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3月16日のダイヤ改正をもって引退をした車両がある。今回は、その一つである車両を紹介をしたい。JR東日本の高崎支社に所属をし、主に群馬県内の両毛線・上越線・信越本線などの普通列車で走っていた115系車両が引退をした。

この車両は群馬県内を中心に長年主力車両だった。高崎線の115系は2001年くらいまで残り、東京都内まで乗り入れていたが、それ以降は高崎以北で主に走っていた。最近まで多くの運用が昨年秋に引退をした107系と共に主力の車両だった。

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群馬の115系は、一番の特徴は何といっても、ドアを手で開けることとクロスシートの座席であるといえる。いずれも東京では見る機会が少なく、東京からは少し離れていたという実感が少しだけ感じられるかもしれないからだ。特に高崎駅では、新幹線や高崎線を降りた後にこの車両がいることが多く、これだけでも非日常的だと思うからだ。ドアを手で開けることは、アイドルの女性が「ふすまを開けるみたいだ」と言っていたこともある。

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最後の勇姿は3月10日に追うことにした。青春18きっぷを使っていたので高崎まで高崎線で行った。高崎到着前にはいつも通り115系が止まっていた。本当にあと6日でこの姿がなくなってしまうのかと実感がわかなかった。新前橋駅でも車庫に115系が止まっていた。高崎車両センターといえども、車庫は新前橋駅にある。

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群馬の115系の最後の撮影は、雪の谷川連峰との撮影を目指した。谷川連峰と115系を狙える場所が上牧〜水上間にあるからだ。水上を目指すことにした。水上は、地名では「みなかみ町」とひらがなだ。おそらくであるが、「すいじょう」などと読まれる可能性があるので、ひらがなにしたのかなと思う。

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水上駅から関越交通のバスに乗り、諏訪峡を目指す。ここまでは350円かかる。Suicaなどが使えない。駅からは歩けず、バスか自転車になるが、自転車は冬季は使えないのでバスにした。水上駅には新潟のE129系も乗り入れる。この水上駅には新潟の115系も乗り入れていたが、いち早く新潟の115系はこの駅から撤退をした。

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高崎からの水上に乗り入れる115系は1往復だけだった。この水上の手前では短い時間でやってくるので効率よく撮影ができる。まずは下りの731Mだ。この区間はSLが春や夏に緑いっぱいの写真を見たことがあるが、冬であれば、ただの走行写真になってしまう。この列車は6両編成だ。

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続いて、水上からの折り返しの738Mは写真のように谷川連峰をバックに撮影をする。これが私の撮影をしたかった写真だった。結構混雑をしていたのでその中で撮影をした。なので、すべて入れられなかったのが残念だったが、貴重な記録で撮影ができただけでもよかった。これが長年上越線の風景だったからだ。

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近くの公衆銭湯に入り、この後に水上駅までバスで行った。水上駅からは渋川駅へと戻る。ここでは過去の115系の上越線での写真を紹介をしたい。

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ここでは上越線を走った過去の115系を紹介をする。こちらは沼田駅近くの沼田城址から撮影をした115系だ。沼田は河岸段丘の地形であることは知られているが、俯瞰して撮るとこれがよくわかるようだ。

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これは岩本〜津久田間の利根川を越える115系だ。堂々とした姿が印象的だ。

上越線で渋川へ向かい、渋川からは吾妻線に乗り換える。ベルクというスーパーでは味噌ポテトが販売をしていた。

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吾妻線は祖母島駅の近くで撮影をする。別の撮影地ガイドでは川向こうにある撮影地が紹介をされていたが、ここは祖母島駅からはとてもいけないとわかったので、祖母島駅の目の前で撮影をする。まずは651系の特急草津の回送を撮影をする。651系が特急草津というのも未だに慣れない

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吾妻線の大前発高崎行きの536Mも115系だ。これが最後の走行の115系かもしれない。祖母島駅のホームに停車をする115系も撮影をした。特徴的な風景ではないが、シンプルイズベストの写真になったかもしれない。それにしてもこの日は風が強かった。とにかく寒いのだ。祖母島駅からは撮影が終わり、一度中之条駅へと向かい、ここから高崎まで211系の列車で折り返す。途中の駅で115系と交換待ちをした。吾妻線は107系のイメージがどちらかといえば強かった。

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高崎駅に戻り、115系を撮影をする。高崎駅での115系は見慣れた姿だ。115系の一部の車両の側面にはありがとう115系のステッカーが貼ってあった。この後は両毛線の465Mで小山駅を目指すことにした

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高崎駅前には先日の平昌オリンピックでスピードスケートの女子団体の追い抜きで金メダルを獲得をした佐藤綾乃選手の祝勝パレードが3月21日に高崎市内で行われるという看板も見た。佐藤選手は高崎市にある高崎健康福祉大学に在籍をしている。佐藤綾乃選手は高崎市の市民栄誉賞なども受賞をしたそうだ。その21日は、この群馬の115系のラストランが上越線と信越線で行われたが、私は知り合いと応募をするものの残念だった。やはり人気の高い抽選だったから仕方ないのかなと思った。

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高崎発小山行きの両毛線の465Mの高崎駅の出発時刻は17時57分だ。日暮れを走ることになる。出発前には、幕回しも行われ、快速新宿、快速日光、快速日光、長岡などの幕回しを見ることができた。群馬県を起点に東京都内、栃木県、新潟県まで走ったこの車両の活躍ぶりが見られる。

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17時57分に高崎駅を出発をした。新前橋駅の先で利根川を越える。群馬県の高崎市と前橋市は利根川を挟んで接しているのだ。群馬県の県庁所在地の前橋市の中心駅の前橋駅は、高架駅であるが高崎駅に比べると静かな駅だ。すぐに日が暮れていった。聞き慣れたモーター音を響かせて上州路を走る。ここでは通過駅周辺で過去に撮影をした115系を紹介をする。

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伊勢崎駅の付近では2016年に撮影をした桜と115系、菜の花と115系を紹介をする。いずれも伊勢崎駅近くの伊勢崎明治館で自転車を借りて目指した場所だ。桐生駅ではわたらせ渓谷鉄道の車両とすれ違うが、わたらせ渓谷鉄道の車両も見送っているように見えた。


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森高千里さんの渡良瀬橋で有名な足利駅。この駅では停車時間が長かったので足利駅に停車をする115系を撮影をした。足利学校を模して関東の駅百選に選ばれた名物駅舎のある足利駅であるが、駅舎を撮影をする時間はなかった。この駅の近くには4月からあしかがフラワーパークという駅ができる予定だ。115系は残念ながらこの駅とは縁がなかったようだった

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この先は佐野駅に止まる。佐野といえばラーメンや厄除け大使、いもフライなどで有名な場所だ。佐野駅に停車をする115系と佐野〜岩舟間を走る115系をここでは紹介をする。

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栃木駅の手前の大平下駅付近では115系の多くの写真を撮影をした。まさに115系の撮影では代表的な場所だ。そこを今は夕方なので見ることができないが、多くの撮影をした場所だと思い出してしまう。あの当時は東武日光線の快速も多数走り、北千住から1時間弱で行くことができたのも多くの撮影をこなした場所だった。

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栃木駅からは残りの駅は思川駅と小山駅しかない。その思川駅付近でも115系と日光連山・筑波山・赤城山などを撮影をした。筑波山の付近は115系は走らなかったが筑波山の風景はここまで行かなければ撮れない。

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そして小山駅に到着。両毛線の115系は高崎駅から約2時間のたびだった。最後は多くの写真を撮影をした両毛線を乗った。夕方から夜なので景色は見えなかったが、通るたびに多数の写真を撮影をしたことを思い出した。

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貴重な湘南色として東京から80kmから100kmの場所で走っていた115系。群馬県内を中心とした高崎支社内では各地で走っていた。そして両毛線を中心に写真を撮影をした。これでもう東京キー局の入る地域での115系は見られなくなった。一番近くても長野県のしなの鉄道や新潟支社がある。115系がこれだけ数を減らすのは、時代の流れかもしれない。この車両が今でも走っているというロスは抜けないかもしれない。なぜならば、両毛線といえば115系が走ると聞くと真っ先に思い浮かぶ路線だからだ。最後の乗車に両毛線を選んだのもそれが理由だったからだ。115系は長いこと、歴史の糸を紡いできたのかもしれない。