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東武鉄道の主に伊勢崎線などで走った1800系車両が、5月にラストランを迎えた。

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東武1800系といえば、1969年から1998年までは浅草から東武伊勢崎線の館林・足利・太田・桐生・赤城(大間々)方面を結ぶ急行りょうもうで運転をしていた。急行りょうもうは1999年に特急りょうもうに格上げをし、すべてが200系車両での運転となった。しかしながら、1800系の1819編成は、1987年に製造をされた比較的新しい編成で、急行りょうもうがなくなってからは主に東武日光線や団体専用の波動用で走っている。走っても年に数えるほどで、会うことが少ないツチノコのような車両だ。


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私は、東武鉄道の優等車両ではこの1800系車両は好きな車両の一つだ。理由は、独特の赤い色と白帯にある。それが堂々としていて、優等車両としてのオーラがあったからだ。過去に日光線で臨時列車で走った時も数回乗車をしている。リクライニングはしないが、座席のシートピッチが広く、ゆったり過ごせる。おまけにレッグレストもついている。最後に乗車をしたのは昨年8月20日にSL大樹1号に乗るために栗橋→下今市間の臨時列車だった。

さて、5月20日に運転をされた東武1800系の団体専用列車は、東武動物公園駅を朝10時前に出ることと浅草駅に15時30分くらいに着く以外のルートは非公表だった。撮影の混乱を避けるためだったのではないかと推測される。

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最後は伊勢崎線へ行くのではないかと推測をし、北千住駅から特急りょうもうに乗ることにした。取りあえず、太田まで目指すことにした。太田であれば桐生線の新桐生や赤城方面、伊勢崎線の伊勢崎方面のいずれかに行くので可能性的に行けば、一番良いのではないかと思った。株主優待券だけでなく、特急券も買っているのでまさに大きな賭けだ。もしルートが日光線だったらどうなっていたのだろうか・・・


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北千住から特急りょうもうに乗った後、1800系は、桐生線の赤城方面を目指しているという情報を得た。賭けには成功をした。安心して太田駅まで乗ることにする。特急りょうもうからは新越谷付近では少し雲隠れをした富士山、久喜付近では日光連山、羽生の先の利根川橋梁では筑波山が見えた。東武伊勢崎線は住宅の多いスカイツリーライン区間、伊勢崎線区間となると水田や畑などが多くなる。昨年、甲子園球場での夏の高校野球で優勝をした花咲徳栄高校は、伊勢崎線の花咲駅の付近にある。

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群馬県の太田市といえば、富士重工すなわちスバルで有名な都市だ。本社は新宿にあるが、太田のイメージが強い。どうせ太田へ行くならば、太田の焼きそばを食べたいとも思った。

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太田駅には1800系を労う垂れ幕があった。東武線の駅は、紙で作った垂れ幕が多いようだ。このような垂れ幕は以前、SL大樹に乗車をした時の下今市駅や鬼怒川温泉駅、ファンフェスタでの南栗橋駅でも見たことがある。太田駅には1・2番線と3・4番線ホームにたくさんの人がいる。桐生線を往復をしていて、次は伊勢崎線の伊勢崎を目指すようだ。


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太田駅に1800系が急行灯を光らせてやってきた。実は私は太田駅をはじめとした伊勢崎線の駅での1800系の記録を考えていた。やはり伊勢崎線を長年走ってきたレジェンドなのだから伊勢崎線で撮ることが1800系の活躍を記録をするにはふさわしいと思ったからだ。
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太田駅は今は2000年代以降に整備された高架ホームだが、1800系が走っていた時代は地平だったかもしれない。

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ヘッドマークは団体専用ありがとう1800系で、これは1990年代に走っていたビジネスライナーりょうもうという列車のヘッドマークをイメージをしたそうだ。

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太田駅での出会いを2つ。一つは712両という私鉄史上最大の車両数を誇る東武8000系との出会いだ。この地域を走る8000系は800番台になっているが、8000系と1800系は長年東武伊勢崎線の日常を支えてきた車両だ。

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そして、東武の新旧りょうもうの出会いだ。左がりょうもうの現在の主力200系、右が1800系だ。長年、東京都内とこの地域を結んできた2つの車両との最後の別れを惜しんでいるようだ。

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この後、知人と合流をし、足利市駅の隣の東武和泉駅で降りた。ここに撮影地があるようだ。ここは栃木県足利市だ。そう、森高千里さんの渡良瀬橋で有名な街だ。この撮影地は、幹線道路の立体にある。「広い空と遠くの山々」という渡良瀬橋の歌詞にあるようなイメージにふさわしい場所だ。

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森高千里さんが渡良瀬橋を出したのは1993年1月だ。もう25年前の名曲だ。今でも森高さんの曲といえば、真っ先に思い浮かぶ曲の一つだ。この渡良瀬橋は、足利学校と足利幕府のイメージがある足利のイメージを一新をしたのではないかと思う。

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14時5分ごろに1800系の団体専用列車が来た。どうやら伊勢崎から浅草を目指すようだ。渡良瀬橋が発売された1993年1月は、東武の1800系が急行りょうもうで走っている時代だった。1800系の走りは「私は今も、あの頃を忘れられずに生きています」という歌詞のようだ。まさに渡良瀬橋の時代の足利はこのような景色だったのではないかと思う。渡良瀬橋の歌詞には「願い事、一つ叶うならば、あの頃に戻りたい」という歌詞があるが、これを実現をしたかった一つは、足利市内を走る1800系の姿を映すことだったのかもしれない。この願い事は一つだけではなかったのでそれはその時に後述をする。
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余談であるが、渡良瀬川の対岸にある足利駅を通るJR両毛線は115系と107系がこの1年間で引退をした。115系と107系も1993年当時は両毛線の最主力車両だったと思う。今年は渡良瀬橋がリリースされてから25年、当時の主力が次々と引退をしているのは何か不思議だ。

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東武和泉駅と足利市駅の間くらいには関東では店舗が少ないアピタがある。アピタは、関東にも出店をしているが、郊外にある例が多い。(横浜市の日吉や金沢文庫、長津田など)アピタは主に愛知や岐阜、静岡など東海地方に多い。アピタを運営をするユニーは今では大半がファミリーマートに転換をされたサークルKの親会社としても知られている。

この後、足利市駅から館林駅で乗り換えて、帰りは普通列車を乗り継いで北千住まで戻ることにする。
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館林駅の近くの留置線には20000系の4両編成の車両が止まっていた。この車両は日比谷線乗り入れで使われていた20000系を4両編成にしたうえで、半自動ドアなども付けた車両だ。20000系は70000系の導入で、最近は廃車が進み、一部の車両は短編成になって再利用されるようだ。この20000系は、宇都宮線あたりに導入をするのではないかといわれている。


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久喜駅で乗り換えて、東武動物公園駅に到着をする。留置線に1800系が止まっていた。団体専用列車のアサクサ到着後に、南栗橋の車庫に戻るまでの回送で、東武動物公園駅でしばらく停車をしていた。東武動物公園駅が杉戸駅だった時代もこの車両が主力だった。

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半蔵門線経由で乗り入れる東急8500系や5000系、そして日比谷線直通の主力で今では廃車が進んでいる03系車両も1800系の最後の顔合わせをする。東武スカイツリーラインの区間は車両が豊富だ。東急の車両は、この車両とどれだけの回数で会っていたのだろうか。

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最後は、東武を代表する車両の100系スペーシアの日光詣の金の色と出会う。まさに有終の美かもしれない。多くの車両が1800系を労っているようだ。

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東武の1800系は、1819編成が団体専用になってから乗車をしたことが多かったが、物珍しさと、快適な車内、そして色や窓などでどこか懐かしさを感じさせる要素があった。東武は車両では手を抜かない傾向が強いが、この車両はそれを裏切らない快適な車両だった。乗車や撮影の機会があれば、逃さなかった。写真は4月21日に野田線運河駅から伊勢崎線経由で佐野線佐野駅までの臨時列車で走った姿を写したものだ。

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一つ余談であるが、春日部のイトーヨーカドーはクレヨンしんちゃんの映画公開に合わせて、クレヨンしんちゃんに出てくる架空のスーパーサトーココノカドーになっていた。クレヨンしんちゃんが始まったのは渡良瀬橋の前年の1992年。この時はまだ1800系が主力だったときかもしれない。

1800系の過去の名シーンより

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過去に東武日光線の下小代駅の近くで撮影をした写真より。1800系の臨時快速は主に北千住・春日部〜東武日光間でゴールデンウィークの4月末から5月初めと秋の11月3日頃の文化の日の紅葉の季節などに走ることが多かった。つつじや菜の花、黄色い稲穂と合わせてみた。側窓が横長に長く、今では主流の連続窓よりも懐かしさも感じてしまう。自然が広がる地域を走る風景は東武の一つの魅力かもしれない。


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そして荒川の近くを走る東武の1800系。北千住や浅草へと乗り入れる機会は2000年代は少なくなった。1800系がまさに夢の河を越えていくその時だった。実は私は急行りょうもう時代にこの1800系の記録をしていなかった。先ほど、渡良瀬橋の歌詞には「願い事、一つ叶うならば、あの頃に戻りたい」という歌詞を書いたが、これを求めていたもう一つは荒川を越える1800系を記録をすることだったのかもしれない・・・。