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2011年3月11日に発生をした東日本大震災から8年を迎える。今回は、東日本大震災の被災地を訪問をした模様をお届けをしたい。なお、東日本大震災の被災地を訪問をしたのは今から半年前の昨年の9月22日から23日であった。当記事では、宮城県気仙沼と岩手県大船渡を中心に書いていく。

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昨年9月、私は平成最後のバースデイトリップとして、三連休・函館乗車券というJR東日本全線とJR北海道の函館地区の路線、一部第三セクターの利用可能な周遊券を購入をして、この地域を訪れることを決めた。行きは指定席が満席だったので、東京駅からE5系のやまびこで一ノ関まで向かった。

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一ノ関駅は岩手県の南端に位置をするが、宮城県の気仙沼方面への玄関だ。一ノ関と気仙沼を結ぶ路線は、大船渡線という路線だ。大船渡線の一ノ関〜気仙沼間は未乗車の区間だった。一ノ関駅ではポケットモンスターの人気キャラクターのピカチュウがいる。岩手県はテレビ東京はなく、アニメのポケットモンスターはどのように放送をしているだろうかと思えば、フジテレビ系の岩手めんこいテレビで金曜日の夕方に放送をしているようだ。


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この大船渡線は、特に迂回するルートが有名で、ドラゴンレールとも呼ばれているそうだ。陸中門沢という駅から千厩駅まではまっすぐで行けるが、北東にある摺沢という場所を通ったのだ。我田引鉄などで有名な路線であるが、石灰石の輸送には効果があったそうだ。

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駅にはポケットモンスターのキャラクターが描かれている。その摺沢駅も「ようこそすりさわへ」とピカチュウが出迎えている。

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千厩駅で乗車をしていた列車の対向にポケモンwithyouトレインがいた。車内から撮影をした。このポケモンwithyouトレインは、大船渡線の一ノ関〜大船渡間を主に走っている。2017年からピカチュウをイメージをした黄色の車体に変わった。この列車は、親子連れを意識をしているのかなと思う。

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秋だったのでいなほが黄金色になっていた。東北地方はこの時季が水田の収穫時期なのかな。しばらくして気仙沼に着く。気仙沼の訪問は、2006年以来約12年ぶりだ。東日本大震災の5年前だ。気仙沼駅もピカチュウが出迎えてくれている。大船渡線の鉄道区間はここまでだ。この先の気仙沼から大船渡市の盛(さかり)駅まではBRTというバス輸送になる

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気仙沼といえば、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた町で、東日本大震災の被災地といえば真っ先に思い浮かぶ都市の一つだ。これは気仙沼の市役所の近くにあった津波の浸水の深さを表す表だ。

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気仙沼の名物といえば、さんまだ。気仙沼港にあるレストランで、さんまのセットを食べる。

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気仙沼市内を少しだけ観光をする。市内には海の市があったり、港町として取り戻しているが、震災の影響で、空き地も多数あった。東日本大震災の被災地で真っ先に思い浮かぶ都市として、気仙沼をあげたのは、宮城県出身のお笑いコンビのサンドウィッチマンの二人が気仙沼にてテレビ番組のロケをしていたところ、被災をしてしまったエピソードがある。周りが火事で火の海になっている恐ろしい姿をテレビで目の当たりにし、あの映像は深いショックを受けてしまった。そのために気仙沼といえば、あのインパクトが強く、サンドウィッチマンの二人も思い出してしまうからだ。気仙沼は2006年に通った時は、ほとんど時間がなかったが、あのような光景を見て、ショックを感じたのは言うまでもない。

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気仙沼駅に戻り、次は大船渡線のBRT区間に乗る。大船渡線のBRT区間はバスであるが、一部の区間は専用レーンを通る。このバスはJRの三連休パスでも乗ることができる。18時前の夕暮れの時間帯だった。気仙沼駅は、南に出る気仙沼線もBRTで運転されている。(区間は気仙沼〜柳津間)

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飯森峠を越え岩手県に入る。ここは陸前高田市だ。夕暮れ時で、町の中を見ることができなかった。陸前高田といえば、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた都市だ。バスからは駐車場付きのスーパーマーケットも見えた。震災後に新たに建築をされたのかもしれない。陸前高田の付近はバスに乗っていてもアップダウンが結構多かった。震災後に市街地を高台に移したのかもしれない。真っ暗な時間帯だったので、風景がよく見えなかったがある程度は感じた。

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途中からバス専用レーンを通過をした。バス専用レーンは大船渡線の跡地だ。2006年に通過をしたときはリアスシーライナーという八戸から仙台まで、三陸の都市を通過をする列車に乗った。そこに大船渡線は入っていた。この辺りから見た広田湾の海は今でも覚えているかもしれない。大船渡線はこの区間では鉄道ではなく、バスによる新交通システムに変わった。このあたりの鉄道の復旧はとても難しかったのかもしれない。気仙沼から大船渡までは約1時間20分かかった。

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そして、大船渡に着く。この日の宿は大船渡だからだ。大船渡というとかもめの玉子という岩手の銘菓を出しているさいとう製菓などが有名だ。この大船渡も東日本大震災で大きな被害を受けた都市の一つだ。今回宿泊をするホテルも、新築で震災後に建てたものだった。


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秋晴れの大船渡。バス停やホテルの近くには、スーパーマーケットなどの真新しい物件が建っている。現代都市のように見えるが、そう考えたくはない。なぜならば、この辺りはおそらく東日本大震災で大きな被害を受けたのかもしれない。それに空き地も多かった。これが東日本大震災の影響だったのか。このコスモスは東日本大震災の時はどうだったのだろうか。

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過去の大船渡などを動画で見たが、大船渡駅の辺りは密集した市街地で街の一つの中心だった。それがあの震災で失われてしまった。気仙沼も大船渡も街並みを大きく変えてしまったかもしれない。大船渡と気仙沼を結ぶ鉄道はもうない。この町は多くのものを失ってしまったようだ

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そして大船渡駅から大船渡市内にある盛(さかり)駅に向かう。この区間もバスだ。バスの乗客もわずかしかいない。盛駅からは三陸鉄道の南リアス線で釜石を目指す。後編では、三陸鉄道とSL銀河の乗車記を中心に、釜石の訪問記などもお届けをしたい。

東日本大震災の被災者にご冥福をお祈りいたします。私も当時、仙台に住んでいた従妹たちが被災をしてしまい、他人事ではないと毎年感じている。