あらかわ交通ノート Arakawa Traffic Note

当ブログは鉄道を中心に,道路や水上交通のインフラ河川,地理などを主に取り上げるブログです。名前には,交通という言葉がついていますが,交通を中心に町や地域の事などを中心に取り上げていきます。中には鉄道や交通に対するディープな話題なども取り上げます。

京成電鉄と周辺会社

エアポート快特デビューから10周年

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今日11月18日は京急の羽田空港乗り入れから10周年を迎える。それに伴う都営浅草線の全面ダイヤ改正で,輸送が大きく変わった。その目玉の一つが,羽田空港駅から京急・浅草線・京成線を経由し成田空港を結ぶエアポート快特のデビューだった。

羽田空港と成田空港を直結するこの列車は,1日何本かが運転され,京急線羽田空港駅から浅草線を経て,京成線の成田空港まで結ぶ列車で,ダイヤ改正の目玉となった。この列車の特徴は,京急線は快特の停車駅で,羽田空港を出ると京急蒲田,品川に止まり,浅草線内も通過運転となり,泉岳寺から三田・新橋・日本橋・東日本橋・浅草・押上に止まったことだった。京成線では特急の停車駅で運転された。(のちに浅草線内の停車駅には大門も追加)

しかし,2002年10月の京成の全面ダイヤ改正に伴い,この羽田と成田の直結の列車はほとんど姿を消した。なお浅草線ではエアポート快特という種別は残っているが,京成線内では快速などで走る列車に切り替わった。快速が成田空港へ行く列車が少ないことから羽田と成田の空港直結は,ほとんど姿を消した一因なのだ。快速は,今は成田どころか手前の佐倉での折り返しも多い

京急600系の上野エアポート快特は華々しくデビューしたが,特に京成線では目論見とは違う結果が出てしまった。エアポート快特が,成田空港〜羽田空港間の列車になり,青戸〜成田空港間では従来の特急を置き換えた形なので,青戸〜成田空港間では,20分おきと特急の従来どおりの運転パターンが確保されたが,問題となったのは上野〜青戸・高砂間だった。このエアポート快特が浅草線から走る時間帯は,上野と成田空港を結ぶ特急は40分おきになった。エアポート快特と接続する形で,上野〜高砂間で特急を走らせ,上野・日暮里からは特急を見かけ上の20分おきに走らせた。しかし上野〜高砂間の特急を中心に,評判が悪かった。何故ならば,京成線の成田空港への特急は特に上野・日暮里からの乗車が多いからだ。それを青戸や高砂で別の列車に乗り換えさせたので,空気を読めない列車設定になってしまったからだ。結果として,2002年の全面ダイヤ改正でのエアポート快特の縮小の主な理由となった。このダイヤ改正からは,上野から成田空港への特急は20分おきに再び走るようになった。

夜のエアポート快特利用者から反発を浴びたものの京成の方は,2004年のダイヤ改正でエアポート快特を今度は違う形で利用した。夕方から夜の下りの浅草線直通の特急で,一部の時間帯を浅草線内をエアポート快特として走り,通過運転を行い,時間短縮を図った。これは日本橋〜勝田台間では,東西線・東葉高速鉄道も並行して走っており,こちらへの対抗とも考えられる。こちらに関しては,羽田空港と成田空港を結ぶ日中のエアポート快特のような不評は少なかった。

上記の2例はいかにして京成の輸送の特徴を示していると言えよう。日中は,上野や日暮里と成田方面を結ぶ需要が多く,通勤時間帯は上野や日暮里よりも浅草線方面と沿線の住宅地を結ぶ通勤需要が多いのだ。

京急でのエアポート快特エアポート快特とはいかに京急主導の種別と言うのかがよくわかる気がする。はっきり言えば,違う種別にして走らせてもよいのではないかと思う。しかし,浅草線では,乗り入れ先の種別を出すのが普通なので,種別に制約がかかるのも確かだ。もう一案として,種別のデフレを挙げたい。例えば,京急と京成の急行は準急にして,快速はそのまま,特急は急行,快特は特急にして,このエアポート快特を快特とすればいいのではないかと思う。今の種別は,京急が変にこだわりすぎているような気もする。今のような種別ではわかりにくいと言う以外ない。それにただの快特が通過列車になれば,快特の面子も立つかもしれない。

この浅草線の優等列車は,案としては悪くはないが,種別の呼称や京成線では輸送の内容が特殊である事から使い方をどうするかが結構かぎになるのではないか。

都営フェスタの展示車両の紹介2

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お待たせしました。更新が遅くなってすいませんでした。11月8日の都営フェスタの写真を引き続き公開します。

京急の旧1000系片開きドア車を含めた6種類の車両がここで顔をそろえた。

 

浅草物語まずはこの写真のタイトルは,1996年の浅草物語だ。浅草物語と言えば,こち亀の名作として知られる作品であるが,右端にいる都営の機関車を除いた車両は浅草線での走行経験のある車両だ。特に時期としては,1996年にはここにいる車両(北総9100系,京急1000系,京成3500系,都営5300系)が浅草線の輸送の主力で走っていた。これは今から12年くらい前になるが,そのときは京急は羽田空港に乗り入れていなかった。12年で顔ぶれも乗り入れの行き先も大きく変わったものだ。

京成と京急1000その2

この写真は,京急旧1000系と京成3500系が並んだ。このタイトルは,1988年の浅草物語だ。今から20年前の1988年の浅草線は,京急は旧1000系,京成は3500系が浅草線に乗り入れる中心的な車両だった。京急旧1000系,京成3500系未更新車両ともに今は浅草線に乗り入れることはほとんどない。この頃は,浅草線には5000系車両もおり,全体的に古い車両が多かった印象がある。

京急1000系

京急旧1000系だ。この車両は,長年京急の通勤輸送の顔として活躍している。今は浅草線にはほとんど乗り入れずに京急線での活躍が中心だ。塗装は,戦後間もない時代の京急の塗装だ。当然,この塗装の時代には地下鉄にも京成にも乗り入れていなかった。2000系や2100系などの快特の高速運転が京急の顔かもしれないが,私は非日常的な顔がするこれらの高速運転車両よりも各駅停車から快特まで全ての種別に使用し,地下鉄にも顔を出していた1000系こそが京急の顔だと思う。最近は京急に触れる機会は減ってしまったが,京急の車両も相変わらず魅力的だ。

京成3500系優等

これは,印西牧の原からの都営フェスタスペシャルトレインでここまで走ってきた京成3500系の未更新車だ。私はこれを待っていた!!

前面の幕の表示は「特急 成田空港」で,久々に京成の3500系の優等列車の種別を出したのだ。種別板には,特急の六角形のマーク化と思えば,先の臨時列車のヘッドマークがつけられたのだ。それだけでも,昔の京成の優等列車だった。欲を言えば,3500系のスペシャルトレインの車内で展示した通勤特急のマークを出して,通勤特急 西馬込の表示が見たかった。

京成3500と都営5300

京成3500と都営5300系が並んだ写真。この写真は,「夏の日の京成押上線1993」だ。今から15年前,1993年の京成押上線は,この2つの車両が線内の輸送の中心的な役割を担っていた。この頃は,都営や京成に新車が続々と投入されていた。都営の5300系は次々投入されるのに対して,京成の新車は都営に比べて投入ペースが遅かった。この二つの車両を見比べても,京成は古さ,都営は新しさが感じる。夏の日は,この二つの車両がともに冷房車だったので,暑さはしのげた。すいません,秋なのに夏の話をしてしまって・・・

続きがまだまだあるので,第3回目で紹介します。

京成3500系都営フェスタ号乗車記 完全版

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2008年11月8日,都営浅草線の都営フェスタが西馬込の車庫で行われた。それに辺り,京成3500系の未更新車4両による印西牧の原〜西馬込間の列車が運転された。

印西牧の原へは,自宅から東松戸駅を目指し,ここから北総線に乗車した。途中,武蔵野線の市川大野駅で,183系の団体臨時列車とすれ違った。

牧の原の景観と5300系印西牧の原到着は午前8時ちょうどだった。発車の30分くらい前だった。この辺りは行く度にロードサイド型の大型店が増加している。ロードサイドの店舗の見本市の地域と言えよう。この列車専用の硬券の専用乗車券を購入して,発車を待つ。

 

回送表示の京成3500印西牧の原駅は,一昨年の都営5200系のさよなら運転,昨年の北総7000系のさよなら運転のときも始発駅もしくは終着駅で,ここ数年のさよなら運転は全てこの駅から出ている。今回もそうだった。今回は京成3500系という30年以上京成の中心的な車両として君臨しているが,なかなかここまで入る機会はなかったので今日の乗り入れは貴重なものと言えよう。ヘッドマークは,種別板の場所に置かれた。左の写真は,回送列車の到着シーンだ。京成の回送列車は,「回」という表示を出す。これも赤電時代から続いている。今回,この列車を運転したのは,普段は走る事の無い列車をやってみては?とのことから実現したそうだ。

東松戸にて印西牧の原駅を8時28分に出発する。次の停車駅は浅草だ。はじめはゆっくり走っていたが,白井駅を出た辺りでは,一回高速運転をはじめた。3500系未更新車が優等列車の運用を離れて久しいが,白井駅などの高速での通過は,3500系の未更新車の優等列車に久々に乗っているようだった。東松戸駅を通過する。この駅は,北総線の成田空港延伸後に,2面4線の追越ができる駅に変更する。下総台地の高架と掘割の風景を繰り返し,やがて矢切駅を通過すると江戸川を越える。北総線江戸川鉄橋をこの未更新車は初めて越えるのだろうか・・・

通勤特急の懐かしの表示板江戸川を越え,高砂駅の手前から何と面白い事がはじまった。北総の乗務員が,京成線の通勤特急の種別板を持っているのだ。この種別板は,3500系の前面に置いてあった種別板だ。この種別板をつけて走った3500系の通勤特急を少年時代に何度見たものか・・・これには思わず感動してしまった・・・。通勤特急は1985年10月の高砂〜青戸間の複々線完成による全面ダイヤ改正でデビューした。この通勤特急は,主に浅草線直通で運転し,当時の特急に比べて停車駅が少なく,上と下にある水色のストライプのマークが,まさに速達列車としての風格があった。裏には,「臼井」の表示があった。京成のめくり板のある時代は,うすい行きはマイナーな存在だったので,うすい行きのこの表示は時代を感じた。

高砂駅で乗務員が変わる。向かいのホームには,上野行きの3500系の更新車の快速特急が停車中だ。3500系の2つの顔が高砂駅で並んだ。京成の通勤車両としては,生涯初の青戸駅の通過を体験した。作者には馴染み深い場所を通る。そして荒川を越える。3500系の未更新車両が荒川鉄橋架け替え後に荒川を越えたのは何回目だろうか・・・。橋桁の低い旧荒川鉄橋であれば,何度も越えていた。そして押上駅に着く。

京成3500の牧の原押上では乗務員が変わる。ここからは浅草線の線路に入る。隅田川を越えれば,ここは浅草だ。初めての停車駅に着く。ここで私の乗っていた車両は,敬老会のハイキングの利用者が大挙して乗車して座席のほぼ全てが埋まる。浅草線で,この3500系の未更新車に乗るのはいつ以来だろうか。

特に青戸を越えてからは,3500系の未更新車両に乗ることが多かった,幼少からティーンエージャーにかけての若い時代を思い出してしまった。あれが作者の小さい時代の京成の車両だったのだ。それくらい京成3500系の未更新車両は作者にとって馴染みと思い出の深い車両なのかもしれない。作者が地元から荒川や隅田川,そして江戸川を越えて未知の場所へと誘うものだった。これが3500系の役割だった。

浅草線を東日本橋・日本橋・新橋・大門・三田・泉岳寺・五反田と止まる。浅草線内は通過運転を行う。利用者も徐々に増加する。まもなく印西牧の原から78分のトリップが終わり,西馬込駅に到着する。二十余年も見慣れ,乗り慣れた車両であったが,この車両からはじめてみる北総線の新鮮さと京成・浅草線内での懐かしさが身に染みた。新鮮か懐かしいかと言えば懐かしいかもしれない。北総線内での走りは,往年の優等列車で頻繁に使われていた時代を感じさせた。懐かしさが先行するのも,この車両に何年も乗車してきたからわかることなのかもしれない。

 

いよいよ出発

e8b7bc5d.jpg只今、京成3500系の都営フェスタ号が印西牧の原駅を出発しました。
編成は3589〜3592の4両で種別板の所にヘッドマークがついている。

都営フェスタの臨時列車運転を前に

07aac4ec.JPG京成電鉄3500系車両。この車両は,作者が幼少の時から20年以上に渡って身近な姿を見ている最も馴染みのある車両の一つだ。

11月8日のイベントで,印西牧の原からの都営フェスタ向けのスペシャルトレインが走る。今回使われる未更新車両は,20年以上の間,ほとんど姿形を変えていない。(変えているのは,帯が赤帯だけだったのが,の二つになった事) 尚更,身近に感じるのだ。例えて言えば,小学校くらいの時に寄り道していたお菓子屋などが今でもその人たちが現役で当時と変わらぬ佇まいで営業をしているようだ。

作者が幼少のときと変わらぬ様相の車両は,この車両と当時は最新鋭の車両であった京成の3600系くらいしかない。京成の3300系や3200系の赤電群は幼少時には,今と顔が変わっていたので,そのように感じない。

3500系の未更新車両は,冷房化をしていたことなどから80年代の冷房改造などの顔が変わることが無かったが,90年代の更新工事で一部車両の顔が変わってしまったときは,今一つピンと来なかった。それだから3500系の未更新車両には,昔を思い出させるような感じがするのだろう。

新京成の電車に乗った印象

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先日の新京成のイベントについての話題のスピンアウト作品が,新京成の電車の乗った感想だ。

まずは新京成の顔・8000系だ。8000系に乗ったのはくぬぎ山〜京成津田沼間だった。車内の内装は,床が緑座席の色が赤そして内装が少しくすんだ茶色。それに窓も二段下降窓,どっかの車両に似ていると思えば,京成の3500系の未更新車だ。8000系は内装も京成と変わらないのか。新京成の車両は,ドアの近くに鏡がある。それも新京成らしさを感じる。

新京成8800系2次は,新京成の8800系だ。8800系の車内は床が茶色で,座席も赤で,内装も明るさを重視している。窓が下降窓でないのは,京成の3600系に似ているのかもしれない。製造された時期からして3600系に似ているかもしれない。しかし,京成の3600系は足回りがチョッパ制御に対して,この車両がVVVFになったのは時代の先取りをしていたのかもしれない。

8900系は,今回は乗らなかったが,床がツートンカラーで,座席もバケットシートだ。この車両から新京成もステンレスカーを採用した。ステンレスカーの採用は,京成よりも遅かった。

新京成の車両は,独創性があるものの,京成と似ているものも多い。やはり新京成は内装などは京成とさほど変わらないのかと思わせる。

北総7000系牧の原2北総7300今はなき北総の7000系も高砂延伸以前の時代は新京成と北総が一体化して,松戸〜千葉ニュータウン中央間で走っていた。この7000系も,その当時は吊り革無し,特徴のある前面などもあった。内装は京成の車両と若干違った。北総の7300系も松戸に来たことがある。それは7300系のデビュー当初は,新京成と北総の乗り入れが続いていたので,7300系も少ないながら乗り入れていた。

新京成くぬぎ山イベント参加記

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今日は新京成のくぬぎ山の車庫見学へいってきた。午前は用事があってダメだったが,午後3時半まで受付なので,何とかしてぎりぎりで間に合いそうなので,くぬぎ山へと向かった。

行きは松戸駅を目指すべく,千代田線に乗るが,綾瀬行きに当たってしまった。荒川や江戸川を越えるべく,北千住で常磐線快速に乗車して松戸へ向かう。E531系の10両であったが,車内は大混雑している。そりゃそうかもしれない。グリーン車増結で,10両編成は実質8両編成になり,おまけにこの車両は立席も増えてしまったのだから,明らかに輸送力不足なのがわかる。

江戸川を渡る207系900番台そう後悔するのは,北千住で千代田線地下ホームで待っていれば,次に来た我孫子行きは207系だったからだ。207系は千代田線には1本だけのレアもので,近々予想されるE233系常磐線・千代田線版導入時には,一番先に廃車になりそうだからだ・・・立席でぎゅうぎゅう詰めに乗るならば,こっちへ行きたかった・・・207系で荒川や江戸川を越えられるのも今だけだから・・・

松戸からは新京成で,くぬぎ山へ向かう。くぬぎ山は津田沼と松戸の間くらいに位置する。新京成は陸軍の演習用路線を転用したのでカーブが多いのはあまりにも有名だ。この線路をめぐり,京成と西武が経営権の争奪戦をした結果,新京成となった。

くぬぎ山駅に到着。受付終了時間は近く,弾丸ファイターのごとく猛ダッシュする。梨畑やブドウ畑が多いのがこの松戸市や鎌ヶ谷市だ。私も小さい頃,梨もぎでこの辺りへ行ったこともある。何とか間に合った・・・

新京成オールスターズ1

左から800系・8800系・8900系・N800系だ。

その中でも,一番左の800系は京成の3200系の片開きドア車(3295編成)亡き後は京成グループ唯一の片開きドアの車両だ。この800系は朝のラッシュ時に主に出現するそうだ。まさにツチノコと言えよう。この車両に会いたいがために,ここを目指した。8800系は今でも新京成の主役として走っている。8900系は,8両固定編成のステンレス車両だ。この車両は鎌ヶ谷や津田沼のイオンのラッピング塗装になっている。一番右のN800系は京成3000系をベースにした6両固定編成の車両で,今でも1本しかない新京成2本目のツチノコ車両だ。

表紙においた写真とこの写真の違いは,表紙においた写真は,後ろの北総線の高架上にも電車が見える。これは北総の7500系だ。少しわかりにくいが,北総の7500系と新京成のN800系の姉妹車両の競演がここで行われたのだ。後ろの高架線に新AE型のスカイライナーが走る日も近い。

dive2新京成80年代の新京成8800系は足回りがVVVFインバーターがまだ一般化していない時代からVVVFを採用した。今は8両編成と6両編成とがあり,6両のものは,京成千葉線にも乗り入れ,番号も最近の京成のスタンダードになったハイフン表記をしている。(8801−1,8801−4など)8800系は前面がバスを思わせるようだ。茶色の帯は8両編成のもの(左の写真)で,6両の編成は帯が3本で赤茶色になっている。(右の写真)この車両にも違いが生まれている。

新京成8000系ギャラリー号

新京成の顔と言えば,タヌキと呼ばれる8000系車両だ。これまで京成の青電の中古車などが多い新京成であったが,この8000系の登場はまさにエポックメイキングになったからだ。デビューから30年を迎えるこの車両は,今でも健在で,京成千葉線に乗り入れ,千葉市内まで入る。8000系の一部の足回りをVVVFに改造する車両も工場内で行っていた。この車両は,沿線の高校生や中学生の描いた絵を展示しているギャラリー号だ。

新京成唯一の・・・

そして今や京成グループ最後の片開き車となった800系車両だ。ドア窓が高い位置にあり,いかにも古い車両のようだ。しかしこの車両も1980年代に車体更新が行われ,冷房改造と方向幕の設置が行われた。

この車両に最後に乗車したのは,今から6年前に松戸とくぬぎ山の間で乗車した。しかしくぬぎ山駅で車両交換で別の車両に乗り換えた。外見も車内も約20〜30年前の京成では標準的だったこの車両,一体いつまで走るのか・・・できたら営業運転をしている姿を見たい。そしてあの片開きドアの開閉音も聞きたい。まさに古い京成の最後の砦だろう。

短い時間ながら充実したイベントの参加だった。帰りは,新京成に津田沼まで乗車する。その感想などを後々に書きたい。

京成3500系の都営フェスタ号運転へ

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11月8日,浅草線の西馬込の車庫で都営フェスタ2008が開催される予定だ。その際のスペシャルトレインとして,京成3500系の未更新車両4両編成を使用した印西牧の原⇒西馬込間の列車が走る予定だ。(京成のプレスリリースより)

運転時刻は,印西牧の原8:28発で途中浅草・東日本橋・日本橋・新橋・大門・三田・泉岳寺・五反田・西馬込に停車する。西馬込着は9:46だ

乗車するには普通乗車券や印西牧の原駅で発売する記念乗車券を必要とする。途中,印西牧の原を出ると浅草まで停車しないので,北総線・京成線内ではノンストップで走るので注意するべきだろう。

柴又の3500系2この3500系にはヘッドマークをつけて運転される。おそらく種別板のところにヘッドマークがつけられるのだろう。

京成の未更新の3500系は主に線内の4両の各駅停車で運用され,北総線の乗り入れは愚か,浅草線にも乗り入れることはない。北総線では斬新さ,浅草線では懐かしさの2つが見られるので,貴重な機会になりそうだ。

あとは,2年前の浅草線5200系のさよなら運転のときに,立石駅付近で線路に人が入り,5200系の非常停止装置が作動してしまうトラブルがあったが,今回はこのようなことを絶対に起こすべきではない。

柴又の3500系1私の本音としては,京成の3500系の未更新車両の前面の種別板に特急(六角形)・急行(丸型)などの往年の種別ヘッドマークをつけて走ってほしいのであるが・・・このイベントではどうなるのか・・・。京成3500系の全盛期は,1980年代後半から90年代前半にかけて,主に特急急行,そして浅草線直通の通勤特急で走っていた時代で,この3500系の特急などは輝いて見えたからだ。11月8日のイベントでは,これを髣髴させそうだ。

なお,この記事であらかわ交通ノートでの京成の話題は100件目に達成しました。100件目が,このような3500系のイベント列車の話題なのはとても嬉しい。

京成線の印象的な風景10傑

京成のうすい〜佐倉間最近の投稿では,西武池袋線・秩父線の飯能〜西武秩父間の山越えの風景のことをよく書いているが,私が長年利用していた京成線ではどこが印象的な風景か,10箇所選んでみた。

京成で最も好きな風景10傑

1・ユーカリが丘〜うすい間の宅地化の進む台地から印旛沼の低地へ降りる風景。走ってきて,いきなり水田が姿を見せるのでこれはびっくりする。この区間では都会の雑踏から本当にのどかな風景の場所に来たんだなと感じさせる。

2・うすい〜佐倉間の印旛沼の低湿地の水田を駆け抜ける風景。特に風車があるところは風情がある。(表紙の写真はうすい〜佐倉であるが,風車は撮れなかった)

3・大佐倉〜酒々井間の周り一面が水田の風景。この辺りも印旛沼の低湿地を走る。特に夏から秋頃の一面の色が素晴らしい

京成3000系荒川25e141f7.JPG4・荒川越え(関屋〜堀切菖蒲園間,八広〜四ツ木間)。作者のネームになっているこの川越えは,二つの荒川を押上線は高い橋桁(左の写真),本線は低い橋桁(右の写真)で越える。

2c454a49.JPG5・立石駅・お花茶屋駅周辺の風景。下町の住工商密集地域を走る京成線は街に溶け込んでいる。赤電が多かった時代は尚更溶け込んでいた

 

 

金町の未更新赤電6・金町線の柴又〜金町間の単線区間。元々帝釈天の輸送の人車鉄道を原点にするこの区間は,今でも単線で残っている

 

 

江戸川と3200系7・江戸川越え。江戸川を越える江戸川〜国府台間は,特に6月になると江戸川堤の花しょうぶが大きく咲かせる。ここでは京成線と花を撮影できる。写真は,京成3200系の最末期に3200系が各駅停車で使われたときの模様だ。

 

3300系赤電の金町8・青砥〜高砂間の複々線区間。今年で複々線完成から23年になるが,中川の橋桁までも複々線にした。南側には,新たに改装した高砂橋と中川と新中川への分水路が見える。それゆえに時間帯によれば幻想的な川越えが味わえる

 

日暮里駅29・上野〜日暮里間の上野公園を出て,その後で,山手線・東北本線・常磐線など10本の線路を越えるシーン。上野〜日暮里間には,博物館動物園・寛永寺坂の2つの駅があった

 

10・成田〜空港第2ビル・東成田間の空港への最後の一走りをする区間。とにかく高速で飛ばし,風景も成田空港へ向けて印象を残してくれるものがある。高架からトンネルに入るのは,最終盤の日暮里〜上野間を髣髴させる。

以上の10傑だろう。京成線は,水田風景・畑風景・宅地・商業地などの変化に富んだ風景だけでなく,多くの橋を越えるのがその魅力を高めている。

京成のカレンダーには,このような風景の写真で撮られている。その例が6月で,この月は花菖蒲とスカイライナーがかかれている。また真冬には,雪景色の写真がある。2009年の京成カレンダーは日比谷と横浜では販売されたそうだが,各駅では30日から販売する予定だ。

・いよいよ京成の話題も99番目を数えた,次回で100回目に達成する。100回目は,どんな作品になるのか・・・

千葉急行を彩った車両たち

京成3050系の末裔今日は10月1日,10年前の10月1日といえば,千葉急行線が京成千原線へと路線運営変更を行った日だ。

今日は千葉急行の所属になった車両を中心にその思い出などをお届けしたい。

千葉急行の所属の車両は,全てが京成からのリース車両だった。当然,京成に乗り入れていたので,京成線内でも見ることができた。10年前は今よりも熱心に写真を撮っていなかったので,当時の画像はないのであしからず・・・

千葉急行の初期の車両は,全身青に塗装を塗り白帯だった。千葉急行には所属車両はなかった。初期は,京急からリースされた旧1000系のうち,4両が千葉急行所属車になり,次に京成の3050系がこの塗装になった。

京成31503050系の全廃後は3100系・3150系がその任を負かされたが,塗装は,京成の帯の色の赤と青の位置を変えたものだった。その後,千葉急行は解散した。千葉急行所属車両は全てが片開きドアの車両だったのだ。

なんとこれらの車両は,全て千葉急行色での活動が終了後に廃車になっている。こんな事を言ってはいけないが,廃車前の最後の活躍が千葉急行塗装だった事を考えれば,千葉急行へリースした車両は,次期廃車候補になりうるものだった。

京急旧1000系千葉急行塗装の車両は特に前期の3050系や1000系は,普段は青の車両など乗り入れない京成では,強い存在感があった。しかも来る事が少なかったので,希少価値も高かった。しかしながら,車内広告も車内も京成のままだったのは,何か少し萎えてしまったような気がする。まさに内と外のギャップの大きいものだった。まさに平成にも存在していた青電ともいえよう。(京成の真の青電は,平成になる前の1988年=昭和63年の3月になくなっている)

後半の3100系や3150系では,色が京成とほとんど変わらないので,存在感も薄くなった。

このような思い出ももう10年以上前のものになってしまうのか。

df91a60d.JPG京成3600系緑京成はリース車両が多い。北総線へは,現在の3300系の7260系のリース(左)をはじめ,3150系や3200系もリース車両になった。北総の7800系車両も京成3700系のリース車両だ。

芝山鉄道も,3600系を1編成リースしている。(右)車内の広告などは全て京成と同じだ。

これらは全て京成時代とは違った帯をしているので,外見は一目でわかるが,他社の車両のふりをした京成の車両なのだ。

Decade Keisei〜千葉急行の末期の京成〜

京成3150今日の話題は,今から10年前の話題になる。10年前の10月1日といえば,千葉急行電鉄が京成千原線へと運営会社が変わった。

これは,今から10年前の1998年に京成津田沼駅で撮影した千葉急行塗装の千葉急行所属の京成3150系だ。その当時は,京成の片開きドアの車両は3150系でも廃車が進んでいた時期で,全体的に見ても少数派になりつつあるときだった。ただ,3200系・3300系などの両開きドアの赤電は,各駅停車から特急まで幅広く走っていたときだった。

千葉急行は,京成千葉線を延伸する形で,1992年に千葉中央〜大森台,1995年に大森台〜ちはら台間が開通した。千葉急行電鉄は,千葉市南部や市原市への住宅地へのアクセス路線として期待された。この線路は小湊鉄道の海土有木駅から千葉市内へのアクセス線として,走らせる予定があった。

これは,最終的には千葉急行という第3セクターの路線で走らせることになった。そしてまずは,人口が当時急増していた千葉市や市原市への宅地の路線として千葉急行を開業させたのだ。

しかし,千葉急行は,京成の利便性の悪さや宅地化が思うほど進まなかったことが足かせになり,開業時から苦戦をしていた。この辺りは,京成を使うよりも京葉線蘇我駅,外房線鎌取駅や内房線八幡宿駅などを使うほうが利便性が高いからだ。もう一つ言えば,この区間は他の京成線に比べて高めに運賃が設定しているのも,それもアクセスを蘇我や鎌取などへ向いてしまった理由の一つだ。また,この辺りが自動車社会である事も見逃せないだろう。

結局,千葉急行は1998年に京成千原線に変わる形で,会社清算をせざるを得なくなった。

ちはら台の幕京成千原線に運営変更になった当時に覚えているのは,京成は運営変更をしたからといって大規模なイベントなどを一切行うことなく,ポスターや京成線の駅や車内の広告には「10月1日から千葉急行線は京成電鉄が千原線として運営します」とあっさり書かれているものだけだった。それはそうだろう。京成は,この千原線を引き継ぐ事によって,大幅な負債を背負わざるを得なくなってしまったからだ。喜んでられないのはよくわかったものだった。京成千原線になったからといって,千葉急行時代の運賃がそのままで値下げにはならなかった。

京成千原線は現状は,千葉中央を出ても相変わらずがらがらの列車が走っている。苦戦は今でも続いているようだ。しかし,この千原線は駅前には多くの自転車が駐輪をしている。それを考えればある程度の利用はあると思う。

京成3050系の末裔

左の写真に注目。右にいるのは,真上の京成3150系が京成津田沼駅の折り返し線にいるが,上野方面に走っているのは,千葉急行色として最後まで残っていた京成の3100系だ。この時期は3100系の最末期で,98年以前の数年間は千葉急行の3100系であったが,最後の最後は京成の3100系として走ったので,京成に出戻りした車両だった。

京成3300系・寅さん電車を捕獲する

c5d6bfa7.jpg京成線スペシャルトレインの第2弾として,寅さん電車を捕獲した。これは,京成の3300系の4両が,映画「男はつらいよ」の初公開40周年を記念して運転されている。ちなみにこちらには,red star様も同行しての撮影となった。

この3300系の寅さん電車は4両編成で,日中は高砂〜金町間を中心に走り,それ以外の時間帯は,上野へ乗り入れる事もある。今回撮影に選んだのは,寅さんの舞台。そう柴又駅だ。葛飾区の名をこのドラマで大きく知れ渡ったのは,この柴又なのだからここが最も適役だったからだ。

寅さん電車の側面男はつらいよは28年で全48作が作られ,故渥美清さん演じる車寅次郎が全国各地を旅をし,マドンナに恋をするもので,日本の映画界では超有名作品の一つだ。12年前に渥美さんが逝去してしまい,作品は終わってしまったが,人気は未だに根強い。

この車両の車内は全て寅さん関係で,DVDボックスの宣伝が多かった。なるほど,今この時代は男はつらいよもDVDで見る事ができるのか・・・

残りがわずかになり,余命も短い3300系であるが,寅さんの作品では御馴染みだった京成の赤電に,寅さんのラッピングで走ることは,まさにこの車両にマッチしてるといえよう。

この寅さん電車は,9月17日まで運転するが,寅さんの車内広告は27日まで走る予定だ。


おまけ・8のつく年と京成の出来事

1958年:赤電旧3000系デビュー

1968年:3300系デビュー

1978年:成田空港乗り入れ・スカイライナー運転開始

1988年:青電完全廃止

1998年:浅草線・京急線経由で羽田空港乗り入れ,千葉急行が京成千原線に

2008年:新AE形デザイン発表,寅さんトレイン・葛飾ラッピングトレインなど走る

 

夏休みスペシャル4・京成線に非冷房車があった時の話

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寅さん電車の話題に関しては少々お待ちください。寅さん電車に変身したのは京成最後の赤電の3300系だ。今日は赤電の冷房工事時期を中心に,京成に非冷房車がいた時代の話を書きたい。夏休みスペシャルの懐かしの京成のネタはこの話題になる。

 

京成3150京成の赤電は1983年に初めて冷房が開始された。これは3150系だった。それ以前の冷房車は,3500系・3600系だけで,冷房率が極めて低かった。赤電が冷房ができなかったのは,当時の荒川鉄橋の強度が弱く,赤電に冷房を搭載すると車体が重くなるのでできなかったそうだ。荒川鉄橋の強度を上げ,そして冷房改造に対応したのだ。京成は1987年の運賃改定の際に91年までの全車両の冷房搭載を運輸省と約束したので,更新が急速に行われた。

京成3600系緑京成の赤電の非冷房車から冷房車への改造は,3150系⇒3300系⇒3200系⇒3100系⇒3050系の順番で行われた。3300系の一部を除いては,大規模な更新工事も同時に行われた。(1983年に在籍していた赤電の旧3000系と青電の2100系は冷房工事すらされなかった)この更新工事では,めくり板と言われる行き先表示板の廃止,種別板は3150系以外は廃止になった。前面は更新時期と同時期に製造された3600系をベースにするものだった。

京成3300系の現在の姿3300系の,一部の編成は,行き先表示の方向幕が前面と側面についていたので,車内の更新などはなく,冷房機器が搭載されただけだった。この3300系は外見が当時の3500系(今で言うと3500系の未更新車)とそっくりで,3500系の赤電版のように見えた。この3300系も後年の更新工事で,外見も内装も3200系とそっくりになり,今に至っている。

京急旧1000系京成の非冷房車の更新工事を行っている時代は,京急旧1000系をリースで16両を借り入れたこともあった。これは冷房率の向上と人口急増による輸送力の強化が迫られたものだった。京急では廃車になっても,京成では大きく役に立ったのは,皮肉だった。

 

都営5000系1991年に旧3000系の廃車により,めでたく?京成線の完全冷房が達成されたが,これは全てが京成の車両で賄える上野〜青砥間と金町線,千葉線といった一部路線だけだった。

浅草線からの乗り入れの都営車両には,非冷房車の5000系が依然として残っていた。この車両が特に押上線の押上〜高砂間に乗り入れていた。それにこの時期は浅草線発京成の急行にも時折使われていた。その為,京成の完全冷房化に水を指されたような気分だった。91年以降の夏の時期の5000系は悪役だった印象がある。1995年に5300系の増備で,5000系はなくなり,とても残念だったが,逆に胸をなでおろした気分にもなったのはその為だったのかもしれない。

都営5200その2ただし2006年に廃車になった5200系は1988年に冷房改造が行われ,都営車両の中では数少ない当たり車両だった。その為,夏に5200系が来たときの喜びは一入だった。5200系のさよなら運転からまもなく2年が経つが,このことを思い出したのは言うまでもない。

 

 

ロッテトレインの京成3000系を撮る

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京成の夏のスペシャルトレインとして,ロッテトレインと寅さんトレインが走っている。最近の京成では多くのスペシャルトレインを走らせている。一昔前とは全く違うようだ。

ロッテトレインは8月25日に千葉マリンスタジアムで行われる千葉ロッテマリーンズとオリックスバッファローズの試合が今年の京成グループナイターとして京成グループの協賛で行われる。先日,この京成グループナイターをアピールするべく,京成3000系の第18編成がヘッドマークつきで運転され,車内は,この試合の広告とロッテの選手で占められている。写真は昨年同様に東中山駅で撮影した。東中山駅は,各駅停車のほとんどが特急などの通過待ちを行うので,各駅停車は必ず数分停車する。

ロッテトレインの広告千葉ロッテマリーンズの選手は,新人投手で成田高校出身の唐川投手と荻野選手の二人が写っている。唐川投手は,高卒ながら何勝か上げていることで話題になっている。

千葉ロッテマリーンズの本拠地の千葉マリンスタジアムでは,京成の広告が堂々と輝いている。京成もこれからもどんどんロッテを盛り上げてほしい。

オリックスバッファローズ・・・相変わらずしっくり来ないなあ・・・

・もうひとつの京成のスペシャルトレイン3300系の寅さんトレインは後日別立てでお届けするのでお楽しみに。

3500系の6両最近の京成の6両は,3000系が中心なのは確かだが,3500系更新車も1編成が6両編成になった。3 0 0 0 系 ば っ か り じ ゃ ね え かの6両編成であるが,しばらくは珍しい風が?吹きそうだ。

 

日暮里駅・・・こちらは日暮里駅の画像。シャッターの裏は,改造後の日暮里駅で使うのか?このようなシャッターを見ると,そう感じさせる。 


 余談

先日発行した京成の広報誌・京成らいん9月号では,人気モデルの押切もえさんが,インタビュー記事で登場している。彼女は市川の方が出身らしいので,京成らいんの登場になった。大物のインタビューも数多い京成らいんであるが,このような記事は京成らいんの見ものだろう。

羽田・成田空港直通鉄道運転検討か?

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10日の東京新聞などに成田空港と羽田空港の鉄道の高速化の記事があった。これは,成田〜羽田間を現在は京成・浅草線・京急の3社が線路がつながり,京成線の快速などがこの区間を走っているが,今は1時間46分かかる。今後も空港乗り継ぎ客の利便性などを上げるために,行われる。

国土交通省が検討しているルートは,近年開通予定の北総線の成田空港延伸・高速化を生かし,北総線〜京成線〜浅草線〜京急をつなぐルートで,浅草線内には追い越し線を用意し,アクセス時間を1時間5分くらいにさせていくそうだ。

成田高速鉄道はすなわち北総線(高砂〜成田空港間)で,北総線には2年後から新AE型によるスカイライナーが走る。これによって,日暮里と成田空港間を40分以内で走る。この新AEによるスカイライナーは,青戸からは日暮里・上野へ向かい,浅草線方面へはむかわない。青戸から押上・浅草線方面へ流す事によって,利便性を高める方向だ。

浅草線内は,どこかに追い越し線を作る予定だ。どこかはわからないが,蔵前辺りが有力になっている。その他既存線路も改良する予定だ。個人的な予想では,京成押上線の完全高架化ではないかと思われる。現在,京成押上線は,墨田区内の曳舟駅周辺と荒川をはさみ,葛飾区内の立石駅付近で高架工事を行っている。この場合,現在の最高速度85kmからの大きなスピードアップも可能だ。

いきなり高速化もいいが,羽田空港と成田空港を直結するのであれば,まず先にAE100型でもいいから一応有料特急で直行列車を走らせるべきではないか。小田急のMSEが千代田線に乗り入れる事ができたように,特急車両を地下鉄に乗り入れるような改造を行ってもよいのではないか。ただ,この場合は,京成・都営・京急にまたがるため会社間の協議の難しさがあるのではないか。例えば,汚物の処理やダイヤ混乱時の処理などがある。羽田と成田の列車の乗り入れは,いろいろな点で大きな壁が立ちはだかる。都営としても,空港利用者を取るか,それとも通勤利用の足を重視するかに迫られているだろう。

京成線八千代台行きの詳細

京成八千代先日の印旛沼花火大会の臨時列車で京成線でレアな行き先の列車が走った。これが各駅停車八千代台行きだ。これは,何年に一度出るかわからないレアな行き先だ。車両は3400系で種別は白く光っているが各駅停車だ。

運転区間は,うすい⇒八千代台であったものの,車両は宗吾参道から回送され,八千代台到着後は追い越しを行う1番線に到着し,特急に接続する形で走った。

京成八千代の幕各駅停車だからいつもの如く3000系かと思えば,3400系だったのは意外だった。うすい⇒八千代台間であれば8両でも問題がないか・・・

余談であるが,撮影後に山手線が止まっているという情報を得たので,日暮里での乗り換えるいつものルートは今日は敬遠する。今日は西船で徒歩で乗り換え,西船橋から東西線に乗り換え,高田馬場まで出る事にした。荒川や江戸川も結構河口の近くを通過した。

京成では現在2つの異なったスペシャルトレインが走っている

・千葉ロッテマリーンズトレイン

ロッテ京成30173000系の第18編成が8月25日の千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対オリックスバッファローズの京成グループナイターを宣伝するべく,車内広告は千葉ロッテマリーンズの選手のポスターなどで埋められている。(詳しくは,千葉ロッテマリーンズファンのマリンライン様のブログなどを参照してください)

これは昨年のマリーンズトレインだった。

・寅さんトレイン

金町の赤電

3300系の1編成が,男はつらいよの寅さんをアピールするべく,寅さんトレインになる。これは今年で男はつらいよが初めて作られて40周年が経過するからだ。奇しくも3300系がデビューをしたの同じ年なので,偶然といえる。この車両は9月17日まで4両編成の運用で使われるそうだ。先日,宗吾参道の車庫にいたので,運用開始はもうすぐになりそうだ。廃車が進む最後の赤電3300系の花道が飾れそうだ。

いずれも乗車後はあらかわ交通ノートでの報告を予定しているので,お楽しみに。

山万ユーカリが丘線を訪問する

a5f74f3a.jpg速報の通り,先日山万ユーカリが丘線を訪問した。この路線は京成線ユーカリが丘駅からのニュータウンの足を確保するための路線だ。

・山万は,京成とは全く関係ない会社であるが,京成と密接に関連しているので,この山万の話題も「京成電鉄と周辺会社」カテゴリーに加える。

山万といえば,BAYFMではスポンサー番組を持っており,同局のお昼の番組もユーカリが丘から放送される。BAYFMリスナーにはおなじみの会社だ。この山万は,不動産ディベロッパーで,この佐倉市ユーカリが丘は山万によって開発された都市とも言える。この山万ユーカリが丘線は,今年で全線開通25周年を迎え,沿線ではイベントが行われている。

ユーカリが丘線路線図この山万ユーカリが丘線は,ユーカリが丘駅から,ラケット状に循環する路線で,公園駅からは反時計回りに回る。しかも一方的な運行で,逆方向の運行はない。駅順では,ユーカリが丘⇒地区センター⇒公園⇒女子大⇒中学校⇒井野⇒公園⇒地区センター⇒ユーカリが丘の順に止まる。

ユーカリが丘といえば,1982年に設置された京成線の駅で,1980年代の京成沿線の開発による宅地化で,輸送量の増加した代表的な場所ともいえよう。駅名も,いかにもニュータウンという感じのイメージ先行型(このような地名はどちらといえば嫌いだが,商業上致し方ない点がある)であるが,元はと言えば佐倉市井野という地名だ。

ユーカリが丘駅のホームは京成線と垂直の位置にある。駅周辺は,SATYなどの大型店や高層マンション,国道296号沿いには,ファミリーレストランやドラッグストアなども多い。典型的なニュータウンの沿道の雰囲気だ。

ユーカリが丘線の車両「地区センター駅」を過ぎ,「公園駅」に着く。公園と名乗っている事自体,漠然すぎるが,ここからは反時計回りに循環する。次の駅は「女子大」という駅であるが,ここは市川市にある和洋女子大学を誘致しようと駅名だけ女子大にしたが,実際に移転したのは和洋女子大学のセミナーハウスだけだったという西武池袋線大泉学園駅のような,名だけは学校名にしていても,実はなかったというパターンだ。この辺りは,印旛沼の低地と台地が複雑に入り組む地形で,住宅地は当然ながら台地上にある。「中学校駅」はこれも漠然とした名前であるが,これは井野中学校の略だ。この辺りから,ユーカリが丘への利用者も増える。戸建住宅がこの辺りは多い。次の「井野駅」はこの辺りの地名の井野から取った。そして,公園駅に戻る。地区センター駅を経て,ユーカリが丘駅に着く。

「地区センター」「公園」「女子大」「中学校」といった駅名から想起されるように,まさにこの路線は,ユーカリが丘駅から出る地域住民のための路線なのだ。
このユーカリが丘線では,駅名の公募も先日まで行っていたそうだ。漠然とした駅名では,面白くなかったが,どんな駅名が出るか楽しみだ。

ここで乗車した車両は,

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花火大会の夜の京成

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昨日行われた葛飾花火大会の夜の京成線の輸送について記録してきた。葛飾花火大会のときの京成金町線は,4両編成にもかかわらず激しい混雑になる。今日来た京成金町線の列車を中心に紹介したい。表紙に貼ったのは,京成3500系の葛飾区ラッピングトレインの車両(3593〜3596)。葛飾区内の代表的な景観の柴又〜金町間の単線を行く姿はまさにこのラッピングトレインに合っている。

京成の印旛日本医大京急の西馬込まずはこの前に,立石駅で珍列車が2本来たので紹介する。左が,京成車両では唯一北総線に乗り入れる印旛日本医大行き,右が京急車両の西馬込行きだ。両方ともかなりレアなものなので,連続で来るとなるとかなり珍しい。

今日の柴又駅今日の京成線の柴又駅は,普段は2番線だけの改札が1番線も使われていた。(左の写真)柴又駅の1番線の改札が使われるのは,この花火大会と初詣の年2回になる。しかし,ここはSuicaなどに対応していないものだった・・・柴又駅が一年で最も混雑するのは,花火大会と初詣のときだ。普段の通勤通学の利用よりも土日の観光の利用が多いまさに典型的な観光地駅だ。

金町の赤電金町の未更新赤電金町線は,4両編成ばかりなので,最近幅を利かせている3000系や3700系などの乗り入れがなく,ほとんどが3500系や最後の赤電3300系など一昔前の京成の車両ばかりだ。それが古くからの京成ファンとしては面白いのだ。いつまでこの二つの車両が走るかはわからない。高砂駅の金町線高架工事によって,金町線も状況の大きな変化が予定されるので,そう先は長くはないだろう。

・この投稿は22日の深夜に投稿しましたが,23日の未明に変更します。

少数派になった京成の大和田行き

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先日の葛飾ラッピングトレインラプソディで,紹介しきれなかった京成の画像がある。なんだ3000系じゃないかと思うかもしれないが,行き先に注目。これは,京成線では見かけることの少なくなった各駅停車大和田行きの列車だ。

上野〜大和田間の各駅停車は以前は一日を通して多数あったが,1996年7月のダイヤ改正以降,この各駅停車は,大半がうすいまで延長され,今では平日の夕方に4往復だけが存在している。東葉高速鉄道の開通で,勝田台以遠の利用者の増加などを見込み,中途半端な大和田行きは消えていった。

一方で,上野〜うすい間の各駅停車は,特に1991年の成田空港直下乗り入れの全面ダイヤ改正までは,少数派だったが,この改正から上野〜大和田間の各駅停車の半数以上が上野〜うすい間の運用に変わった。そして96年の改正には残りの大和田発着がうすい行きになった。これは,京成沿線は特に1980年代に勝田台以遠の宅地化の進展などで沿線人口が増加し,日中でも勝田台以遠の利便性を図ったためではないかと推測する。

大和田発着は,沿線の宅地化の進展や東葉高速鉄道の開通による利用者増によって,発展的な解消をしつつある。現在の大和田発着の役割は,上野〜高砂間並び船橋〜八千代台間といった利用者の多い駅間を結ぶ区間運転的な列車を一本につなげているように見える。これを撮影した京成小岩駅時点ではガラガラだった。いかに京成がこのエリアでの存在感が薄さを表しているようだ。