小田急電鉄で35年以上にわたって走っていた7000形LSEロマンスカーが10月を持って引退をする。今回は小田急のLSEロマンスカーについて過去に撮影をした写真などを中心に紹介をしていきたい。
小田急のLSEロマンスカーはLuxury Super Expressの略称で1980年にデビューをした。デビューから新宿〜箱根湯本や片瀬江ノ島などを走ってきた。観光や通勤にさまざまな活躍をしてきた。連接車体で、初めて座席がリクライニングをすることや展望席があることが特徴だ。2018年の7月10日に営業運転が終了をし、最後の3ヶ月は、団体専用列車として数回走ることになった。今回の報告は、6月15日に片瀬江ノ島→新宿間で乗車をした模様と過去に撮影をした写真を中心にお届けをしていく。
最後のLSEの乗車となったのは6月15日だ。この日はえのしま2号でLSEロマンスカーが走ることがなっていた。6月15日は、当時、東急田園都市線沿線に出張へ行っていたので、その帰りに、行くことにした。東急田園都市線で中央林間へ行き、中央林間から片瀬江ノ島まで小田急江ノ島線で行くことにした。
時間に余裕があったので、小田急江ノ島線桜ヶ丘駅近くの小木曽製粉所へ行く。長野では多くの店を抱えているが、関東では初の出店だ。桜ヶ丘駅から徒歩10分で着く。新宿から約50分、500円で本場のそばが食べられるのだ。
桜ヶ丘駅の近くには「綾瀬」という標識があるが、これは神奈川県の綾瀬市だ。この桜ヶ丘駅からは西に少し行くと綾瀬市に着くようだ。
小田急江ノ島線の終点で今回のロマンスカー紀行の起点の片瀬江ノ島駅に着く。片瀬江ノ島駅はこの駅舎が名物だ。2020年の東京オリンピックではヨットの会場になり、これに合わせる形で、駅舎のリニューアルも行われる予定だ。
片瀬江ノ島駅には既にLSEロマンスカーのえのしま2号新宿行きがいた。これが最後のLSEロマンスカーに乗車になるのか?(引退一ヶ月前だった)
えのしまのヘッドマークを出す7000形LSEロマンスカーだ。実はえのしまのヘッドマークのLSEロマンスカーはあまり見る機会が多くなかっただけにこれは貴重かもしれない。
まず室内の写真を紹介をする。座席はリクライニングシートであるが、小田急のロマンスカーでは初めての採用だ。一般車の座席は小豆色と青だ。小豆色が奇数、青が偶数だ。車内も少し狭い。1両に40人程度しか乗ることができない。なぜならば、LSEロマンスカーは連接車両を採用をし、車両の先頭は16.5m、中間車は12mしかないからだ。2005年にデビューをした連接車両のVSEロマンスカーに比べても短い。この車両の短さが一つのロマンスカーを作ってきた伝統ではないかと思う。そしてガラス窓の貫通扉も何か特別感を感じさせる。
折戸の扉もこのロマンスカーの伝統かもしれない。ドアでなく折戸を使うことによって、何か歓迎をされているようにもなんとなく感じる。
車内の案内はステンレスでできている。この案内表示は、他のロマンスカーも共通だが、11号車まであるのは、LSEロマンスカーが最後かもしれない。展望車の1・11号車は展望車の形になっている。車内販売準備室は、車内販売のある列車では稼動をするが、このえのしま2号では車内販売はない。ロマンスカー伝統の走る喫茶店はここで準備が行われていたのだ。
藤沢駅に着く。藤沢駅では、進行方向が変わり、5分以上停車をする。向かいの東海道線ホームには、駅名物の湘南電車の売店がある。ともに神奈川県湘南地方を走ってきた盟主として、この絵を撮りたかった。
藤沢駅からは、北上をしていく。次に止まるのは大和駅だ。大和駅には多数の撮影者がいる。大和というと、東名高速道路の渋滞スポットとしてあまりにも有名だ。鉄道であれば小田急江ノ島線と相模鉄道の交差駅だ。その次は相模大野駅に止まる。
相模大野駅は、小田原方面と江ノ島方面に別れる駅だ。最近では、伊勢丹の閉店も報道をされた。相模大野の伊勢丹は、1990年代にTBSで放送されたデパート物語の舞台となったことでも有名だ。やはり相模大野では、伊勢丹となると新宿へ行ってしまうのだろうか?周りに大型店が開店をして、その勢いに負けたという話もある。相模大野に止まる代わりに町田は通過をする。そして新百合ヶ丘に停車をする。このあたりは、千鳥停車をしているようにも見える。
LSEロマンスカーは、古さを感じさせない静かさがある。リクライニングの角度は小さいが、それも気にしない。6月の梅雨の時期だったので蒸し暑い。空調も利いている。廃車になるのが少しもったいないようにも見える。これが35年戦士の活躍ぶりなのかもしれない。このようなスピードで夜の街を駆け抜ける。藤子不二雄ミュージアムのある登戸からは複々線となる。藤子不二雄の藤本先生もこのLSEロマンスカーを日常的に見ていたのかな・・・LSEロマンスカーの登場した1980年代は、藤子不二雄先生のアニメがドラえもん以外にも放送をされていた。今で信じられないかもしれないが、1980年代くらいまでは、藤子不二雄先生の作品が多数アニメで放送をされていた。
そして多摩川を渡り、東京都内に入る。複々線が完全完成をした。この車両で多摩川を越えるのも最後かもしれない(というか最後になってしまった)都内に入ると名残惜しさを感じる。
地下2階となった下北沢駅を通過をする。これもわずか4ヶ月間の貴重な写真となった。
そして新宿駅に21時過ぎに到着をする。えのしま2号からホームウェイ87号に折り返すことによって、今度は新宿から多くの通勤者を運ぶことになる。小田急ロマンスカーの主な利用客は通勤客だ。新宿から町田や本厚木などの通勤客も多い小田急線。その魅力の一つがロマンスカーに気軽に乗れるという点もも求心力をあげているのかもしれない。これが35年以上も続く日常なのだ。
過去に撮影をした小田急の7000形LSEロマンスカーの写真を紹介をする。
まずは新宿駅。これは2008年以前に撮った写真だ。当時は、10000形Hiseロマンスカーと同じ色をしていた。写真に写っている少女も、今はいくつくらいになっているのだろうか。小学校高学年ならばもう20歳くらいを越えているかもしれない。新宿駅では11両編成にかかわらず、前に止まる位置が少し手前だ。これが連接車両で車両が短いことを証明をしているのかもしれない。そして新宿駅のこのホームは旅が始まるのだという特別感を常に感じさせるのだ。
最後のLSEの乗車となったのは6月15日だ。この日はえのしま2号でLSEロマンスカーが走ることがなっていた。6月15日は、当時、東急田園都市線沿線に出張へ行っていたので、その帰りに、行くことにした。東急田園都市線で中央林間へ行き、中央林間から片瀬江ノ島まで小田急江ノ島線で行くことにした。
時間に余裕があったので、小田急江ノ島線桜ヶ丘駅近くの小木曽製粉所へ行く。長野では多くの店を抱えているが、関東では初の出店だ。桜ヶ丘駅から徒歩10分で着く。新宿から約50分、500円で本場のそばが食べられるのだ。
桜ヶ丘駅の近くには「綾瀬」という標識があるが、これは神奈川県の綾瀬市だ。この桜ヶ丘駅からは西に少し行くと綾瀬市に着くようだ。
小田急江ノ島線の終点で今回のロマンスカー紀行の起点の片瀬江ノ島駅に着く。片瀬江ノ島駅はこの駅舎が名物だ。2020年の東京オリンピックではヨットの会場になり、これに合わせる形で、駅舎のリニューアルも行われる予定だ。
片瀬江ノ島駅には既にLSEロマンスカーのえのしま2号新宿行きがいた。これが最後のLSEロマンスカーに乗車になるのか?(引退一ヶ月前だった)
えのしまのヘッドマークを出す7000形LSEロマンスカーだ。実はえのしまのヘッドマークのLSEロマンスカーはあまり見る機会が多くなかっただけにこれは貴重かもしれない。
まず室内の写真を紹介をする。座席はリクライニングシートであるが、小田急のロマンスカーでは初めての採用だ。一般車の座席は小豆色と青だ。小豆色が奇数、青が偶数だ。車内も少し狭い。1両に40人程度しか乗ることができない。なぜならば、LSEロマンスカーは連接車両を採用をし、車両の先頭は16.5m、中間車は12mしかないからだ。2005年にデビューをした連接車両のVSEロマンスカーに比べても短い。この車両の短さが一つのロマンスカーを作ってきた伝統ではないかと思う。そしてガラス窓の貫通扉も何か特別感を感じさせる。
折戸の扉もこのロマンスカーの伝統かもしれない。ドアでなく折戸を使うことによって、何か歓迎をされているようにもなんとなく感じる。
車内の案内はステンレスでできている。この案内表示は、他のロマンスカーも共通だが、11号車まであるのは、LSEロマンスカーが最後かもしれない。展望車の1・11号車は展望車の形になっている。車内販売準備室は、車内販売のある列車では稼動をするが、このえのしま2号では車内販売はない。ロマンスカー伝統の走る喫茶店はここで準備が行われていたのだ。
藤沢駅に着く。藤沢駅では、進行方向が変わり、5分以上停車をする。向かいの東海道線ホームには、駅名物の湘南電車の売店がある。ともに神奈川県湘南地方を走ってきた盟主として、この絵を撮りたかった。
藤沢駅からは、北上をしていく。次に止まるのは大和駅だ。大和駅には多数の撮影者がいる。大和というと、東名高速道路の渋滞スポットとしてあまりにも有名だ。鉄道であれば小田急江ノ島線と相模鉄道の交差駅だ。その次は相模大野駅に止まる。
LSEロマンスカーは、古さを感じさせない静かさがある。リクライニングの角度は小さいが、それも気にしない。6月の梅雨の時期だったので蒸し暑い。空調も利いている。廃車になるのが少しもったいないようにも見える。これが35年戦士の活躍ぶりなのかもしれない。このようなスピードで夜の街を駆け抜ける。藤子不二雄ミュージアムのある登戸からは複々線となる。藤子不二雄の藤本先生もこのLSEロマンスカーを日常的に見ていたのかな・・・LSEロマンスカーの登場した1980年代は、藤子不二雄先生のアニメがドラえもん以外にも放送をされていた。今で信じられないかもしれないが、1980年代くらいまでは、藤子不二雄先生の作品が多数アニメで放送をされていた。
そして多摩川を渡り、東京都内に入る。複々線が完全完成をした。この車両で多摩川を越えるのも最後かもしれない(というか最後になってしまった)都内に入ると名残惜しさを感じる。
地下2階となった下北沢駅を通過をする。これもわずか4ヶ月間の貴重な写真となった。
そして新宿駅に21時過ぎに到着をする。えのしま2号からホームウェイ87号に折り返すことによって、今度は新宿から多くの通勤者を運ぶことになる。小田急ロマンスカーの主な利用客は通勤客だ。新宿から町田や本厚木などの通勤客も多い小田急線。その魅力の一つがロマンスカーに気軽に乗れるという点もも求心力をあげているのかもしれない。これが35年以上も続く日常なのだ。
過去に撮影をした小田急の7000形LSEロマンスカーの写真を紹介をする。
やはり桜の風景は忘れてはならない。相武台前〜座間間の有名な桜スポットで撮影をしたのは2013年だった。あの日はVSEロマンスカーが被られたことが悔しかったが、LSEロマンスカーは成功をした。桜とLSEロマンスカーの共演は最高だった。
関東の駅百選に選ばれた秦野駅。今から7年前に撮影をした。単独で回送のLSEロマンスカーが止まっていた。下の写真は1月にGSEロマンスカーの試運転へ行った際に、並んだLSEロマンスカーとGSEロマンスカーの共演劇だ。まさかこれがわずかな期間の貴重なものになったとは思えなかった。
こちらは新松田駅の先の酒匂川で撮影をしたものだ。富士山の山頂と小田急のLSEロマンスカーは象徴かもしれない。新松田駅の手前に富士山ともっと接近ができる場所があるようだが、酒匂川は有名なスポットなので行ってみた。もっと富士山とLSEロマンスカーを撮影をしたかった・・・
開成駅南にある撮影地で夏と冬に撮影をしたLSEロマンスカーだ。同じ場所でも、夏と冬では印象が異なるように見える。夏は晴れた日に青空を入れて撮り、冬は雲が多い日だったので、車両を中心にして撮影をした。
そして小田原駅だ。撮った時期はいつだか忘れたが、まもなくこの先が箱根湯本だ。小田原駅まで乗ると遠くにきたというイメージがあるのだろう。小田急沿線は、都会から郊外へと向かい、その途中には住宅地・水田地帯、丘陵地まで多数の風景が見られるのも特徴かもしれない。小田急はバラエティに富んだ風景もロマンスカーの魅力を生み出しているのだろう
小田急のLSEロマンスカーは、昭和のロマンスカーと平成のロマンスカーの橋渡し役だったのかもしれない。昭和時代のような連接設計で、車両定員も車両によれば少ない。そして代名詞ともいえる展望車両。伝統的な走る喫茶のサービスもある。そして昭和末期から平成時代は観光から通勤へと移り変わり、さまざまな場面で使われた。私が始めてみたのはいつかは忘れたが、これこそTHEロマンスカーという感じの車両だ。列車名の幕があり、オレンジバーミリオンの色で走るその姿は大変魅力的に感じた。学生時代に小田急沿線まで通っていた時代は毎日のようにこの車両を見ていた。平成がまもなく終わる2018年、このロマンスカーの果たした役割は多数あった。多くの思い出を残していったのは間違いないだろう。
そして小田原駅だ。撮った時期はいつだか忘れたが、まもなくこの先が箱根湯本だ。小田原駅まで乗ると遠くにきたというイメージがあるのだろう。小田急沿線は、都会から郊外へと向かい、その途中には住宅地・水田地帯、丘陵地まで多数の風景が見られるのも特徴かもしれない。小田急はバラエティに富んだ風景もロマンスカーの魅力を生み出しているのだろう
小田急のLSEロマンスカーは、昭和のロマンスカーと平成のロマンスカーの橋渡し役だったのかもしれない。昭和時代のような連接設計で、車両定員も車両によれば少ない。そして代名詞ともいえる展望車両。伝統的な走る喫茶のサービスもある。そして昭和末期から平成時代は観光から通勤へと移り変わり、さまざまな場面で使われた。私が始めてみたのはいつかは忘れたが、これこそTHEロマンスカーという感じの車両だ。列車名の幕があり、オレンジバーミリオンの色で走るその姿は大変魅力的に感じた。学生時代に小田急沿線まで通っていた時代は毎日のようにこの車両を見ていた。平成がまもなく終わる2018年、このロマンスカーの果たした役割は多数あった。多くの思い出を残していったのは間違いないだろう。