ行くのは2013年12月以来3年半ぶりだ。前回は冬だったが、今回は夏の写真を狙うことにした。松久保踏切周辺の地図は以下の通りだ。
松久保踏切付近で様々な構図で挑戦をしてみる。こちらは元小田急20000形RSEロマンスカーの8000系フジサン特急だ。この時期だからこそあやめを入れてみた。
そして松久保踏切へと向かい、快速富士山を撮影をする。送り込みを特急かいじ101号の中ですれちがったら、189系の国鉄色のM51編成だった。最後の国鉄色だからそれだけでも貴重だ。顔だけ水面に写すことができた。ヘッドマークは白地の臨時だ。
富士急きっての撮影地の松久保踏切の標識を入れて189系を撮影をしてみた。編成写真もよいが、踏切を通過をする189系もよいものだ。乗車率は割と高い。金曜日というド平日だというのにこれだけ多くの客がいるのだ。
松久保踏切付近の水田から。元205系の6000系と元京王5000系の1000系がともにマッターホルン号として赤の色でやってきた。初夏らしい風景として水に映る車両を撮影をしてみた。夏らしくて素晴らしいものだ。
機関車トーマスとタイアップをした車両が走るのは大井川鉄道だけでない。富士急の5000系車両も機関車トーマスのラッピングをしている。この車両は約40年前に製造をされた富士急最後のオリジナル車両で、2ドアクロスシートの車両だ。光が余り差さなかったので、元京王5000系などのようにきれいに光が当たらず、少し微妙な水面写しになった。いかにこの写真が難しいかというのがよくわかった。
こちらは富士登山電車だ。富士急の水戸岡氏のプロデュースの初めての車両となったこの富士登山電車。えんじ色一色に塗られた外見がまさにななつ星in九州を連想をさせる。ななつ星は九州までいかないと見に行けないが、同じプロデューサーによる似たような車両であれば、東京から80〜100km程度の場所で見ることができるのだ。
さきほどのマッターホルン号の元京王の5000系こと1000系がやってきた。日が出ないの今度は、林をバックにした構図で撮影をしてみた。
この松久保踏切周辺はカーブだけでなく様々な構図で写すことができる場所かもしれない。松久保踏切は2013年12月に比べると少し撮りにくくなっている。しかし図式を変えるとなかなか面白い。この日はJR東海の371系の改造車両の8500系を使った富士山ビュー特急は運休だった。
寿駅からは河口湖駅へと向かう。河口湖駅周辺は外国人観光客が多い。それにここは標高の高い場所であるためか涼しい。快速富士山まで少しだけ時間があるので駅前のホテルの展望風呂へ行き、600円払い入浴をする。河口湖駅からはバスタ新宿だけでなく、渋谷駅や東京駅行きのバスもある。渋谷や東京へのバスは籠坂峠を越えて東名の御殿場インターから高速に乗る。中央道の集中工事時などの時や東京東部へ行くときなどはこちらのほうが便利だ。
JR東海の371系改造の8500系は富士山駅構内で点検を行っていた。次は乗車か撮影の番になるかもしれない。土日には一部列車の指定席車両がスイーツプランという特別列車になるそうだ。小田急新宿と御殿場・沼津方面を結んだ371系と小田急のRSEロマンスカーがともに現在は富士急で活躍をしているのだ。
帰りに河口湖駅から快速富士山新宿行きに乗車をする。189系のM51編成だ。この駅から国鉄色の車両に乗車をする。189系の隣にはなぜか京成バスもいる。京成バスも団体専用などでこの辺りまで乗り入れているが、フォロワーさんの話では、河口湖から秋葉原経由で成田空港行きのバスに使われるそうだ。
この快速富士山は河口湖〜大月間は一部の車両が自由席になるが、大月〜新宿間は全車両が指定席になる。大月を越える場合は指定席券を持っていなければ乗車ができない。なお、河口湖駅や富士山駅などには指定席券売機がなく、大月から先に乗る場合は、前もってJR駅で購入をした指定券を買わないと乗車ができないのだ。そのために指定席券がないと大月から先は追い出されてしまうのだ。また車掌からは「指定席券の販売もしていない」とのアナウンスもあった。はっきりいえば乗りにくいの一言に尽きる。土日に同じく新宿〜河口湖間で走るホリデー快速富士山は、6両のうち、自由席は5両もあり、指定席は1両だけだ。それに比べると全席指定席はいろいろ問題があるのではないかと思うが。
大月駅の手前でリニア実験線を車窓から撮影をする。果たしてリニア中央新幹線は10年後に開業をすることができるのか。ここはリニア中央新幹線の線路になる予定だ。この189系の国鉄色はさすが走っていないかもしれない。乗客は外国人の観光客などが多い。
大月を出て、中央線内は途中、八王子と立川にのみ停車をする。大月〜立川間はまさに特急列車と変わらない走りだった。189系の往年の特急のようなスピードだった。このような点が健在でよかった。八王子と立川は帰宅時間帯にあたるために多数の人がホームで待っているが、指定席券がないと乗れないので、乗る人はごくわずかだった。全席指定席にしているのももしかしたら八王子と立川での自由席に多数の客がなだれ込むのを防ぐためではないかと勘繰りたくなる。実際に土休日の新宿行きのホリデー富士山2号は高尾・八王子・立川では多数の乗客があり、自由席が大混雑をする。土休日でこれなのだから平日にやるとどうなるかは火を見るよりも明らかなのかもしれない。特に新宿行きの上り列車は、富士急線内から乗りとおした場合、大月〜新宿間は事前にJR駅で購入をした指定席券を買わないといけないが、このようにせざるを得ないのもこのような事情があるからかもしれない。だから乗客に少し面倒なことをしているのかもしれない。
18時30分、夕暮れ前の新宿駅に着く。まだまだこの時季なので、明るい。乗務員たちが車両を見守っていた。最後の1編成となったこの国鉄色の車両。いつまで走っていくのか・・・日本一の乗降客を誇る新宿駅。特急あずさなどで長年乗り入れたこの色、そして乗務員たちのこの光景、いつまで見られるのか。走行のシーンもいいが、乗務員のこの姿なども鉄道写真としてありかもしれない。1日だけのマイプレミアムフライデーはハードだったが、楽しいものだった。