あらかわ交通ノート Arakawa Traffic Note

当ブログは鉄道を中心に,道路や水上交通のインフラ河川,地理などを主に取り上げるブログです。名前には,交通という言葉がついていますが,交通を中心に町や地域の事などを中心に取り上げていきます。中には鉄道や交通に対するディープな話題なども取り上げます。

JR・車両編

彩野がやってきた

ce6987bf.jpg池袋駅で待っていたら,私がはまっている広島出身の三人組の一人の本名と同じ名前の彩野という車両がやってきた。東武日光発横浜行きの臨時特急列車に使用されているようだ。湘南新宿ラインだからこそできる芸当だろう。鬼怒川・利根川・荒川だけでなく、多摩川を越えて、彼女は今日も走っていく。

 

彩野の横浜行きなんと,彩野の中には横浜の幕も入っているではないか。横浜から見れば日光は馴染みの薄い場所かもしれない。しかし,前述の湘南新宿ラインで,横浜方面から栃木や群馬などの北関東が身近になった今,このような列車が設定できる事自体,歴史が変わったのかもしれない。

彩野の番号にクハ189−2があったとは・・・結構古い車両を使っているのか・・・

ちなみに都電の女王史絵さんのブログでも今日の分で,彩野を取り上げています。

来週,その広島出身の3人組は日本武道館でライブが行われる予定だ。

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2008年9月20日分 「彩野」という名の車両

EF55形引退へ

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戦前に製造された電気機関車のEF55形が来年引退する事になった。EF55形は,1936年から64年まで使用されていたが,1986年に復活した。独特の外見からムーミンとも呼ばれていた。

このEF55形は,高崎運転所に配属され,時折臨時列車として走っていた。所属場所の関係から群馬方面が多く,上野〜高崎〜水上間や高崎〜横川間が多かった。いずれも谷川岳・碓氷峠といった難所を控えた山岳区間で走っていた。

今回この車両が引退するのは,古い機関車なので,部品調達が困難な事や古い機関車を整備できる人材が少なくなったことなどがある。

私はEF55形牽引の客車には乗車した事がないが,EF55形は上野や品川,高崎などで見た事がある。確かに外見は独特だった。写真は2005年秋の高崎駅の撮影会で183系の特急あさまやD51形などと並んだ姿だ。

12月から2月にかけて,上野〜高崎〜水上間や高崎〜横川間などでさよなら運転が実施される予定だ。冬の澄んだ空気のこの時期に,群馬特有の空っ風を受けながら,赤城山・榛名山・谷川岳・妙義山など群馬県を代表する山々を見ながら走る事になりそうだ。

四国の国鉄色気動車の思い出

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10月15日をもって,JR四国のキハ58形・65形が姿を消す。

キハ65形は,主に西日本地区の急行列車で走った気動車で,関東では馴染みの薄い車両だ。その為,乗車の記録は数回しかない。キハ58形は,1980年代の急行列車全盛期までは急行列車として全国津々浦々で見ることができたが,急行衰退後はローカル輸送で主に使っていた。58形は,主に東北地区などで何回か乗車している。

阿波池田駅でのキハ58・65今から1年半以上前の話になるが,2007年2月の四国遠征の際に,土讃線の阿波池田〜琴平間で乗車した。このときにキハ65形と58形の連結車両に乗った。乗車したのは,キハ65形の方だ。塗装は,クリームの国鉄色とJR四国オリジナル色をつなげていた。

 

吉野川から山地へ琴平駅この車両に阿波池田〜琴平間で乗車したかったのは,この区間が,讃岐山地の猪ノ鼻峠を越えるためで,吉野川のV字谷に位置する阿波池田からの上り坂と秘境駅として知られる香川・徳島の県境の坪尻駅から琴平駅の下り坂を味わいたかったからだ。阿波池田駅を出て,吉野川を越えて,すぐに上り坂に入る。この区間は,まるでエンジンブルブル絶好調(ヤッターマンのテーマ曲)のように,パワー全開で山を登る。やがて,前述の坪尻駅を通過する。この駅は,スイッチバック駅であるが,この列車は快速列車なので駅には入らなかった。

金毘羅山から見た飯野山琴電琴平駅に止まる京王の車両猪鼻峠の頂点を越え,ため池が目立つと香川県だ。香川県は特にため池が多い。しばらくは山を降りる。やがて,琴平に到着する。ここは,金毘羅山の玄関口だ。金毘羅山に登るべく,ここで降りる。

高松でのキハ58・65琴平の金毘羅山を途中まで登り,高松へと戻る。高松駅では,さっきのキハ65形・58形が停車していた。どうやら予讃線の運用に就き,高松〜今治間の運用に入ったようだ。この頃,四国のキハ58・65形は,高松から愛媛方面の予讃線と高松から高知方面の土讃線で一本ずつ運用があったようだ。特にJR化後の車両が目立っている四国では,国鉄色の車両はかなり貴重なものだった。

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「彩野」という名の車両

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彩野という名前のジョイフルトレインをご存知だろうか?これは,2003年に大宮支社が,特急あずさやかいじの新車投入で余剰になった183系を団体専用列車に改造したものだ。新宿から宇都宮経由で日光を結ぶやすらぎの日光号や栃木県から横浜・鎌倉方面だったか舞浜方面だったか忘れたが,そっち方面を結ぶ列車として運転を開始した。所属は小山電車区だ。写真のような塗装だった。

彩野の側面2006年3月に新宿〜東武日光・鬼怒川温泉間を結ぶ東武とJRの乗り入れ列車すなわち特急日光・特急スペーシアきぬがわが運転を開始すると彩野は塗装をこの特急に使う485系,東武スペーシアと同様の色に変えた。この時に同時に,この彩野は,JR側の予備車となったのだ。彩野としての大々的な活躍は3年間だけで,今後は特急の臨時車両などで活躍するようになった。でもこの車両は引き続き彩野と呼んでいる。上の二枚は,旧彩野時代の3年前に撮影した。

栃木駅での彩野1左の写真は,東武の栃木駅で,この車両を使用した特急を以前撮影したものだ。しかも,前面のヘッドマークがあるので,絵入り・字だけのマークが見られるなど貴重なものになっている。でも,この彩野は字だけのほうが多いような・・・「日光」という字だけのネームは,昔の特急を見ているようだ。

この彩野は,日光・鬼怒川方面だけでなく,中央線の新宿から山梨方面のホリデー快速などにも使用されたこともあるそうだ。まさに神出鬼没と言ってもいいだろう。

栃木駅での彩野2彩野への期待は,首都圏では特急で走る事が少なくなった183系で,この時代に貴重な特急としての乗り心地を味わえるところにあるだろう。実は私はこの彩野に乗った事がない。果たして彩野に乗れるのはいつなのか・・・ヘッドマークつきの183系は今ではとりわけ大きな魅力だ。

・今日,なぜ彩野を取り上げたかといえば,私の強くはまっている広島出身の3人組の歌手の中にこの車両と同じ名前のメンバーがおり,その人の誕生日だからだ。

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朱いオレンジ 夏のリベンジスペシャル

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残りが少ない中央線201系追っかけ作戦,いわゆる朱いオレンジ作戦の夏休みスペシャルを先日特急あずさ81号の撮影後に行った。

あずさが発車して数分後,新宿駅の中央線ホームには201系が来た。それも中央特快高尾行きだった。まさか中央特快で201系に乗れるとは!!今日は高尾まで乗る事を決意した。なぜならば,今から半年前に201系の高尾行きでありながら,豊田で悪夢の車両故障で,高尾まで乗れなかったからだ。

中央特快は,終日混雑している中央線の中で,乗車率が際立って高い。新宿の時点で立ち席が多い。中野に停車し,次の停車駅は三鷹だ。この辺りの駅は,日常的に利用しているので,馴染みの風景であるが,久々の201系で中央特快となると景色も違う。この区間は,あまり高速運転をしないので,モーター音の唸りも小さかった。三鷹に止まり,下りが高架になった区間を通過する。この辺りの高架線からは,冬は富士山や青梅・秩父の山がよく見える。半年前に乗車したときは富士山の眺めがよく見えたが,夏の今では見えない。

中央線特快の201系国分寺駅国分寺では隣の西武国分寺線ホームには101系が停車している。西武の101系は中央線の201系とともに長年にわたり多摩地区の顔として活躍してきたが,201系同様に数を減らしている。(右の101系は国分寺の多摩湖線ホームで別の日に撮影したもの)国分寺駅では,この二つの顔が並ぶのはもう見れなくなりそうだ。写真の多摩湖線ホームからは,中央線は見えない。国分寺を出て,高速運転をする。このモーター音が201系の音で,中央線の音なのだ。そして立川に到着する。ここでは多数の乗降があり,車内もけっこうあく。

立川を出て,多摩川を渡り,日野に止まる。201系で多摩川を越えるのもあと何回なのか・・・。そして因縁の豊田駅に停車。無事に豊田駅を抜け,豊田電車区の横を通過し,多摩川の支流・浅川を越え,八王子に到着する。胸をなでおろす。ここから高尾までは高尾山・小仏峠への上り坂が続く。この区間もモーター音を味わうには適している。そして高尾に到着する。

ヘッドマークつきの201系これが中央特快のヘッドマークだ!!これが201系の本当の姿なのだ。1979年以来中央線を走り,このヘッドマークは101系時代から長きに渡って続いている。昔は表示板であったが,いつからか電照板に変わった。E233系では,残念ながらこのヘッドマークはなくなってしまったが,この201系はいつ見ても中央線の看板列車・中央特快の看板に適している!!

紙の路線図201作者は101・103系時代の中央線を全く知らず,中央線といったら思い立ったときから201系なのだ。201系はあと2本が残っているが,これはいつまでだろうか。今日は久々に高尾まで中央特快で乗れてよかった。帰りはこの201系で引き返した。左の紙の路線図ももう見れなくなる。紙の路線図だけは,別にして作るべきだ。

朱いオレンジの専用のカテゴリーを作りました。中央線201系に関する話題は,全てここに入れます。朱いオレンジとは,ポルノグラフィティの曲から取りました(アルバムに収録)。京葉線の201系は「BLUESKY」というタイトルで投稿します。これも同じくポルノグラフィティの曲です。ちなみにポルノグラフィティは,広島出身で,かの3人組と同じ出身地で,同じ事務所に所属している。ポルノの新曲のPVにかの3人組も出ていたな・・・

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2008年2月16日分 オレンジのダンシング 中央線201系最後の乗車

復活の189系あさま色あずさ

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お盆の帰省シーズンが真っ只中の今日,中央線では,特急あずさやかいじなどが増発された。その中でも注目を集めたのは,189系を使った特急あずさ81号だ。

183系・189系使用の特急あずさやかいじは,今はなく,年末年始・ゴールデンウィーク・お盆の3大多客期を中心に,三連休期間中などに臨時列車として走る。今では見られない特急あずさやかいじのヘッドマークがみられるだけでなく,10数年前までの特急を思い起こさせ,懐かしく感じさせるものだ。

今回使用されるのは,長野総合車両センターに所属している今はなき上野〜長野間の特急あさまに使われていた189系だ。特急あさまが長野新幹線の名称になって,廃止になってから10年余り,この塗装は今でも健在だ!!

新宿でのあさまあずさこの塗装の特急あさまは,グレードアップあさまと呼ばれる,指定席の改良,グリーン車の3列シート化などが行われた。塗装は,碓氷峠,浅間山麓,妙義山,妙高など数々の山を通る信越本線にふさわしく,とても渋く,沿線の景観にもあっていた。横川〜軽井沢間のいわゆる碓氷峠越えでは,EF63形との協調運転も懐かしい。今は碓氷峠の区間は廃線になり,信越本線の線路はなくなってしまったが,場所を中央線に移して,時折走っている。

中央線は,小仏峠・笹子峠・八ヶ岳・塩嶺峠など信越本線に負けず劣らずの山の風景があるが,信越本線のイメージが強いこの189系は少しミスマッチな雰囲気がする。中央線といえば,特急スーパーあずさの色のような水々しいイメージであり,渋いイメージのあさまがミスマッチなのはこれだけでなく,以下のようなヘッドマークにもあるのではないか。

あずさのヘッドマークLEDでないあずさの幕これが特急あずさのヘッドマークと幕式の表示だ。スーパーあずさもE257系のあずさも残念ながらヘッドマークがない,上高地など北アルプスの山々と梓川が描かれたヘッドマークは,水々しい中央線の特急の象徴のようなものだ。幕式のこの表示も旅心をそそる。

車両は,古くて見劣りがしたが,これぞ特急の原型という感じがした。出入り口からデッキを通って室内に入るとき,ここから非日常的な世界が始まるんだというのを最新の特急列車よりも最も感じさせてくれる。編成はグリーン車のないモノクラスの6両編成で,往年のような華やかさはなかった。

今でもたまに見せる往時の姿は189系の特急としての活躍をまだまだまだまだ期待できるものだった。

189系は,183系に碓氷峠越えに対応すべく,機関車との協調運転ができるようにしたものだ。碓氷峠があった時代は,車両も峠を越えられるように改造し,番号も変える事(1の位を9にする)で,碓氷峠を越えられるというのを明らかにしていた。

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2007年8月7日分 今でも健在!183系の特急かいじ

THE マリンドリーム〜私の好きな205系〜

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先日,京葉線に乗車した。ただし幕張で行われた広島出身の3人組が出演するライブイベントではない。公的な用事だった。京葉線に乗車するのは久々であった。

私は,JRの東京の通勤電車で最も好きな車両は205系だが,特に好きなのはこの京葉線の205系だ。まずは,前面に丸みを帯びた顔がかわいらしい。それだけでも愛らしく感じる。帯の色は赤になった経緯はわからないが,山手線(当時)や埼京線の205系とはまた違う205系のように見える。この丸みは,ディズニーランドのキャラクターをイメージしたようだ。混んでいる電車の中でも和みを感じさせる。

205系は,E231系やE233系の登場で存在がうすくなりつつあるが,今は郊外の顔として,埼京線横浜線南武線武蔵野線相模線鶴見線,八高線などでも走っている。昔は,京浜東北線総武線にも走っていたが,いずれも209系などへの車種統一化で,今はなくなってしまった。作者が小学生のときに各路線への投入が続いたので,次は何色の帯の205系が出るか友人と楽しみにしていたのも懐かしい話だ。

京葉線205系2本この京葉線の最大の魅力は,海沿いのさまざまな景観があることだろう。荒川・江戸川は河口の最後の橋を通り,工業地帯・観光地・住宅地・商業地などさまざまなものがある。東京駅は鍛冶橋駅と呼ばれ,地下深い離れた位置にあるが,ここは京葉線の魅力的な風景の玄関口だろう。その為,京葉線は作者が最も好きなJR線のひとつだ。そのようなことだからここの205系が一番好きなのかもしれない。

京葉線205系房総マークこの京葉線の205系は,東京湾岸沿いを走る京葉線だけでなく,朝夕は外房線の上総一ノ宮,内房線の君津まで乗り入れ,外房・内房の海へと足を伸ばして走っている。外房線内には,途中に土気付近の房総丘陵を越える区間もあり,この車両のイメージには合わない?山越えもある。浦安・幕張などの都市的な湾岸沿いの街を通るだけでなく,市原・木更津・君津などの京葉工業地帯,茂原や一ノ宮などの九十九里の海まで千葉の海沿いの多くの街をつなぐのがこの205系だ。クハの前にある○の記号は,内房・外房線への乗り入れが可能である事を示している

違う顔の205系京葉線は,混雑率がそんなに高くない路線であるためか?輸送に余裕がある。ただし,舞浜のディズニーランドや海浜幕張にある千葉ロッテマリーンズの本拠地の千葉マリンスタジアムや幕張メッセなどでイベントがある時は混雑路線に変身する。この路線の特徴は,通勤通学の日常輸送では比較的すいているが,混雑時は豹変してしまう事だ。これは,西武ライオンズの試合が西武ドームで行われるときの西武狭山線とも似ている。

この京葉線の205系は今は山手線でのE231系への置き換えで山手線を追い出された205系が違う顔で走っていて,仲間が増えたが,でも京葉線といえばやはりこの丸顔の205系だろう。

オレンジとグリーンが帰ってくる?

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9月13日からしなの鉄道に懐かしのオレンジの169系が走るそうだ。(関連記事)しなの鉄道には,169系が3両編成4本存在し,JRから165系・169系が消えた今でも,現役で走っている。2006年に引退した秩父鉄道の急行秩父路亡き後,富士急行のフジサン特急とともに165系の最後の牙城として走っている。

165系といえば,急行列車の代表的な車両として活躍したが,急行の減った1980年代以降は,ローカル線の各駅停車や臨時列車などに使われる事が多かった。作者は165系といえば後者のイメージが強く,京葉線のシャトルマイハマ,常磐線のホリデー快速ときわ鎌倉や中央線のホリデー快速ピクニック号,上越線のムーンライトえちごなどを思い出す。この車両も2003年までに全廃してしまった。

和歌山での165系私は,実はこの165系の急行時代は作者が高校生の時に最末期の急行東海(1996年廃止)で数回見た事あるだけだった。オレンジ,いわゆる湘南色の165系の色は風格があって格好よかったが,老朽化が目立って,くすんで見えてしまったのは残念だった。車内の内装も同じだった。周りが座席の色などを張り替え,内装も明るくなっているのに,原形を保っていたこの車両は,見劣りがしてしまった。当時は高校生だったので,その感覚では,車内には明るさや綺麗さなどが綺麗な電車だなと感じていたのかもしれない。

走行は坂を上るときの重厚長大な独特の音がたまらなかった。山越えではうってつけだった。その中でも最もよく覚えているのが,上越線の渋川から先の利根川沿いの河岸段丘を登る上り坂だった。

165系は,特に1990年代はさまざまなイレギュラーな列車に使われ,色も多彩で,それに落ち着きのある車内空間,更に重厚長大な山登りの音,旅の楽しみなどを構成した車両だった。

しなの鉄道169系作者が最後にこの車両に乗車したのは昨年しなの鉄道の上田〜長野間だった。(このときの記事は,2007年1月5日分 善光寺詣報告2・上田電鉄乗車記を参照してください。)JRで,165系に乗ったのは,おそらく高崎線の上野〜横川間の臨時列車だったと思う。また機会があったら乗車したいなと思う。できたら山登りと川越えの区間で乗車したい。

一番上は2002年の急行犬吠リバイバル運転時

2番目は1999年紀伊半島青春18きっぷの旅で撮影

3番目は2007年のしなの鉄道での乗車時

朱いオレンジ〜中央線201系の今 Part1〜

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最近,現在通っている場所の関係で,西武線だけでなく,中央線に乗る機会も非常に多い。中央線といえば,急速な勢いでE233系への置き換えが進んだものの,三鷹〜武蔵小金井間の高架工事で,運用数増加により数本が今でも残っている。その為,今でも1年前に比べれば少ないものの,201系が活躍している。

最近201系に朝のラッシュ時に乗ったが,E233系と比べて感じた事

1・E233系の定員の多さを感じさせる。

E233系の1両の定員が160人に対して,201系は147人程度で,一両で10人以上の差がある。その為,201系がラッシュに使われると,圧迫感が大きい。いかに中央線に新車導入が求められていたかがよくわかる気がする。

2・床面が高く感じる

E233系は床を引き下げたせいか,ホームと電車との間に段差なしで乗る事が出来る。最新のE231系ですら床が少し高いので,E233系の独特の特徴として,この床が感じられる。201系は,このようなE233系に乗り慣れると床の高さが顕著に感じる。(床の低さは,E233系だけでなく,東京メトロ10000系・西武30000系にも言える)

3・やはりオレンジ一色は堂々たる存在感だ

これは文章の通り,ステンレスにオレンジ帯よりもオレンジ一色の201系は堂々たる存在感がある。201系ばかりだったときはなんでもなかったが,総武線からも消え,中央線からも消えている。もちろん前面のガングロ(ブラックフェイス)も忘れてはならない。ガングロなんて時代遅れかもしれないが,やはり201系のこの顔は印象が強い。

4・空調は・・・

E231系などJR東日本の新車は,マイコン制御の影響で空調が大変よくきいている。E233系も同じだ。しかし201系は空調の効きがこれらに比べれば今ひとつだった。夏の暑いこれからの時期,201系が一般的に見劣りがしてしまう数少ない部分がここなのかもしれない。

201系はいつまで走るかわからない。四半世紀にかけて中央線の主役として君臨し,作者から見れば中央線の車両といえば瞬発的に思いつくこの車両。いつまで走るかわからないが,最後まで走りぬいてほしいものだ。

タイトルはポルノグラフィティの曲で,201系シリーズはこの朱いオレンジの名前で書いていく予定です。

・中央線,最近遅れすぎだ。一方で西武は遅れる機会があまりない。西武の輸送の安定さを感じさせる。でも西武線特に新宿線は,中央線の利用が多く,西武線を使わない人も多い。・・・それはなぜか。今後何かしらの形で触れる予定だ。

やっと乗車した京浜東北線のE233系

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今日,やっと京浜東北線のE233系に乗車した。これまで京浜東北線に乗っても209系ばっかだった。E233系は中央線での投入が終了し,今は京浜東北線の車両を製造している。今日は,短区間ながら京浜東北線のE233系に乗車した感想を書こう。乗車したのは秋葉原→田端間だった。秋葉原は痛ましい事件が起きたばかりだったので,絶対に降りたくなかった。

まず感じたこと。

1・車体幅の広さが十分に感じられたこと

→E231系をはじめJR東日本の電車は車体幅を拡大して1両辺りの定員を10人程度増やしている。しかし,この車両はE231系よりも広く感じた。何でだろう。それは,車内の照明などにある。E233系のよさは,車内の明るさやJR東日本の最も苦手なゆとりを持って車両設計をしている事にある。これで私鉄路線の新型車両並みになったのではないかと思う。

しかし,気になったのは定員で,E231系では先頭車両は146人,中間車両は162両に対して,E233系は先頭車で142人,中間車両は160人と微妙に減っている。何でだろう。

2・液晶モニターが大きかった

ドア上の液晶モニターは山手線のE231系や東京メトロの副都心線用10000系,西武30000系,小田急3000系・4000系などの車両で導入しているが,この車両も液晶モニターがついている。画面が大きくなっていた。それが目に付いた。しかし,いつも言っているが,紙の路線図をなくすのは,はっきり言ってサービス低下ではないかと感じる。紙の路線図は復活させるべきではないか。

この液晶の番組の中では,山手線同様にサッポロビールキャンペーンギャルが出演している。今の江頭ひなたシリーズになってからは,前任者のクイズシリーズではなく,料理のレシピシリーズになっている。相変わらず話題が脱線してしまった・・・

秋葉原駅で総武線のE231系(209系500番台)からこの車両に乗り換え,更に田端駅でこの車両から山手線のE231系に乗り換えた。いずれのE231系や209系ともに車内の設計にゆとりが少なく,更に車内の明るさなどには物足りなさを感じる。増してや209系・E231系ともに初期に投入された総武線の車両は座席が硬い(一部を除く)。例え新車でもJRの車両設計が日々に進化しているようだった。

常磐線各駅停車(千代田線)のE233系2000番台も近々投入が予定される。千代田線を利用する機会も多い作者であるが,どのようなE233系を作るのだろうか,楽しみだ。その反面,千代田線の車両の中でも作者にとって馴染みの深い203系や207系900番台がなくなるのが残念だ。

JR東海の標準車両を見て感じたこと

0a838553.jpg今日は出張で山梨の甲府へ行った。そこで見たのは313系。この車両はJR東海の在来線の顔として営業エリア内のほとんどで見られる。この車両があまりにも勢力が大きいので,他の車両(特に名古屋地区で以前は新快速などで走っていた311系さえも)の存在すら薄くなってしまう。まさにJR東海のE231系と言ってもいいほどの圧倒的な存在感を見せる。

甲府と富士を結ぶ身延線も例外なく普通列車は313系に統一されているが、ボックスシートがいたり、静岡の東海道線に大量投入されたオールロングシート車がいたり、同じ車両でも中身は違う。

313系は,大きく分けると

名古屋地区の東海道線の快速新快速に使用される転換クロスシートのタイプ

身延線・御殿場線・中央西線(中津川〜松本間)に使用されるボックスシートのタイプ

静岡地区の東海道線・身延線に使われるロングシートのタイプ

そして中央西線の中津川〜名古屋間のセントラルライナーのデッキつき転換クロスシート

の合計4種類がいる。いずれも3ドア車だ。作者は,いずれも旅や遠征などで乗車した事があるので,全タイプ乗車している。

313系,久々に乗車して感じたことは,

 

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葛飾に風っ子を見た

新金線線路今日の話題は、数日前に新金貨物線を通過した珍客の話題を紹介しよう。まずは、新金貨物線についてであるが、この路線は総武線の新小岩と常磐線の金町の間の6.6kmを縦に結ぶ連絡線路で(周辺の地図)所属は総武線の支線としての位置づけだ。

ここが有名なのは、交通情報で水戸街道の渋滞名所として悪名高い葛飾区の新宿(にいじゅく)踏切だ。この新宿踏み切りは,新金線の線路だ。(葛飾区は問題の踏切が多すぎる。京成線の高砂といい,京成押上線の平和橋通りの踏み切りといい,ここといい)新金線は作者にとって身近な線路なのに意外にも今まで取り上げたことがなかった。ついに伝家の宝刀を引き抜いた感じだ。

ここは、普段は貨物列車が通過するが、旅客列車が走るのは極めて珍しい。今日、通過をした列車は、仙台地区を主に拠点にしているトロッコのディーゼルカーの風っ子で、先日まで木更津と上総亀山を結ぶ久留里線の臨時列車として走っていた。

回送ルートとして、木更津〜内房線総武線〜新小岩〜新金線〜金町〜常磐線〜新松戸〜武蔵野線〜西浦和〜武蔵野・東北本線連絡線〜大宮〜東北本線〜仙台という道筋を取った。常磐線と武蔵野線は、馬橋駅と南流山駅を結ぶ短絡線を経由し、武蔵野線と東北本線は西浦和と北浦和を結ぶ地下の連絡線を経由した。なんともマニアックなルートなんだろう。でも、これで房総と東北が一本の線路で結ばれているとは・・・葛飾区は房総などの東関東と北関東・東北の中間点なのだ・・・

今回,作者が撮影場所として選んだのは,新中川の鉄橋だった。これは,総武線の新中川鉄橋の500mほど北にあるトラス橋だ。四ツ木と小岩を結ぶ奥戸街道の奥戸新橋からもよく見える。(付近の地図)奥戸街道は作者が頻繁に通過する道路であるが,ここに列車が通る時は追いかけたいと感じて,今日はここを選んだ。ここは葛飾区奥戸と江戸川区西小岩が隣接しており,区境に当たる。

新金線風っこ

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これが,新金線新中川鉄橋で撮影した風っ子だ。牽引する機関車(EF65形)を含めて3両と短い編成であるが,こんな身近な場所で風っ子が見られるとは思えなかった。

作者はこの風っ子に乗った事がない。今度はどこかで乗車をしたい。風っ子は,仙台を起点にしていると書いたが,北関東や東北に遠征する事もあれば,しばしば関東でも走る。でも,指定券がとりにくいので・・・乗る機会は少ないかもしれない。

タイトルは,葛飾出身の歌手のなぎら健壱の有名なフォークソング「葛飾にバッタを見た」から取った。作者が葛飾区内で珍しい列車を見た時は,バッタの部分を列車名などに変える事があるのでこのタイトルは何度か使うかもしれない。

 

Teenage Dream〜ゆとりの引退に当たって〜

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今月,ゆとりというお座敷列車のジョイフルトレインが引退をする。このゆとりというジョイフルトレインは,1983年にサロンエクスプレス東京という名前でデビューをした。当時は全席グリーン席の車両だった。1997年にお座敷車のゆとりに改造された。

私がこの車両を知ったのは,1988年に発刊されたブルーリボン・ローレル賞の歴代受賞車両を集めた本が出たときに知った。1984年に同車が鉄道友の会のブルーリボン賞を獲得したのだ。茶色で赤のライン,それに展望車があり,全ての車両がグリーン席というなんとも豪華な車両で,発刊当時に小学生だった作者はこのような車両には一生のうちに一度でも乗れるかなと感じた。

この列車は,1980年代の鉄道旅行の豪華志向を先取りした列車の典型例ではないかと思う。1980年代は,東北・上越新幹線の開通,特急網の充実,高速道路の開通など交通をめぐる環境の変化が訪れた年代だった。ハード面の充実だけでなく,完全グリーン車という豪華編成による車両でソフト面の充実も図るようになった。これは,ワンランク上の上のグレードの旅を目指すのが目的だったといえよう。このサロンエクスプレスを皮切りにスーパーエクスプレスレインボー・シルフィード・パノラマエクスプレスアルプスなどの全席グリーン車の欧風列車が登場した。このような列車はバブルの時代までは通用したが,バブル後は使いづらくなった。その結果として,レインボーは廃止,パノエクは富士急行に移籍,シルフィードやサロエクはお座敷列車に改造された。豪華なグリーン車で行くよりはお座敷の方がニーズがあったのだろう。おまけにお座敷では酒も飲めるし,鉄道でしかできないようなニーズがある。

ジョイフルトレインにも作者は憧れの念があった。その好例が,1992年ごろ,JRの駅に東日本管内で走るジョイフルトレインをまとめたリーフレット冊子があり,この冊子に魅了された作者は,華やかなジョイフルトレインに憧れるようになった。当時,ティーンエージャーだった作者にとって華やかなジョイフルトレインは,超がつくほど高嶺の花だった。そのうち,どれかに乗りたいなと感じていた。結局,今日まで全席グリーン車の欧風ジョイフルトレインには乗った事が1度だった。ただし,スーパーエクスプレスレインボーは,尾久客車区の一般公開で車内見学をした事があった。では,1回は何かといえば,パノラマエクスプレスアルプスで,引退後の富士急行線のフジサン特急で乗車し,これが唯一の営業運転で,欧風ジョイフルトレインの史上唯一の乗車だった。

憧れは強かったが,現実にはほとんど乗ることなく終わってしまった欧風ジョイフルトレイン。サロンエクスプレス東京・ゆとりの引退は,当時の憧れを思い出したようだった。

タイトルは,ZARD(DEEN)の曲名です。ジョイフルトレインに憧れていたのが,ちょうどティーンエージャーだったので,このタイトルにしました。この曲の作詞の坂井泉水さんは昨年お亡くなりになりましたが,このような青春時代の歌詞などを書いていることに関して作詞能力の高さを改めて感じ,敬意の念をこめてこのタイトルにしました

 

183系の中央ライナーからの観察

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約1週間前,速報記事だけ書いてまだまだ更新していない記事があった。これは,中央線に残る183系車両使用の定期列車だ。

183系といえば,長年特急あずさ・かいじなどの中央線の看板列車で走っていたが,2001年のE257系導入後は,あずさ・かいじで使われる機会が減り,2002年冬以降は定期の特急として使われる事がなくなった。しかしながら時折臨時列車で使われていた。特急としての運転は終わったが,現在は東京〜高尾・青梅間を結ぶ定員制列車の中央ライナーで使われている。

昨日,新宿〜八王子間で183系の中央ライナーに乗車した。なぜならば,183系の中央ライナーは3月15日のダイヤ改正で特急スーパーあずさに使っているE351系などに置き換えられるからだ。183系の貴重な定期運用がなくなってしまう。

中央ライナーに乗車したのは金曜の夜とあって座席は10分前に完売した。列車によれば,中野から延々と各駅停車で更に混雑が激しく,遠距離通勤者も多い中央線では人気の高い列車だ。乗車するのは9号車だ。座席は簡易リクライニングシートだった。後ろの車両はハイデッカー式のリクライニングシートだ。車両によって当たり外れの差が大きい。これは,おそらく1980年代後半に特急あずさにグレードアップ編成として一部の車両の座席を改良した。その際に指定席はハイデッカー式の座席,自由席は簡易リクライニングシートと差別をしていたのでその名残ではないか。当時の特急あずさのグレードアップ編成は,色もホワイトベースの線で,爽快感のある塗装はこれまでの作者の見た特急列車の塗装の中では,史上最高の色合いで,見ほれてしまった。その車両を使用した列車が千葉〜松本間の特急あずさに使われていたので,総武線の作者の家に比較的近い駅に見に行って撮影していた。話が飛んでしまったが,この塗装は私にとってあまりにも印象に残る塗装だったので,つい熱くなってしまった。こんな塗装もあったのにもとの塗装になってしまったのは,何と言うべきかわからない。

新宿を発車する。特急車両は通勤車両の込み入った空間とは全く違う。周りの山手線や埼京線は立ち席が多いのに,ここだけは静かな感じがする。ダイヤ密度の非常に濃い中央線を走るとあって,速度は非常にゆっくりだ。中央線の下り列車は,新宿を出ると三鷹まで待避線がないので,三鷹までは列車を抜く事ができない。それに,今日の快速電車は,高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪の3駅にも停車するので,停止時間などがかかるので余計ゆっくり走る。はっきり言って,この3駅は黄色水色の各駅停車だけで十分だ。完全通過は無理として,朝夕ぐらいは通過してもいいかもしれない。この3駅の停車のせいで,中央線のダイヤがかなり綿密でなおかつ時間のかかるものになっている。それができないのは,これくらいダイヤ密度が濃く,手直しへの暇がないのか,もしくは某区の圧力が強いのかのいずれかだ。

三鷹を過ぎ,複々線区間は終わるが,それでも列車はスローリーに走っている。E233系や201系の通勤列車の空間とは違う。別世界だ。酒を飲むのも良い。(ただ,自動車を運転する人は禁止なのは言うまでもないが)食事をするのも良い。しかし多くの人は寝ている。武蔵小金井も国分寺も通過,普段は多数の乗降客のある駅を通過するのは気分がいい。やがて立川に到着する。ここでは,結構な数が降りる。この駅は,青梅線の昭島市や福生市方面,南武線の府中本町,そしてモノレールの東大和,高幡不動方面へ向かうなどの交通結節点だからだ。最近では国や都の行政機関も八王子から立川にシフトしているものも多く,立川の重要性は年々増加している。

中野駅での183系

立川を過ぎると南に折れ,中央線は多摩川を渡る。密集した市街地から川を渡るシーンは,都会の雑多な空間から一時的に解放されことができるとあって,私は大好きだ。これは多摩川を渡るこのシーンだけでなく,荒川や江戸川などの他の川を渡るときも同様だ。

多摩川を渡ってからは,日野台地・八王子盆地への上り坂になるが,183系がモーター音を鳴らせて走る。しかし,製造から日が経っているとはいえ,特急車両のモーターは,やや静かだ。立川で半数近くが降りたので,残りは半分以下になる。長閑な空間の中で走る。豊田駅を通過し,浅川を渡れば八王子駅に着く。八王子がこの列車の終点なので全ての利用者が降りる。利用者はつかの間の非日常的な空間を経て帰路へ急ぐ。八王子は,盆地気候なので朝や夜は都内よりも寒い。東京から35kmであるが,気候がこれだけ違うとは・・・。

 

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ウグイス色の201系に乗って

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あをによし近鉄紀行の途中ですが,その中でも1回だけウグイス色の201系に乗車をしたので,報告をしたい。ウグイス色の201系とは何かといえば,関西本線を走る201系がこの色で走っているためだ。元はといえば,東海道・山陽本線つまりJR京都線・神戸線を走っていた201系が321系の投入によって,大阪環状線・関西本線に転属した。大阪環状線ではオレンジ関西本線ではウグイス色に塗り替えて走っている。約1年前にこの色がデビューをしたが,乗車する機会を得たので,ここで乗りたい。乗車した区間は関西本線の天王寺〜高井田間だ。

221系関西本線の大和路線と呼ばれている天王寺〜奈良間は近鉄奈良線・大阪線と並行して走っている。奈良から大阪環状線乗り入れ大阪(梅田)行きの直通快速には主に大和路快速という221系を使った快速電車を走らせている。一方で各駅停車は,対照的に103系ばかりであったが,老朽化が激しく201系を入れることで,103系の廃車を進めた。

ウグイス色の201系は,白のラインを入れることで警戒色にしてアクセントを入れている。山手線でも埼京線でも実現しなかった色だけに,201系のウグイス色は新鮮だ。東京ではなしえなかった浪速の軌跡だ。車内は,新車同然に改良され,窓がこれまでと違う形で開けられるようになったりしている。東京では中央線での活躍があとわずかの201系であるが,ここでは車内を改良する事によってまだまだ使えるようにしていくそうだ。同じ201系でも東京と大阪とでは環境が違うのかと考えたくなる。中央線の201系のようにガタガタしているようなことはなかった。

関西本線は,平野などを通過し,久宝寺駅では,3月15日に開通を控えたおおさか東線が開通を今かと待つ。ここに走るのはどんな車両だろうか?試運転を見た限りでは,223系をはじめ,201系や103系も走りそうだ。久宝寺と放出を結ぶおおさか東線は,是非乗ってみたい。八尾や柏原などを通過するが,これらの駅は近鉄の方が街の中心にあり,JRの利用者はあまり多くない。まるで私鉄中心の関西を代表するかの光景だ。高井田駅で降車したのは,この駅が柏原市の代表的な駅の近鉄の河内国分駅と近いので,ここで降りたほうが便利と考えたためだ。

浪速と大和を走るウグイスの201系。東京では201系がほとんど見られなくなりそうな今後,ここでは第一線の活躍が期待できそうだ。また,関西の電車は,製造年度が古くても手入れがしっかりしているため?全く古さを感じさせない。これは201系に限らず,近鉄の車両に乗ってもそう感じた。同じ車両でもこうも違うのかと考えさせられた。

オレンジのダンシング 中央線201系最後の乗車?

83513bc8.JPG中央線の顔として長年親しまれた201系がまもなく全廃になりそうだ。2007年に入ってからのE233系への置き換えで,特に昨秋以降大幅に数を減らし,今では数本だけが稼動しているだけに留まっている。昨日,201系に乗車する機会があったので,その報告をする。 中央線のオレンジの201系は,1979年にデビューをした省エネ電車で,前面は黒塗りにしたいわゆるブラックフェイス(一時期ガングロとも呼んでいた)で,塗装は101系から引き継ぐ形でオレンジ色が使われた。1980年代初頭から前半に101系の置き換えとして大量に生産され,1985年からは全てが201系で運転され,長きに渡り中央線の顔として君臨した。 私が中央線といえば思いつくのが,201系で,101系や103系が走っていた時代は全く知らない。今でも201系の姿を思い出し,それくらい中央線の顔として知れ渡っていると言ってもいいだろう。 中央特快のヘッドマーク東京駅を出発,東京駅は1995年からは高高架での位置になっているが,丸ノ内の駅舎や外見などを見つつ,出発する。 続きを読む

209系の廃車から考える1

終焉近づく209系1最近,私は鉄道車両について細部などにも関心を持つようになった。実はこれまで車両については,関心が薄かった。最近の車両は,E231・233系を中心としたJR・東急車輛・川崎重工のグループと,東京メトロ10000系や西武20000系などの日立のAとレイングループ,そして京成3000系や小田急3000系などの日本車輌のグループと3分している。その中で,相鉄10000系や東急5000系列などのE231系に酷似した車輌は,東急車輛やJR新津工場が作っている。日立のAトレインは,メトロ10000系や西武20000系,東武50000系などの元になっている。つまり車輌の共通化が大きく進んだため,どこもそこも同じような車両になったのではないかと推測する。

その中でも,京浜東北線を走る209系がそのシリーズの全てになったのではないかと思う。209系は,車内の外見や細かい所などはここでは省略するが,内装が今の鉄道車両の全てになっているのではないかと思う。209系の特徴として

1・断熱性の強いガラスを使い,ブラインドを廃止した。その為,外から見れば暗く感じる。これにより,窓の大型化になった。
2・座席に片持ち座席を採用した。これによって,足元を大きく広げる事が出来た。そして暖房機器などはコンパクトになった。またバケットシートにすることによって,一人一人の座席区分を明確にした
3・座席にステンションポールを設け,立ち席部分でもつかまるように出来た。それにドアの近くに大型板を設け,

などがある。上記の3点は,特に209系からE231系をはじめ,大半の新車に導入された。しかし,3以外では,依然として批判も多い。それと空転に関する批判も依然として多い。

1のブラインドの廃止に関しては,幣ブログでも時折でてくる。しかし,京成3000系,メトロ10000系のようにE231グループとは全く違うグループでは,ブラインドがついている。あまりにも窓ガラスに頼りすぎていて,効果が半減しているような気がしてならない。

2に関しては,座り心地の悪さなどで糾弾されている事が多い。それに体型を決めつけるなという辛辣な意見もあった。この車輌では,通勤型車両としては初めてウレタン形の堅い座席を用い,座席が堅くなってしまった。


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JR西日本321系に乗車する

29ac7fb9.JPGあらかわ交通ノート年末企画・未発表原稿特集の先陣を切るのが,今年の2月に四国へ行った際に乗車をしたJR西日本の321系の乗車記だ。

これは途中になってしまった金毘羅参りシリーズの続編になるが,この金毘羅参りでは,新宿〜高松間の高速バスが7500円というキャンペーンの期間中に高松に出かけ,琴電や徳島線などを乗車してきた。その帰りに,高松から神戸まで船に乗車し,神戸から大阪を経て,東京に戻った。高松からは,明石海峡大橋の下などを通過し,神戸に着く。神戸〜高松間はわずか1890円で行く事ができる。明石海峡大橋の開通などでこの区間は,バスでの需要が増大したが,海の上を通るのも気持ちがいい。

神戸に到着する。バスで目指すのは三ノ宮駅だ。三ノ宮は,言わずと知れた神戸市の中心地で,神戸駅よりもこちらの方が賑わっている。神戸市内で少し遊んでから,今日はJRで大阪駅すなわち梅田を目指す。三ノ宮と梅田の間は,阪急・阪神・JRと3つの鉄道路線が並行して走り,路線毎に違った特徴を見せることでも有名だ。例えば阪神沿線は,工業地帯と甲子園球場,阪急沿線は六甲山麓の高級住宅地などがある。東京では近接している3路線がこんなに違った特徴を見せる事はない。

321系その2三ノ宮から梅田へは,JRを使ったのは2005年にデビューをした321系に乗車をしたかったからだ。 続きを読む

東京にいなほ出現?

3d260a63.jpg日曜日の夜,新宿駅を通過した際に,新宿と新潟を結ぶムーンライトえちごに見慣れぬ車両がいると思い,見つけたところ,この車両は上越新幹線に接続して新潟と秋田を結ぶ特急いなほに使われている485系だった。

このムーンライトえちごは,普段はクリームと赤の国鉄色の485系が走っている。今では見る機会が減った国鉄色を味わえる列車としても有名だ。

485系のいなほ色は,私が最も好きな塗装の一つだ。白地にエメラルドグリーンと水色の塗り分けは,日本海側の風景に見事に合わさっているからだ。白は雪,エメラルドグリーンは,水田地帯,水色は日本海の風景と塗装で,日本海側をイメージさせるからだ。
私は中学生の時に当時,この色の使われていた大阪〜青森間の旧特急白鳥に憧れていたこともあった。しかし,実際に見るのは1995年の夏に北陸の方に青春18きっぷを使って旅したときの特急北越(新潟〜金沢間)が最初だった。はじめて見た時は,少し感動してしまった。

この色の車両は,新潟を本拠地として,特急いなほを主に使っているので,東京に乗り入れることは滅多にない。谷川岳を越え,利根川の流れに乗って別の風の流れる場所へと行き着いたようだった。この日は,新宿〜黒磯を結ぶ快速フェアーウェイにも,この車両が走ったそうだ。東北本線の特急の代表的な車両として名高い485系であるが,日本海のにおいを感じさせるこの車両が走ったことは珍しい記憶になったのではないか。

455系の思い出(少年時代の思い出5・番外編)

0a9314df.jpg栃木路快速様red star様のブログで思い出したが,今日は磐越西線の郡山〜会津若松間で,455系のあかべえのさよなら運転があったそうだ。私もこの車両には少ないながらの思い出がある。これは,少年時代の想い出第5話の番外編となる。455系は,昔は急行形電車として上野から常磐線や東北線を通り,東北地方などへ行く急行列車に使われていたが,東北・上越新幹線の開通後は東北地方で普通列車になって走った車両だ。

私は幼時には亀有にあった祖父の家へしょっちゅう行っていた。その時,祖父の家からピンクと肌色の電車が見えた。おそらく常磐線を走っていた急行ときわ号だろう。これがはじめての455系だった。東北・上越新幹線が上野まで延伸し,急行列車は消えた。

それから時が過ぎ,先述の東京〜仙台間青春18きっぷの初めての旅で,再びこの車両と出会った。 続きを読む

目撃!京浜東北線E233系

a54ca770.JPG「あらかわ交通ノート」栄光の第1号の話題は,今年中にデビューが予定されるある車両の話題だ。なお,この話題は通算476番目の投稿になる。

昨日,高崎線で浦和電車区の横を通過したら,数日前に逗子の東急車輛を出庫した京浜東北線のE233系がいた。京浜東北線のE233系は,1993年にデビューをした209系の置き換え用でデビューをする。このE233系は今年中に営業運転を開始する可能性が濃厚だ。車内などは全くわからないが,おそらく中央線の同系と同等になるのかもしれない。番号は1000番台になる。列車(211系)から見ただけなので,写真はありません。すいません。そして中央線にはなかったこととして,E233系としては初の荒川越え(赤羽〜川口間)も待っている。