あらかわ交通ノート夏休みスペシャルの第1回は,最近ユーザーになった西武の話題から行こう。この夏休みスペシャルは,2008年8月25日までの期間限定(延長もありか?)で行う。
さて,作者と西武との関わりといえば,以前,所沢や飯能,田無,秩父などに作者の親戚がおり,京成に続いて乗車する機会も多かったと以前(2008年4月11日分)書いた事がある。この私,出身が京成沿線だと思われがちでいるが,作者の出生は実は西武池袋線の沿線だったのだ。出生して数年間は,西武池袋線の沿線に住んでいたのだ。もともと,作者の父が西武沿線のこの地域の出身で,出生して間もない時期は諸事情で西武池袋線の沿線に住んでいたのだ。そういうことだから,京成と乗り入れている京急よりも西武の方が興味があるのは自然なのかもしれない。ちなみに今は,出生地と近い場所に住んでいる。
昔の西武は出生の頃はあまりよく知らなかったが,小さい頃から馴染みがあった。今日話題にする1980年代は池袋線の主役は西武の顔101系で,それだけでなく,3000系なども走っていた。今ではステンレスの6000系や4ドアの2000系・9000系・20000系なども多いが,昔の池袋線は1 0 1 系 ば っ か り だ っ た 印象がある。
小さいときに親戚などに会うべく,京成線から山手線を経て,西武線に乗ると一番感じたのは「クーラーが効いている」ことだった。この時代は,京成は非冷房車が多く,西武はほとんどの車両が冷房車だったので,尚更そう感じた。あの黄色の塗装も,当時のファイアーオレンジの赤電が主力だった京成から見ればさわやかだった。京成がいろいろ暑かったので西武まで行ったときの涼しさはたまらなかった。それに5000系のレッドアローも,赤と白の色もさわやかで,西武といえば清涼感があった印象がある。当時は,西武はステンレスの車両もなく,黄色しかいなかったので,それがよくわかる。
年を重ね,西武と秩父鉄道の乗り入れ用に4000系が製造される事になった。この車両は白地に赤・緑・青の帯を巻く車両で更にクロスシートとあって,一度は絶対に乗りたい車両になった。しかししばらくはこの車両に乗る機会は全くなかった。相変わらず西武の車両は清涼の塗装だなと正直言って感じた。
西武池袋線の沿線の景観も変わった印象がある。練馬〜石神井公園間は今は立派な高架複々線であるが,当時は踏切が多く,地平を走っていた。それに練馬高野台駅の近くの笹目通りも踏切だった。80年代は宅地開発が進み,所沢以遠では人口の増加になっている。飯能から先の山岳区間は今も昔も変わらない。
西武線特に池袋線の沿線は,昔からなんとなく馴染みのある路線だった。再びこの西武に乗るようになり,昔の情景を思い出したようだった。
この夏休みスペシャルでは,西武線編はあと2〜3回書く予定でもいる。沿線の支線めぐりも並列してお送りするので,しばらく西武の話題は多くなるかもしれないが,ぜひお楽しみに。
・予告 この写真は西武多摩川線のものだ。西武支線めぐりの第1回目多摩湖線に続く,第2回目は西武多摩川線なので,ぜひお楽しみにください。
先日柴又へ行くために金町から京成に乗りますと、天井に扇風機がクルクル回っていました…。
西武30000系では送風機の装着方法が違ったり…。
扇風機が下町らしい感じがします。VVVFのAーtrainは似合わない。